日露戦争は実は非常に危うい勝利だった

日露戦争は世界の大国ロシアにアジアの小国日本が勝った事で、特に国内では今でも手放しの称賛で迎えられていますが、
その実態はほとんど奇跡といって良い程で、例えれば雨風吹き荒れる中での綱渡り的な非常に危うい勝利だったのです。

日本海海戦の完勝も危うい勝利だった

日露戦争勝利に大きく寄与した日本海海戦の大勝利は、露バルチック艦隊が、極東への遠征端緒に起こしたドッガーバンク事件による英国の干渉で、遠征途中の補給・訓練・休養に支障をきたした事が大きく影響しています。
この事がなければバルチック艦隊が全滅せず、戦力が残った可能性があります。

また日本海戦の前哨戦である露軍太平洋艦隊との海戦も、陸戦の露軍旅順要塞攻略がもし成らなければ勝利は可能性が低くなります。
旅順要塞は、露国満州軍総司令官クロパトキンが「これを陥れるには、欧米最強陸軍でも3ヶ月はかかる」と豪語していました。

■ アレクセイ・ニコラエヴィッチ・クロパトキン
Албум “Почетните граждани на Ловеч” [Public domain], via Wikimedia Commons
この言葉は、しかるに極東の弱小国日本の軍隊などに攻略は不可能であるとの自信が込められています。
この堅固な要塞を日本軍が短時間に攻略した事は、当時の欧米列強国が悉く驚愕したという程の奇跡的事態でした。

太平洋艦隊の戦力が旅順要塞に守られる旅順港に温存されてバルチック艦隊と合流していれば、果たして日本海海戦の結果はどうなっていたのでしょうか。
一歩間違えば日露戦争全体が長引き、戦争の延長は後に述べる理由で重大な結果を招く要因になります。

ロシア革命の前触れ

ロシア国内では、日露戦争中の1905年にロシア革命の走り「血の日曜日」といわれる民衆のデモと軍の衝突が起こっています。
以後ロシア国内は革命に向かって情勢の混迷を深めていきます。

つまりさすがの大国ロシアも対外戦争を維持していく余裕が無く、講和の席に着きました。
もしこの様なロシア側の事情がなければ戦争の終結が成ったかは限りなく不透明です。

戦争継続の日本の国力は皆無だった

日露戦争近く(1903年)の日本の国家予算は約2億6千万円。
これに対し戦費総額は約18億3千万円と国家予算の7倍余りという膨大な金額になっており、その7割以上の13億円は外債で調達しています。
当時、政府が調達目標とした外債の金額はたったの1億円です。結果は大蔵大臣高橋是清の活躍で大幅に上回わりました。

もしこの外交的成功がなければ戦争の行方はどうなっていたのか。
いずれにしてもこれ以上の戦費調達は不可能で、従って戦争継続も全く不可能だったのです。

結論

この様に日露戦争を取り巻く様々な当時の事情を精査していくと、奇跡的、幸運という形容詞が付くべき事柄が満載です。
そのどれ一つとして欠けても戦争が長期化し、その結果は国力を失った日本が戦争継続の方策が破れてじりじりと後退して最終的に破綻するするという、太平洋戦争で経験した敗戦が日露戦争でも出現していたかもしれません。

日露戦争の勝利は事程左様に、非常に危うい勝利だったと言わざるを得ません。


歴史大好き爺さん
歴史大好き爺さんです。
歴史上の事件は、細かくその出来事そのものや取り巻く当時の状を調べると、その事件の意外な真相が見えてきます。
それは、巷間伝わっている情報とは微妙に、ときには大きく異なっている事が少なくありません。
「ヘ~そうだったんだ」という意外感。これこそが歴史の面白さだと思っています。

※画像はイメージです。

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