野見宿禰という人物像の不思議さ

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野見宿禰(のみのすくね)は、『日本書紀』などに登場する伝承上の人物で、出雲国の出身とされる。
『出雲国風土記』に「能見」という地名が記載されており、野見宿禰の出自と結びつけて考えられる点は注目に値する。このことから、野見宿禰は後世に創作された大和系人物というより、出雲に実体的な背景を持つ存在として語られていた可能性が高い。

目次

天穂日命系譜と「出雲系天孫」の矛盾

系譜上、野見宿禰は天穂日命の十四世孫とされ、後に土師氏の祖と位置づけられている。天穂日命は天照大神と須佐之男命の誓約によって生まれた神であり、その子孫は本来、出雲系天孫と理解される存在である。

しかし、大和王権成立後の記録では、野見宿禰およびその子孫とされる土師氏や大江氏は、「天孫系氏族」として扱われている。出雲出身でありながら天孫として登録されている点は、単なる系譜整理では説明しきれない不自然さを含んでいる。

野見宿禰の事績として知られるのが、垂仁天皇に対して殉死の風習を改め、埴輪を用いることを進言したという逸話である。垂仁天皇が仮に実在したとすれば、その治世は3世紀後半から4世紀前半頃と推定され、古墳時代初頭に位置づけられる。

この逸話の史実性は別としても、野見宿禰が制度や儀礼の再編に関与する人物として描かれている点は重要である。彼は武力によって評価される存在というより、王権の儀礼構造を整備する役割を担った人物として位置づけられている。

当麻蹴速との相撲と神判

野見宿禰には当麻蹴速との相撲による勝負の逸話が存在する。野見宿禰はこの勝負で当麻蹴速を打ち倒し、結果として死に至らしめたとされる。

ただし、古代における相撲は、後世の競技や娯楽とは性質を異にし、神前で行われる判定儀礼、すなわち神意を問う行為であった可能性が高い。蹴りなどが禁じ手でなかったと考えられる点も、この相撲が実力比べというより、神判の一形態であったことを示唆している。

古代大和王権では、盟神探湯(くがたち)のように、神の判断によって是非を決する儀礼が行われていた。相撲による決着も、同様の神判的文脈で理解することができる。

野見宿禰がこの相撲で勝利し、かつ処罰されることなく高く評価されている点は、彼が神意に選ばれた正統な存在として位置づけられていたことを示している。相撲譚は彼の武勇を誇示するための逸話ではなく、出雲系天孫である野見宿禰が大和王権の中枢に関与するための宗教的・儀礼的な正当化装置と見るべきだろう。

野見宿禰が象徴するものは

以上を踏まえると、野見宿禰の不思議さは、相撲の逸話そのものにあるのではない。出雲に出自を持つ人物が、天孫系として再定義され、制度と儀礼の両面から大和王権に組み込まれていく過程を体現している点にある。

野見宿禰は、一人の実在人物というよりも、出雲と大和という異なる系譜を接続し、政治的・宗教的統合を正当化するために構築された象徴的存在として理解する方が妥当だと考えている。

featured image:Los Angeles County Museum of Art, Public domain, via Wikimedia Commons

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