2024年の末にドラゴンクエスト㈽のリメイク版が発売され、実況動画界隈に一時期ドラクエの波が来ていたようだ。
ドラゴンクエストのシリーズの顔といえばスライムだろう。
この「モンスター」は、何かしら伝承に現れる存在なのだろうか?
そして、日本には存在したのだろうか。
スライムの起源
スライム(slime)は、ネバネバした粘液を意味する英単語で、形容詞がスライミー(slimy)である。
ネバネバヌトヌトして気持ちの悪い、ナメクジの這い跡に残るような不快なものというニュアンスを含む。
当然、この粘液に「生きて動き回る」というニュアンスは本来なかったが、単細胞生物の「アメーバー」、群体となって(比較的早く)動く「粘菌」など、泥が動いて見えるような生物は存在する。
加えて、菌が増殖して腐敗した物体がしばしば糸を引く様子も「スライミー」な状態と言える。
だが粘菌らの動きは「スライム」のように、肉眼で感知出来る早さはない。
これを最初にモンスターとして描いたのは『ウィアード・テイルズ』誌掲載の中編小説『OOZE(ウーズ)』(著:Anthony M.Rud)であるという説がある。
この時のスライミーなモンスター「ウーズ」は、異常成長したアメーバーである。物理的なダメージが効かず、餓死させるしかない恐ろしい生物と描写された。
同じ『ウィアード・テイルズ』誌掲載陣だったからか、元々そういった発想があったのか、H.P.ラヴクラフトも『狂気の山脈にて』で「ショゴス」を描いている。
こちらは漆黒に玉虫色に光り泡立つ粘液状物質だが、アメーバーとは全く異なり、多数の目が付いている。
形状が安定しないという事であれば、ニャルラトホテプも当てはまり得るし、フォロワーの創作したものの中にも不定形のものは出て来る。
ゲームへの登場はテーブルトークRPG「ダンジョンズ&ドラゴンズ(D&D)」のダンジョンに現れる不定形生物「ウーズ」が最初期とされる。コンピュータゲームでは、D&Dを原案とする「ウィザードリィ」に登場し、ここで「バブリースライム」の名が与えられている。
先述したドラクエも、原案はウィザードリィを踏襲している。あの涙滴形デザインは、途中で何かしらやり取りがあった可能性もあるが、恐らくモンスターデザインした鳥山明の独自解釈であろう。
不明の恐怖
ここまで来て、スライムの定義が曖昧になってくるが、それは無理もない。
スライムは粘液、ゲル状であり、元々不定形のモンスターだからである。
人間が恐怖を抱くものの基本は、「不明であること」である。だからこそ人は、不明が多い暗闇を恐れる。不定形のスライムの場合、どんなに明るく照らしても一体どういったものか分からない。「不明」が継続してしまう。
ホラー文学のモンスターに打って付けだったと言える。
D&Dでもウィザードリィでも、ダンジョンに現れる、不気味で不快な粘液である。
これを、ドラゴンクエストが青空の下に引き出し、元気に動き回るモンスターにした。
比喩ではなく、青空背景で初登場する。
当初は「粘液状で窒息させる」といった説明もあったが、シリーズが進んで表現力が上がった後は、形をほぼ維持したまま「跳ねて」いる。グミかゴム程度の強度がないと説明出来ないアクションだ。
ゲームブックの中には涙滴形から「タマネギのモンスター」と誤解した筆者がいた程だ。
これはもう、ドラゴンクエスト世界の言語における「スライム」が別単語であると考えた方が良かろう。
あの世界の言葉を日本語に翻訳する最中に誤訳が生じたか、原語の響きがそのまま使われたのだろう。
かの世界の英語っぽいワードが英語でない事は、「ダースドラゴン」「アークマージ」「りカント」など「英語をカタカナ語にした」では説明が付かないモンスター名で既に表れている。

日本に身近なスライム
スライムに話を戻そう。
不明に対する人類の普遍的恐怖がスライムを生み出したのであれば、日本にはそういったスライム伝説はないのだろうか?
日本人の明確な記録が残り始めたのは魏志倭人伝以降、すなわち古墳時代からである。
その時、主たる産業は稲作である。
森の中で粘菌を見るような、狩猟採集生活者もいたろうが、多数派という事ならば、田んぼの泥が最も身近な「スライミー」なものだ。
そこにいる妖怪と言えば「泥田坊」に他ならない。
江戸時代の妖怪画家、鳥山石燕による画集『今昔百鬼拾遺』によれば、泥田坊は指が三本、禿頭で肋の浮いた胴体を田の泥に半分沈めている。
解説文によると、田を相続しながら農作業を怠った者に「田を返せ(耕せ)」と騒いだという。
鳥山石燕は、妖怪を拾遺する事もあれば創作する事もある人物だが、泥田坊は創作と考えられている。だが、泥田坊には相応の確からしさがある。あの泥の底から妖怪の1匹も出て来ておかしくはない、妥当性がある。
こういう人々の中に漫然とある、言語化されにくい感覚を、鳥山石燕が敏感に感じ取り映像化したとも言える。
解説を読む限り、泥田坊は特に悪い事をしている訳ではなく、働かない持ち主を急かしているだけである。
これはつまり、一種の付喪神の類と考えられるだろう。
付喪神は、人が使うもののに魂が宿った、もしくは、人が使ううちに魂が明確化したものと考えられる。
付喪神は、道具が化けるイメージだが、道具という概念は人間の認識の中に生じるものだ。
田が米を作る「道具」と認識されていたら。
つまり、付喪神化したのは田んぼそのものであり、泥田坊はその一部によって形成されたインターフェイス部分なのだ。
これはもう田の泥が人型にもなるタイプのスライム状生物と認識して間違いはなかろう。
泥田坊は何を見る
日本にもスライムはいる。いるにはいるが、人を害する化物とは性質が異なる。
今の時代に実在したら、減反政策にさぞかし文句を言うだろう。
田の持ち主が「米は作っても赤字、人を喰らうようなもの」などと思って接していたなら、案外欧米スライム仕草で、泥の姿のまま人をモリモリ喰うぐらいの事はするかも知れない。
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