私は昔から負のエネルギーに敏感で、感受性が豊かです。この世を去る人々のエネルギーが、徐々に失われていく様子を感じ取ります。医療現場での経験から、夜勤中にはあの世からの訪れに直面することが多くありました。若い頃は、夜勤のたびに死後処置を行うことに悩んでいましたが、看護師長さんから、人生の最期に寄り添うことができるのは素晴らしいことだと教わりました。
この世からあの世へというテーマは、死や死後の世界に関する深い哲学的、宗教的な問いを含んでいます。死の瞬間は、多くの人にとって未知の体験であり、文化や信仰によってさまざまな解釈がなされています。一般的には、死の瞬間には身体的な変化や意識の変化が伴うとされています。多くの人が、死の瞬間に特有の感覚や思考を経験することがあると報告しています。例えば、過去の思い出が浮かんできたり、光を見たりする体験が語られることがあります。
私は浮遊霊に出会うことがあります。浮遊霊とは、物理的な体を持たず、特定の場所や人の周囲に漂っている霊的存在を指します。多くの文化や宗教では、浮遊霊は死後の存在や未練を持つ魂として描かれます。浮遊霊に関する信念や伝説は地域によって異なりますが、未練や執着が原因とされることが多いです。例えば、突然の事故死の場合、その場所で引っ張られるように事故が繰り返されることがあります。特定の場所に存在することが多い浮遊霊は、その場所に関連する思い出や感情を持っていることがあります。例えば、病院で苦しんでいた患者さんの霊は、病院に現れることがよくあります。浮遊霊は時には人間に影響を与えたり、コミュニケーションを試みたりすることもあります。
私は30代の頃に何故か子狐がついていると言われた事があります。そして、熊野古道にいきなさいと言われました。私は車で何時間もかけて、福岡県から熊野古道に行きました。そして、出家したいと感じました。現実逃避なのかもしれませんが、自分が自分でないような感覚になってしまいました。
出家とは、世俗の生活を捨て、仏教の修行をすることです。出家をする人は僧侶と呼ばれ、お坊さんは僧侶を指す親しみを込めた呼び方です。
しかし、私は家族や友人といった世俗的な生活を完全に捨てることまでは考えていませんでした。以前の名前を手放し、新しい名前を持ちたいとも思いません。一生涯、家族や財産を持たないとも思っていません。出家するためには、親などの承諾が必要です。また、僧侶は寺院での修行だけでなく、厳しい戒律を守ることも求められます。
出家に関連する言葉として「在家」があります。在家とは、出家せずに日常生活を送りながら仏教に帰依する人々を指します。出家という言葉の本来の意味は、第二の人生への積極的な再出発とも言われています。私は、再出発が必要だったのかもしれません。熊野古道では、現実の社会生活に帰りなさいと言われたのです。とても、不思議な体験ですぐに車で福岡県まで帰りました。
熊野古道とは、紀伊半島南部にある熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)を巡る参詣道で、ユネスコの世界遺産に登録されています。熊野古道は、伊勢や大阪・和歌山、高野、吉野などともつながっており、範囲は広く、伊勢路、紀伊路、小辺路、中辺路、大辺路など5つの道があります。古くから神々が棲まう聖地として崇められ、来世の幸せを神々に託すという信仰が生まれました。平安・鎌倉時代には、上皇、武士、庶民など多くの人が厳しい道のりを越えて熊野を目指しました。
熊野古道は、古代から続く、全ての人を受け入れ共に生きる精神、そして、それらを育んだ熊野の自然や人々の営みが世界遺産の目指す「世界平和」の精神と共鳴したことで世界遺産に登録されました。
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