太平洋戦争時、旧日本軍の作戦中で最も悲惨な闘いと言われたインパール作戦。
なぜ行われたのか、インパール作戦の目的や敗北の原因を考察します。
1942年5月
1942年5月、日本軍はビルマ全土を支配し同地よりイギリス軍と中国国民党軍を追い払った。
ビルマ作戦の目的は、マレー半島、ジャワ、スマトラの資源地帯をイギリス軍の攻撃から守ることと、中国国民党軍と連合軍の補給路を断つことにあった。
日本はイギリスをビルマから一掃したが、イギリスはインドでの軍の再建計画を進めていた。また補給路を断たれたはずの中国国民党軍がインドからヒマラヤ山脈を超えて雲南省へ送られる航空ルートを開発していたのであった。日本軍はイギリス、中国連合軍の反攻に備えて限定的な攻撃を行うべきと考えたのであるが、ソロモン諸島方面での戦局の悪化や補給路の確保が難しいことから作戦は延期となり、実行されることはなかった。
危機感を抱いた日本
その間のイギリス軍は着々と兵力を増強しており、1943年の終わりには15個師団もの兵力をビルマ国境に集結させていた。
この状況に危機感を抱いた日本はビルマ方面軍を編成、第15軍司令官に牟田口廉也中将が就任した。
第15軍はイギリス軍が集結するインパール方面へ3個師団で攻撃、イギリス軍を殲滅し航空基地と補給所のあるインパールを占領する作戦計画を立てた。
だが問題はインパールが山岳地帯に囲まれた盆地であり、自動車が通行できる道が少なく補給が困難であった。
牟田口中将はビルマ攻略の成功体験からイギリス軍はくみしやすいと考えていて、作戦が開始されると日本軍はイギリス軍を包囲したのだが、イギリス軍の戦車と大砲による予想外の反撃で包囲を狭めることができず、日本軍は退却するしかなくなる。山中での移動が困難になる火砲や機関銃を減らしていたので、火力で対抗できなかったのだ。
さらにウインゲート空挺部隊が、背後に降下し大大混乱に陥った。
原因は日本?
イギリス軍は火力で日本軍を圧倒し、インパールに物資を蓄積していた。
その反面、日本軍は補給が届かず物資を消耗しつくし、既に薬も食料もなく予備兵力も枯渇、部隊として機能していなかったが闘い続けるしかなかった。
日本軍の失敗の原因は戦争中に共通して言える敵に対する軽視を始め、火力の劣勢や補給を軽視した思考にあったと言える。
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