制帽を脱ぐのが面倒だったのでしょうか?
敬礼とは
敬礼といえば軍人・警官などの挙手敬礼をまず想起するが、コトバンク(kotobank.jp)では敬礼とは、「敬意を表して礼・挙手をすること」と説明されており、握手・お辞儀なども敬礼の一つである。
例えば自衛隊では挙手敬礼は着帽時の敬礼で、脱帽時には姿勢を正す敬礼、または45度または10度の敬礼、つまり直立不動の姿勢やお辞儀で敬礼を行う。
その他にも、軍人以外の文官における握手、神社仏閣での参拝作法や、武士や騎士が行う「跪き」なども敬礼であり、挙手敬礼は敬礼の一形態である。
挙手敬礼いろいろ
挙手敬礼も一様ではない。
その国または軍隊の歴史や成り立ちによって、微妙に形が違っていることがある。
ローマ式
古代ローマでは敵意がなく武器不所持を表明するために、頭上に片手を掲げたと謂われている。
世界を制覇したローマ帝国に倣ってイタリアのファシスト党がこの形を敬礼に取り入れ、ドイツでナチス式敬礼となった。
欧米の多くの国では現在はタブー視されており、類似形である日本の選手宣誓や学校などでの平手挙手は国によっては要注意。
ポーランド式
人差し指と中指を伸ばして親指薬指小指を握る二指敬礼。
ボーイスカウトでは薬指も伸ばす三指敬礼となる。
共産式
共産国の一部で行われる、指を伸ばさず拳を握った形の挙手敬礼。
脇を閉めた敬礼
旧日本帝国海軍の敬礼は、艦内が狭いので肘を張らず脇を閉めていたと流布されているが、狭さゆえに自然とそうなる場合もあっただけで制式ではなく、海軍軍人の肘を張った敬礼の写真が多く残っている。
手の平を見せる敬礼、隠す敬礼
イギリスやフランス陸軍の挙手敬礼は防止のツバに充てた手の平を相手に向けて見せ、イギリス海軍などでは手の平を隠すように自分に向ける。
武器不所持の表明として手の平を見せ、一方、石炭・石油・機械油などで汚れた手を見せる無礼のない様に手に平を隠すという説がある。
挙手敬礼の起源
お辞儀・握手・跪きなどの敬礼は、上位者や敬うべき存在に対して行う、人間の本能的で自然な動作からの派生だろうと推測できる。
しかし挙手敬礼の形はそんな人間の本来的動作に直結しているとは考えづらい。
挙手敬礼はどう形成されたのか。その由来には諸説ある。
ヨーロッパ騎士の甲冑説
中世ヨーロッパの騎士は鉄製鎧で頭部顔面を含め全身を覆っており、必要な時に顔面部分の面頬(バイザー)が上に開く仕組みになっていた。
顔を見せるために手で面頬を持ち上げるこの動作が原型。
武器不保持表明説
武器を待たず攻撃の意思のない事を証明するために、何も持たない手を挙げて相手に見せる動作が起源。
脱帽敬礼説
ギリシャ・ローマの時代の軍船上では後甲板の祭壇に対して脱帽敬礼する習慣があり、17~18世紀のヨーロッパの軍隊では上位者に対する敬礼として脱帽が必須だった。
社会全般には今でも挨拶や厳粛な場では脱帽するのがマナーであるが、軍隊では19世紀半ば頃からこれが簡略化されツバに指を添えるだけとなった。
例えば1882年の英海軍規則では「敬礼は帽子に手を触れるか、脱帽により・・・」となっており、1889年にはビクトリア女王の意向で挙手敬礼に完全移行した。
当時の軍帽は現代のキャップ型制帽ではなく、飾り付きで複雑な形だったので脱着は面倒だったのかもしれない。
起源複数説
500万年の人類の歴史上、人間集団は地球上の様々な地域でランダムな時期に発生し、それぞれ独自に発達した。
その過程で上下関係が形成されて敬礼という動作が始まったが、それは無数の集団毎に様々な形があった筈である。
それらの形は互いに影響し合い、融合し、あるいは消滅し、再登場するといった事を何万年と繰り返しながら、現在の敬礼に収斂されたと推測できる。
一方で人間集団の形成は他集団の武力衝突を生んだ。
集団が巨大化複雑化すると武力衝突も大規模で複雑になり、これに対応する武力専門集団が生み出された。
軍隊である。
一般集団内にありながら特別に区分された集団である軍隊では、敬礼も独自変化を遂げて挙手敬礼が定着したのではないか。
人類歴史上創設された無数の軍隊において、挙手敬礼の起源を唯一に限定することは逆に無理があり、起源が複数存在したと考えるのが自然ではないだろうか。
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