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忍びの者トリビア

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敵やライバルの情報を把握することの重要性は、過去においても現代においても認識されています。
明治維新前までは、忍びの者や隠密が機密情報の収集を請け負っていました。
忍者について述べて私見をダラダラと述べていく、トリビア的な内容です。

目次

服部半蔵

三河の武将であった服部半蔵正成(はっとりはんぞうまさなり)の先祖は、源平の戦いにおいて平知盛の郎党として武功を挙げた服部家長です。
服部氏は、中国の漢から渡来した漢服部(あやはとり)の家系といわれています。分類すると、服部氏は、忍びの者や隠密ではなく武将と呼ぶのが適切です。

松平氏が徳川氏を名乗って江戸幕府を開いた後、幕府が各大名の動向などを探るために集めた伊賀者や甲賀者を管理する人物が必要になり、服部氏に白羽の矢が立ったのです。

命がけで情報収集を行う伊賀者や甲賀者は、それまで服部氏の家臣ではなかったので、この江戸幕府の処遇には忍びの者や隠密としての誇りを傷つけられて不満があったと言われています。
つまり専門職としての誇りがあったのでしょう。甲賀者は一人の大名などに仕えましたが、伊賀者は、依頼主と個々にビジネスライクに契約を結び仕事をしていました。

現在の江戸城跡には半蔵門という門がありますが、この門内に服部半蔵の屋敷があったので、そのように呼ばれているということです。

忍者と武将

戦国時代、各大名や武将達の使った忍びです。

武田信玄は「透波(すっぱ)」、北条氏は「風魔一党」、真田氏は「草の者」、上杉謙信は「軒猿(のきざる)」、毛利元就は「鉢屋衆」、服部半蔵正成は「伊賀組」を使いました。

忍者の携帯品

忍者が携帯を必須とした主な道具を紹介します。

鉤縄(かぎなわ)、編笠(あみがさ)、石筆(せきひつ)、三尺手拭(さんじゃくてぬぐい)、打竹(うちたけ)、錣(しころ)。

これらの中で非常に感心したのは石筆で、石筆は蝋石を加工して鉛筆状に作ったもので、石盤に文字や絵を描くために使用しました。
敵将を害したり、敵の城に放火したりすることよりも、機密情報を獲得することが何よりも大事になってきます。
どんなに記憶力の良い人物でも、覚えるられることには限界があり、寸時に記録せねばならないこともあるでしょう。
仲間に伝言を残すときや、記録を消し去ることも容易で、石筆は情報の取得と廃棄に最重点を置いた道具であったと思います。

※画像はイメージです。

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