1848年にニューヨーク郊外のハイズビルで産声をあげた心霊主義は、ヨーロッパに飛び火したのち、19世紀後半から20世紀初頭にかけてブームの最盛期を迎えた。
心霊主義とは、ありていに言えば「霊魂との交信は可能」とする考え方とその実践である。ヨーロッパのブルジョワサロンでは人々がセッション(降霊会)を開き、霊媒を介して死者とのコンタクトをとることに夢中になった。人間の死後存続を多くの人が信じていたのだ。
このブームは、心霊主義の信奉者だったエミリー・ハッチングが友人のパール・カランにウィジャボード(海外版のコックリさん)を勧めた1912年当時もまだ盛んだった。ほどなくして、二人は霊からのメッセージを受けとるようになる。
ペイシェンス・ワースは、パールが交信した女性の霊とされる。ペイシェンスの霊体はウィジャボードを通じて、みずからの言葉を本にして出版することを望んだ。
わが名はペイシェンス・ワースなり
1912年のある夏の午後、米ミズーリ州セントルイスで二人の女性がウィジャボードに興じていた。一人はエミリー・ハッチング、もう一人はパール・カラン。いずれも夫は実業家で、裕福な暮らしぶりである。
ところが、肝心のウィジャボードは何度やってもうまくいかない。指示器はなかなか動いてくれないし、やっと動いたと思ったら、でたらめな文字を指し示す。
1年がすぎた1913年6月22日、二人は飽きもせずにボードと向き合っていた。
しかし、この日はいつもと違った。指示器が“PAT”という文字列を数回なぞったあと、初めてまともな言葉をつづりだしたのだ。文字を書きとめていた友人ができあがった文を読みあげると、どっと笑いが起こった。
「やれやれ、手を動かしたのはどっちだい?」
「そんなことしてないわ。これが勝手に動いたのよ!」
「パールじゃないなら、やったのはエミリーね。正直に白状しなさいよ」
「本当に動かしてないったら!」
とりあえず続けてみると、今度は詩のような散文が届いた。
「疲れた心よ、休め。
陽の光だけが神殿を照らすように。
一筋の光が凍える魂を温めるように」
7月8日には、こんなメッセージを受けとった。
「あまたの月過ぐる日々、われは生きたり。
われ、ふたたびここに来たれり。
わが名はペイシェンス・ワースなり」
なんだか古めかしくて仰々しい。大昔に生きていた人の霊だろうか。パールが宙に向かって問いかける。
「あなたの名前はペイシェンス・ワースというのですね。ペイシェンスさんは今、どこにいらっしゃるの?」
「海の彼方」と指示器が示した。
「海の彼方? どこのことですか?」
ふたたび指示器が動いた。
「わたしのことはいずれわかる。過去を問う必要はない」
ここまで仕事をすると、指示器はぴたりと動きを止めてしまった。
それでもパールとエミリーは満足だ。1年かけて、ようやく霊が応えてくれたのだから。
死者が小説を書く
それから数か月、ペイシェンス・ワースなる霊はあらわれなかった。
しかしある日、なぜか突然戻ってきたのだ。それからというもの、毎日のようにメッセージが届くようになった。
その量はこれまでとは違い、膨大である。慣れてくると、ウィジャボードを介さずに対話ができるようになった。テーブルの上に紙を置き、ペンをもつと、パールの手が勝手に動いて自動的に文章をつづっていく。それは詩であったり、小説であったり、機知に富んだ警句であったりした。
やがてペイシェンスが自身の言葉を本にして出版することを望んだので、パールはそうした。以降25年の長きにわたり、この自動書記から小説、詩編、散文が生まれていった。書籍を出版するにあたって、もちろんパールはこれらが「大いなる彼方」から届けられた作品であることを告白している。
新聞で特集も組まれ、一躍有名人になったペイシェンス・ワースとパール・カラン。が、その作品群は当然のように論争を呼ぶことになる。霊との交信によって創られた作品を文学として高く評価する専門家もいれば、その逆もあったからだ。
ペイシェンス・ワースとは何者か
ペイシェンス・ワースは「過去のことを聞く必要はない」と告げた。それでも、何千回にもおよぶ対話のなかでパールが根気強く問いかけを重ねた結果、断片的ではあるものの、人となりが少しずつみえてきた。
1650年前後にドーセットシャーで生まれた英国人であること。機知に富み、詩的で想像力豊かな女性であったこと。独身で、田舎の村で暮らしていたが、まもなくアメリカに移住したこと。長い航海の末にニューイングランドに入植し、そこでネイティブ・アメリカンに喉をかき切られて死んだこと。クエーカー教徒であったこと。
なるほど、彼女の故国は「海の彼方」である。
メッセージには時おり意味不明な言葉が混じるが、それらはペイシェンスが生きた時代のイギリスの方言であることも判明した。
ペイシェンス・ワースの予言
いつしかペイシェンスは気心の知れた女友だちのような存在になった。
クリスマスを間近に控えたある日、パールはちょっとしたいたずらを思いつく。自分のためにエミリーがプレゼントを用意しているのを知っていたので、そのプレゼントがなんなのかをペイシェンスに当ててもらおうと考えたのだ。返ってきた答えはこうだった。
「15。ただし、ひとつは役立たず」
クリスマス当日、配達されたプレゼントを開けてみると、中身はキッチンのジャーの15個セットで、そのうちのひとつは割れていた。
エミリーもパールからのプレゼントをペイシェンスに訊いてみた。
「テーブルまわり。十字縫い」
届いたプレゼントはクロスステッチの入ったテーブルクロス。こちらも見事に当たりである。
人生についてのアドバイス
1916年8月のある日、パールがいつものようにペイシェンスと交信していると、これまでとはちょっと違うメッセージが届いた。
「あなたに養子縁組をすすめます」
ペイシェンスが私生活のことに触れるのははじめてだ。しかも、あれやこれやと養子の条件までだしてくる。
パールには子どもがいない。夫と相談した結果、提案を受け入れることにした。
ほどなく夫妻は孤児院にいた女の子を引きとって養女に迎え、ペイシェンスと名づける。親子三人の新しい生活がはじまった。
「大いなる彼方」の母親も、どうやら新しい家族がお気に召したらしい。小説の印税を教育費に充てるように、とまで言ってくれたのだ。
月日は流れ、1922年。
パールは39歳ではじめて子どもを授かった。しかし喜びもつかの間、夫が病死してしまう。悲しみにうちひしがれる彼女を支え、励まし続けたのは「大いなる彼方」の友だった。
これからは女の細腕で娘たちを育てていかなければならないが、自分には心強い友がいる。この子たちには二人の母親がいるのだから、きっと立派に育てられる。
ペイシェンス・ワースと出会えた幸運に感謝した。
ペイシェンス・ワースが消える
1934年、19歳のペイシェンスが結婚することになった。海の向こうの母親はたいそう喜び、祝福の言葉を送る。
ところが、パールと娘たちの幸せな日々は唐突に終わりを告げる。
それは1937年11月のことだった。ウィジャボードを通じて、ペイシェンスから衝撃的なメッセージが送られてきたのだ。
「もう、道は尽きた」
この言葉を最後に、彼女はパールの前から永遠に消えてしまった。
あくる12月、パールは風邪をひき、それが悪化して肺炎を発症し、あまりにあっけなくこの世を去る。
それから現在にいたるまで、ペイシェンス・ワースの降臨は確認されていない。
謎解きに挑む
正真正銘のゴーストライターが「大いなる彼方」から小説を書く。ペイシェンス・ワースとパール・カランの物語をどう解釈すればよいのだろうか。
心霊主義の立場では、自動書記は憑依現象のひとつと考えられている。すなわち、霊は霊媒を仲立ちとして意思伝達や創作ができるという見方だ。
かたや科学的な立場では、自己催眠の一種として説明されることが多い。なかには統合失調症や解離性同一性障害(多重人格障害)など、なんらかの病的要因が潜んでいたり、薬物を使用していたりするケースもあるようだ。ウィジャボードやコックリさんの原理は、筋肉の無意識の動き(観念性運動)と説明される。
死者が書いた小説などありえない。霊も霊との交信も、パール・カランの作り話にすぎない。懐疑論者はそう反論した。その一方で、ペイシェンスの霊は実在し、パールを通じて多くの作品群を残したと信じる人もいた。
17世紀のイギリスに住み、アメリカに入植してネイティブ・アメリカンに殺されたクエーカー教徒の女性は本当にいたのだろうか。
ペイシェンスの足どりをたどる調査も行われたが、戸籍資料や渡航資料は残っておらず、彼女を特定するにはいたらなかった。これまでに多くの科学者や心理学者が自動書記の偽りを暴き、詐術を証明しようとしたが、誰も成功していない。
著作者は誰?
ここでひとつの疑問に突き当たる。自動書記による小説において、作者と呼べるのは誰なのかということだ。AIが普及した今、いろいろ考えさせられる。
個人的には、創作作品の作者は人間でなければならないと考える。これを軸として、その行為がなければ作品が存在しない人物は誰かを考えると、ここではパールということになる。少なくとも脱稿の時点では、著作権はパールに帰属すべきではないか。
ペイシェンスは生まれ変わりなど存在しないと語ったが、彼女の作品には「再生」と「帰還」、今でいう「リサイクル」といった事柄がくり返し言及されているという。彼女が言うには、これらは宇宙の法則であり、神の計画なのだそうだ。
ペイシェンスはパールの高次の魂だったのだろうか。パールの過去世から未来世までを見渡せる、オーバーソウルのような存在だったと解釈するのが妥当かもしれない。
featured image:Pearl Curran, Public domain, via Wikimedia Commons
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