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お墓参り

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私が小学生低学年のころ、コックリさんや口裂け女、ノストラダムスの大予言などが流行っていた。
今よりもずっと、自然や霊界が近く、未知の世界への興味と恐怖が日常だった気がする。

目次

叔父さんの家へ向かう

当時、私は地方都市の市街地に住んでいて、毎年お盆になると電車に乗って2時間位の場所にある、親戚のおじさんの家にあつまって、祖父の墓参りをしていた。
いつも父親といっしょに行くのだが、その年は父が出張で、母は準備の都合で先に行くことになっていて、私一人で向かう事となった。

「おじさんには電話で伝えておくから」と言われ、電車賃とお小遣いをもらい、午後出発した。
当時の国鉄は椅子が木造でドアも手動、初めて自分で開けて乗り込むのがうれしかった。

3時前過ぎ、駅に到着。
田んぼの風景が広がる道を20分くらい歩くと見えてくるのは、藁ぶき屋根の大きな作りの一軒家。
「こんにちは、◯◯です」
玄関を開け、声をかけた。だれもいないのか、反応がない。

しかし外にある馬小屋の方から、なにやら声が聞こえて、パチンパチン音がする。
中をのぞくと、三人のいとこたちがメンコをやっていた。
私は「久しぶり、元気?」と声をかけると私の事を待っていたようだ。
早速、合流して大人たちが待つ、祖父のお墓へ向かった。

お墓まいりの怪奇

お墓は山の中腹にあり、長い坂道を上がっていくと、ようやく墓地が見えてきた。
すでに5時近くなり、夏場でまだまだ明るいのだけれども、鬱蒼とした木々に囲まれた墓地はうすぐらくて不気味。
雨は降っていないのに土がじめじめしており、木の枝はこんなにも垂れ下がっているものだろうか?

「じいちゃんのお墓はどこだろう、なんだか怖いよ」と一人が話しかけてくる。
そうこうしていると心配して探しにきてくれた、伯父さんが私達をみつけてくれて皆安心した。

お墓の前には、親戚一同がそろっていて、線香も炊いて土に立て、手を合わせたときだった。
薄暗くなってゆく墓地、視線を上げると遠くに火の玉のようなものがポツリポツリとみえる。
伯父さんが「火の玉がでたぞ」と言い、子供たちは怖がるが大人たちは平然としていた。

火の玉

それから何50年も経ち、おじさんは亡くなり、いとこ達とは疎遠になってしまった。
皆、このことを覚えているのだろうか?

ふと火の玉とは何であろうかと考えた。
人間の魂が成仏できず、さまよい続けて燃え尽きるのか?
それは怒りなのか、悲しみなのか、死後の世界から現生に対する言葉なき表現なのか?

そう思いながらも、もしかすると、お盆の時期なので他の花にお供えされた線香の光がそういう風にみえたのかもしれない。大人たちが平然としていたのは、そういう事なのかもしれない。

※画像はイメージです。

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