来訪神とは年に一度、年の変わり目や季節の変わり目に人々のもとへやってくる神様です。
代表的な存在は秋田県男鹿市のナマハゲですね。
事実、有名な来訪神、ひいて子供たちなどを来訪神に見立てた行事はたいてい小正月に行われています。
しかし来訪神は年の瀬や年明けだけでなく、日本全国で見れば年がら年中訪れていることはご存知でしたか?
今回は季節外れ(?)な来訪神たちについて取り上げていきます。
春彼岸の獅子たち、会津の彼岸獅子
来訪神というよりも年中行事といったほうが正しいかもしれませんが、市内を練り歩く、豊作と家内安全を祈る、異形の出で立ち、という点では、福島県会津若松市の「彼岸獅子」たちも来訪神といっても過言ではありません。
「彼岸獅子」とは春彼岸、つまり3月20日および21日になると3匹の獅子が一組の踊り手となって太鼓や笛の音とともに舞を披露する獅子舞です。
その見た目は、頭には獅子頭、体には鳳凰を染めたあわせ着物、腰には小太鼓、両手にはバチ、となっています。
そんな獅子たちの舞は3人舞と1人舞の2種類があり、さらにそこから細かく演目が分かれていますが、彼岸獅子の舞は口伝で受け継がれるのが基本です。
そのためというべきか、失伝してしまった舞もあり、そちらは現在も資料をかき集めて復元にいそしんでいるとか。
実は彼岸獅子たちは、2013年の大河ドラマ「八重の桜」で戊辰戦争のシーンで出演したことがあります。
官軍に攻撃されず、鶴ヶ城に入城するために取った奇策で獅子たちは出てきましたが、その一団の年齢は30~11才。
ほとんどが10代の子供ばかりなんですよね・・・時代とはいえ、すごい話です。
そんな会津の彼岸獅子ですが、その由来は諸説あり、
- 鎌倉とゆかりがある源頼義と、足利尊氏先祖の義家が家臣を鼓舞するために舞った
- 八幡神の分霊を会津へ勧請するために義家が舞った
など言われていますが、調べたところ由来については断言できる資料や情報はなく、うやむやになっています。
けれど長い間、時代とともに地元を守り、守られてきたことには変わりありません。
夏にあらわれる謎の神、宮崎県のイブクロ
宮崎県新富町には夏祭りが執り行われる7月27日と28日になると神輿の先導役として「イブクロ」という神様が町を練り歩きます。
この神様は、赤いお面と白い仮面をかぶった夫婦神(赤が男神、白が女神)、青竹の棒を持っている、笠、お面、胴着をつけている、青竹の棒は音を立てながら引きづる、その理由は土地にいる悪いものを祓うため、棒で参列者や子供の頭や背中を軽く叩けば、無病息災と子孫繁栄のご利益があるなどが特徴的です。
さて、「イブクロ」の由来ですが、これもまた諸説あり、
・昔は袋や籠を背負っており、その中に訪ねた家の者が差し出した野菜や米などをなんでも入れていたから、その様子から「胃袋」と名付けられた
・背負っていた袋や籠を「弓袋」と呼んでいたが、それがなまって「イブクロ」となった
・神様の胃袋を満たすため
といったように定かではありません。
いずれにしても昔はけっこう無礼講できたようですが、今は穏やかな神様になったようですね。
なぜ来訪神は年末年始に訪れるのか?
このように春のお彼岸や夏祭りに来ることもある来訪神ですが、やはり来る時期は年末年始のイメージがあります。
それは何故か?
単純に考えれば年末年始ほど特別な時期がないからでしょうか。
たしかに春のお彼岸も夏祭りも特別な時期ではあるものの、春のお彼岸ならぼたもち、夏祭りなら花火や盆踊りなど他のイメージに潰されている気がします。
その点、年末年始は人間にとっては多忙な反面、休む日々が続く期間。
そんな時間に不思議な存在があらわれてほしいと思ったのかもしれませんね。
特別な日は特別な思い出が欲しい、そんな祈りから来訪神は生まれたのかもしれません。
来訪神といったら
来訪神といったら年末年始に訪れるイメージがありますが、日本全国を見渡すと福島県の彼岸獅子や宮崎県のイブクロのように季節外れに思える時期のまれびともいます。
そうした来訪神を調べると、その土地ならではの風土や歴史が感じられますね。
同時に年末年始でも地元でしか分からない特別な季節でも、来訪神たちが慕われている光景は見ていてほほ笑ましいものです。
どうかこれからも来訪神たちが日本にいますように。
※画像はイメージです。
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