日本には能と呼ばれる伝統芸能があり、室町時代に観阿弥(かんあみ)とその子息の世阿弥(ぜあみ)が高い芸術性を備えた芸能として発展させました。
素人の個人的な見解ですが、当時の人々が能に惹きつけられていった理由を考えてみました。
日本において能が発展したのは、南北朝の争いが収まった室町時代である14~15世紀のことです。観客は公家などの知識人、武家や地位のある人物が多かったようです。
能の例として
能の例として伊勢物語をベースにした、世阿弥の作になる能である井筒(いづつ)を取り上げます。
井筒とは井戸の地上部分に木材などでこしらえた低い囲いのことで、この井筒の周りで幽玄な所作や舞いが展開されます。
伊勢物語の主人公は美男の貴族 在原業平(ありはらのなりひら)で、建立したと伝えられる大和の国の古寺 在原寺に立ち寄った僧が在原業平の亡くなった妻の冥福を祈っていると、仏にたむける花と水を持った里の女が現れる。
実は女、在原業平の妻であり、この時点で、この世とあの世の間の境界と、昔と現在の間の境界とが取り払われます。
そして、里の女は、在原業平と紀有常(きのありつね)の娘の間の恋物語を語り始めました。
幼い頃、二人は井筒の傍らで丈比べをしたこと、成人して歌を詠み交わして結婚したことを語り、女は自分がその紀有常の娘であることを告げて古びた塚の陰に姿を隠します。
「筒井つの井筒にかけしまろがたけ過ぎにけらしな妹みざるまに」という在原業平が詠んだ歌と目される和歌が伊勢物語に残されています。)
夜が更け僧が仮寝をしていると、夢の中に井筒の女の霊が現れ、業平の形見の冠と直衣(のうし)を身に着け、業平を恋い慕いながら舞い、井戸の水に自身の姿を映して、その姿の中に面影を見るのでした。
やがて井筒の女の霊は姿を消し、僧も夢から覚めました。
表現する能
このときのシテが演ずる女の霊の付けた面の微妙な角度の違いにより、観客には女の霊が在原業平に見えたり紀有常の娘に見えたりするのです。面を使った表現力といえます。
能は、この世と幽界を明確には分けるような道具立てを最低限必要な簡素なものにとどめ、面や冠や直衣を用いた表現のみの演出で表すのです。
鑑賞している人々は、心を揺さぶられます。
能が重点を置くのは、「もののあはれ」。
この心の揺さぶられ方は、例えば一首の秀歌によって、人々がしみじみとした哀感を覚えることに似ています。
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