沖田総司と言えば、幕末明治維新で京都の街の治安維持のために働いた「新選組」副長助勤一番隊隊長として有名です。新選組局長近藤勇、実質的に新鮮組を切り回していた副長土方歳三の信頼も厚く、天然理心流免許皆伝の腕は一流だったよう。
沖田総司はアイドル?
映画やテレビドラマでは、美男俳優が演じることと決まっていて、熱烈な女性ファンも多く、池田屋事件のシーンでは斬られた志士たちが階段を転げ落ちるという有名な階段落ちのシーンと共に、沖田が肺結核を発病して喀血するシーンは不可欠となっています。
沖田は肺結核のために後半は活躍できず新選組屯所で寝たきりだったらしく、鳥羽伏見の戦いにも参加せずに軍艦で江戸へ帰還後、千駄ヶ谷の隠れ家で25歳で病死しています。
幕末明治維新では、幕府側も薩摩、長州、土佐の志士たちも、名前を覚えるだけでも大変なほどの大勢の人物が輩出して活躍しましたが、客観的に見ても沖田はそれほどの業績はなく、歴史上の人物としては小物っぽいのに、なんでアイドルのような位置にいるのか不思議に思われるのではないでしょうか。
燃えよ剣が原因?
沖田総司の印象が激変したのは、司馬遼太郎著「燃えよ剣」だったと言われています。
この作品では、剣の達人でありながら、子供っぽく冗談好きな人懐っこい若者として描かれ、京都の街を荒らすテロリストの長州藩士らから、局中法度を破った隊士、脱退した隊士まで斬りまくった新選組の中心的存在だったのにもかかわらず、唯一人間らしい優しさを持った若者というイメージでした。
長身ではあったものの美男かどうかは不明、しかし若くして肺結核で亡くなるという悲劇は、沖田をより美しく見せるアイテムとなったはずです。
「燃えよ剣」はドラマ化もされ、美男俳優が演じたところ、当時の女性達にものすごいブームが起こり、沖田研究家の女性も登場し、関連本も多数出版され、主役級の扱いになりました。
おそらくは歴史上の人物がアイドルになった最初であったのではと思います。
NHKで特集番組が出来たほどだったそうですが、「燃えよ剣」と「新選組血風禄」で沖田像を作り上げた司馬遼太郎氏はこのブームには一切登場せず、コメントもされなかったそうです。
司馬遼太郎氏のお話
私、司馬氏の講演を聞きに行ったことが2度ほどあるんですが、司馬氏は主催者が用意した演題を全く無視してそのときに興味を持っておられる話をされるのが常でした。
司馬氏が「燃えよ剣」を書かれたのは1960年代初めで、「新選組」がブームになったのは1970年代、当時は「翔ぶが如く」で西南戦争について長編を執筆中だったこともあり、いまさら新選組なんて、と思われたんじゃないかと推察します。
戦国時代や明治維新の激動のややこしい時代の変革期を、色々な立場の人物から描いてわかりやすく伝えておられたのに、全然変革と関係ない沖田総司のブームなんて知らんで~というのもあったかもしれません。
現在に至っても沖田総司は偽写真も出回る人気ぶりですが、当時の女性達の熱狂ぶりと司馬氏の冷めた塩対応、最初の歴史アイドルの誕生秘話として残しておくべきじゃないかなと思いました。
featured image:https://bakumatsu.org/events/view/410 Public domain, via Wikimedia Commons
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