個人が携行して使用する銃火器と言えば、軍隊においても分類上最小の単位としては拳銃(ハンドガン)があり、主として護身用として第一次世界大戦の頃から実戦に投入されてきた経緯がある。
第一次世界大戦時における歩兵の小銃と言えば、未だ単発式のボルト・アクション方式の小銃が主であり、その火力の補完には据え付け式の重機関銃や、個人携行も可能な軽機関銃が使用された。
しかし第一次世界大戦が最前線では相互に塹壕を設けて対峙する戦い方になると、狭い塹壕の中でも連射が可能で敵兵を短時間で集中的に排除する兵器として短機関銃(サブマシンガン)が注目された。
第一次世界大戦で投入された短機関銃(サブマシンガン)は、拳銃弾をフル・オート射撃する事で、狭い塹壕の中の接近戦でその制圧に効果を発揮し、軍隊の中で一定の評価を得る事になった。
そして第二次政界大戦においては戦車等の他の兵器の発達も手伝って、第一次世界大戦程には短機関銃(サブマシンガン)を塹壕戦で使用する運用とはならなかったが、貴重な歩兵部隊の火力支援兵器の座は確保し続けた。
第二次政界大戦における各国歩兵の主力小銃は、未だ弾薬の徒な消費を行わない事を目的に、アメリカ軍を除けば大半の軍隊でボルト・アクション式を中心としており、短機関銃(サブマシンガン)の火力は重宝された。
この当時の短機関銃(サブマシンガン)は、ドイツのMP40、アメリカのM3グリースガン、イギリスのステン等が著名だが、全てオープン・ボルト・ファアリング式の簡易な構造で大量生産が可能な兵器が主であった。
このオープン・ボルト・ファアリング式を究極まで突き詰めて第二次政界大戦以後の短機関銃(サブマシンガン)の頂点に君臨したのが、イスラエル製のUZIであったと言えるだろう。
そうした状況を受けて西ドイツ軍でもUZIを正式採用していたが、1966年にそれまでの常識を覆す画期的な短機関銃(サブマシンガン)として、H&K社が世に送り出したのがMP5であった。
MP5の大元となったのはG3
H&K社のMP5と言えば数々のアクション映画やドラマはもちろん、漫画やアニメ等でも頻繁に使用される短機関銃(サブマシンガン)であり、ゲーム等においてもお馴染みで、日本ではトイガンでも多数を見かける。
第二次世界大戦以降に開発された数多くの短機関銃(サブマシンガン)の中でも、世界で最も成功を収めたもののひとつである事は間違いないH&K社のMP5だが、この銃を語るには同社のG3の存在が欠かせない。
H&K社のG3は当時の西ドイツにおいて、1959年にドイツ連邦軍が正式採用した7.62mm×51mmNATO弾を使用するバトル・ライフルであり、装填方式にはローラー・ロッキング・システムが採用されていた。
このローラー・ロッキング・システムは、銃弾の発砲後に薬室内の圧力が低下した後に閉鎖されていたボルトが後退するクローズド・ボルト方式であり、発射時の反動の抑制を軽量なボルトでも実現させる仕組みだった。
フルサイズの7.62mm×51mmNATO弾を使用するG3においても発射時の反動抑制を容易にしたこの仕組みを、H&K社では遥かに威力の弱い9×19mmの9mmパラベラム弾にも応用、短機関銃(サブマシンガン)のMP5を完成させる。
発射時の反動抑制が容易な事に加え、MP5は短機関銃(サブマシンガン)でありながらこのローラー・ロッキング・システムを採用した事により、従来のオープン・ボルト方式とは比較にならない精緻な射撃が可能となっていた。
但しその反面、従来は簡易な構造で安価である事が常識であった短機関銃(サブマシンガン)において、MP5は当然の事ながら高コストとなり、更にフル・オート射撃を多用するには、こまめなメンテナンスが必須と言うギャップも抱えていた。
そもそも第二次政界大戦後には各国の軍隊の主力小銃がバトル・ライフルから、更に小口径高速弾を使用するアサルト・ライフルに置き換えられ、フル・オート射撃も常態化した事から、低威力の拳銃弾を用いる短機関銃(サブマシンガン)は一線を退きつつあった。
その為、画期的なローラー・ロッキング・システムを採用、それによる高い射撃精度を実現したとは言え、MP5は1966年の登場以後も自国西ドイツ内でさえ軍では注目されず、国境警備隊や司法機関での採用に留まった。
存在を一躍世界に知らしめたハイジャック事件
MP5は自国内でも軍隊への導入は、その高額さと短機関銃(サブマシンガン)と言う兵器の有用性の低下という時代背景から進まなかったが、リリースされた1966年には西ドイツの連邦国境警備隊の特殊部隊・GSG-9等に採用される。
そしてこの西ドイツの連邦国境警備隊のGSG-9と合同での訓練を実施したイギリス陸軍の特殊部隊・SASは、MP5の持つ短機関銃(サブマシンガン)でありながら、精緻な射撃が可能と言う特性に着目、1970年代末に自身でも導入を行った。
そんなMP5が一躍世界的にその存在を認識されるようになったのが、1977年10月に生起したルフトハンザ航空181便のハイジャック事件であり、事件解決に投入された西ドイツの連邦国境警備隊のGSG-9の一部の隊員が使用しおおきな成果を挙げた。
ルフトハンザ航空181便の事件とは、スペインの空港を離陸しドイツに向かった同機が、その直後にドイツ赤軍とパレスチナ解放人民戦線の各2名の計4名にハイジャックされ、ソマリア連邦共和国のモガディシュ国際空港に着陸させられたテロ事件である。
ここでソマリア連邦共和国政府の了承を受けた西ドイツ側は、連邦国境警備隊のGSG-9の部隊をルフトハンザ航空181便の胴体下部及び主翼上部の2箇所の非常口から強硬突入させ、ハイジャック犯3名を射殺、1名を取り押さえた。
GSG-9の部隊は僅か5分ほどの時間で、閃光弾を使用してハイジャック犯の動きを封じると、隊員と客室乗務員1名が軽傷を負っただけでこの成果を成し遂げ、史上稀にみる鮮やかな突入・制圧作戦の成功を世界に見せつけた。
投入されたGSG-9の部隊員達は、狭い旅客機内への突入と言う作戦の特性上、S&W M19やM66等のリボルバーやH&K P9Sと言ったオートマチック拳銃を使用、MP5を装備した人数はそれらに比べ少なかった。
しかし実際にハイジャック犯を仕留めたのは、拳銃よりも遥かに銃身長が長く、正確な連射が可能だったMP5の性能によるところが大きく、こうした状況下で如何に精緻な射撃が高い制圧効果を生むのかを証明したものとなった。
既に軍隊における短機関銃(サブマシンガン)は、使用する弾薬が低威力の拳銃弾である事から有用性が損なわれていたが、こうしたテロ事件への狭い場所での対応には二次被害の恐れが低い銃器として大きな注目を集めた。
ここにMP5は製品化から11年の歳月を経て、特殊部隊用の装備として揺るぎない評価を得る事となり、以後30年以上に渡り、その分野を代表する兵器として、世界中の特殊部隊や法執行機関に君臨する事となった。
様々なバリエーションが製造されたMP5
1966年に量産化されたMP5及び、その試作品であったHK54はプラスチック樹脂製の固定式ストックを備えたモデルとして製造されたが、商業的に特殊部隊用の装備品として成功を収めると、多くのバリエーションが追加された。
但し基本的な仕様のMP5は銃身長が225mmで、フル・オート射撃時の発射速度は毎分800発、銃口初速は凡そ400メートル/秒、最大有効射程は凡そ200メートル程であり、使用弾である9×19mmパラベラム弾の能力の上限を極めたものと言えるだろう。
MP5はA1と言うモデルで初の伸縮性を備えたストックが装備されたが、Kシリーズと呼ばれる要人警護向けに全長を切り詰めたものや、SDシリーズと呼ばれてるサプレッサーを標準装備したものなど、多くの派生型が製造された。
アメリカの市場に向けた民生品としてはセミ・オート仕様や、銃身長を伸ばしたカービン・モデルも製造され、また口径も10mmオート弾、40S&W弾、.357SIG弾等の強装弾仕様もあるが、本来の9×19mmパラベラム弾の利点を損なっている感も無くはない。
但しこうした強装弾仕様が追加された背景には、一部の用途では9×19mmパラベラム弾では威力不足を危惧する声があった事も影響したと思われるが、今は新たにPDWとしてボディ・アーマーにも対応したMP7が登場し、世代交代の波を感じさせる。
短機関銃の定義を変えたMP5は、狙って作られたものか否か
これまで見てきたようにMP5は、短機関銃(サブマシンガン)というジャンルの銃器の定義を、それまでのものから180度転換させると言う、非常に稀有な性能を備えた製品として、その歴史に刻まれる事は間違いないだろう。
しかし個人的には、当時のH&K社の開発スタッフ達がそこまで見越していたと言うよりは、先にバトル・ライフルとして完成させ成功を収めたG3をベースに、同様の機構で拳銃弾を使用する銃器に応用して見たというのが、実情ではなかろうか。
その機構の採用によりコストは高額となり、当初はなかなか普及しなかったが、跳弾等の二次的な被害が少なく、精密射撃が求められるテロ事件でその特性が見出された事で、想定以上の商業的な成功に繋がったように映る。
今はその後継の分野とも言えるPDWにおいて、先行したFN社のP90を抑えてH&K社のMP7が市場を押さえた感があるが、こちらはボディ・アーマーを貫通可能で小型にして軽量という、狙ったコンセプトの上での成功に必然的な成功に見える。
featured image:Adrian Pingstone (Arpingstone), Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由
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