「TRILL」2025年5月14日記事に、遺骨を残さず灰にしてしまう「焼き切り」の話題が出ていた。
「墓地を不要と考える人が増えている」という文脈の中での話である。
こうして焼かれた灰が風に吹き飛ばされ、やがて消えてしまうイメージを、かつてのヒット曲の「千の風になって」と結びつけて記事は締めくくられている。
だが「風になる」という良さそうなイメージだけでこのような事をして、大丈夫なのだろうか。
具体的に言えば、この葬儀法は、死後の自分にどのような影響があるのだろうか?
文明を生み出す葬儀
文明を築く前、人間は死んだ時、他の動物と同様に放置されていた。
他の獣や虫、菌類などがこれを食べ土に戻し、骨のカケラもやがて消えた。
人間の子孫は、祖先を喰って成長した獣を狩ったり、排泄物から出来た土で成長した植物の実などを食べて育ち、老いて死んでいく。
食物連鎖の中に、上手く入り込んでいたと言って良い。
人が住居を作り、定住生活をするようになると、死体を放置しておく事はリスクになった。
人を害する肉食獣を呼び寄せるし、感染症の発生源にもなった。腐敗による悪臭も生活の質を大きく下げる。
逆に言えば、腐敗臭を気にしない個体は、淘汰されていった。そして、同族の死体を忌避する性質を持った個体群の中で、墓所が発明された。
死体の家を定め、生きた人間の暮らしはそれと切り離された。
死を遠ざけた一方、祖霊として崇拝する考えも起きた。
たとえ死んでも、崇拝が得られるという考えは、個ではなく、社会全体の利益のためという行動様式を生んだ。
これによって、人間は社会性という巨大な力を持ち、数を増やし、文明を発展させ、他の動物を圧倒した。
人間の発展には、葬儀が一役買っていたと言って良い。
死体の機能
死体を安全に墓所に収めるため、大きく分けて2つの方法が採られた。
肉ごと埋める土葬と、骨や灰にしてから埋める火葬(鳥葬、殯なども含める)である。
土葬は分かりやすい。
故人がその場所に、生前に近い姿のまま、丸ごと埋まっているからだ。
復活の概念とも結びつきやすいだろう。ユダヤ教系や古代エジプト系がこの考えだ。
一方、火葬はもう少しイメージを広げる必要がある。
立ち上る煙は神々の住まう天に昇る魂をイメージさせ、遺骨は何かしら神聖さのある結晶として、墓地に葬られる。
空は曖昧で薄まった感じがするため、遺骨のある方の墓所に頭を下げる事には、さほど違和感がない。
だとして、死体を焼き切り、散灰され「千の風」になった場合、どのように考えたら良いだろう。
魂が実在し、死後の世界や転生があると考えた場合、死者はどんな扱いになるだろう。
輪廻転生の世界観では、墓も遺骨も意味は限りなく薄い。
輪廻から解脱したり、深淵に永遠に囚われるパターンを除けば、魂は輪廻転生して次の一生を歩む事になる。
転生後は新たな肉体を得ているため、前の肉体を気に留める必要がない。
どんな前世占い師も、「前世の葬り方が悪かったので、直して貰いなさい」とは言わない。ただし、魂が現世に上手く転生出来ず、すなわち地獄道や餓鬼道で迷っている時は、現世から墓を通じて魂にアクセス出来る場合がある。
盂蘭盆会や施餓鬼会は、餓鬼道に堕ちた人に飲食物を施す儀式であるとされる。
この時の墓には、何かしらが入っていた方が良いだろうが、それが灰の方が良いか骨の方が良いかは判然としない。
出来るだけ量が多い方が良さそうだが、そもそも火葬した遺骨は多くて3kg程度、元の肉体の1/10もない。
「ある程度集まっている」というイメージがあれば良いという事になる。
イメージというと曖昧なようだが、オカルトの文脈では精神は物理へ影響を与えうるため、決して非力なものではない。
要約すると、あなたが輪廻転生を信じており、餓鬼道などに堕ちる可能性がないなら、焼き切りで千の風になっても問題ない。
千の風になるなら、神社を建てよう
もっとも、これはあくまで仏教における世界観だ。
あなたが「千の風になれる」と固く信じている場合は、なれると思えば良い。だが、それ以外の宗教イメージを死後に対して持っているなら、すりあわせが必要だ。
自分で宗教世界を考えるのが難しい場合は、神道などのアニミズム系がアナーキーで便利だ。
「千の風になる事」は、すなわち神道でいう八百万の神々の1柱になる事と考えれば良い。
天神様と同じ感じの、人由来の神様だ。
「千の風になって」の原案「Do not stand at my grave and weep」(通称)は、本来ユダヤ教徒にあてた詩であるが、それも気にする必要はない。
この時、墓は当然必要がない。
遺族が祈るために必要なのは神社である。
コンパクトにすませたいなら、神棚で良い。
遺族が存在する場合、よくそこのところを含めておくと良い。
遺族がおらず、忘れ去られて良いと思うなら、特に何か気にする事もない。
八百万の神々の中には、思い出されない神も無数にいる。同類が多くいると考えると、結構気分が落ち着くものだ。
これは神でも人でも同じ事だ。
思った事を何でも!ネガティブOK!