皆さんは世界で一番有名な殺人鬼をご存じですか?
それは19世紀ヴィクトリア朝ロンドンで、ホワイトチャペルの娼婦5人を惨殺したジャック・ザ・リッパーと言われています。
一方で彼と同時代に暗躍していた謎の怪人、バネ足ジャックのことはあまり知られていません。
今回はヴィクトリア朝の夜の闇に文字通り跳梁跋扈した、バネ足ジャックの実体に迫っていきます。
都市伝説?実在の人物?バネ足ジャックの奇怪な噂
バネ足ジャック(Spring-heeled Jack)とは19世紀イギリスを騒がせた怪人。その最大の特徴は通り名の由来となった驚異的ジャンプ力で、家の屋根まで悠々と跳び上がり、素早く逃げ去って行ったそうです。
当時のイギリスは産業革命による貧富の差が開き、夜毎美しく着飾って社交界に繰り出す貴族や資産家がいる反面、イーストエンドの路上には浮浪者があふれ返っていました。
そんな中、夜の街を徘徊する亡霊の噂が浮上します。目撃者曰く、この幽霊は通行人が独りでいる所に現れ、背後から襲って食べてしまうのだとか。日本の赤マントに似た怪談です。
とりわけ目撃談が集中したのがロンドン西端のハマースミスで、このことから「ハマースミスの幽霊」の通称が定着。ハマースミスの幽霊は体長10フィート以上あり、家を飛び越えることも可能だったそうで、バネ足ジャックとの共通点の多さは無視できません。
戦慄!バネ足ジャックの奇行に怯える女性たち
第一の被害者メアリー・スティーブンスはうら若き乙女でした。1837年10月のある夜、バタシーに住む両親を訪ねた帰り道。メアリーが独りで歩いていると、横手の路地から突如として謎の人影が躍りかかり、彼女の両腕を束ね上げてしまいました。
その後犯人はメアリーの衣服を引き裂き、凶悪な鉤爪で彼女の肌を撫で上げるや、強引に口付ける暴挙に及びます。……が、悲鳴を聞いた近隣住民が総出で駆け付けた為、さっさと逃げていきました。間一髪保護されたメアリーは、肌に触れた爪の感触を聞かれ、「死体みたいに冷たくべたべたしていた」と証言しています。
この通り魔は以降もメアリーの家の近所に出没し、独り歩きの女性を狙って痴漢行為を繰り返します。ある時はわざと馬車の行く手に飛び出して御者を気絶させ、甲高い哄笑を上げながら9フィートの壁を飛び越えていきました。やがてバネ足ジャックの名前は世間に浸透し、正体不明の怪人として恐れられるようになります。
ロンドン市長は苦情の手紙に大わらわ 相次ぐ事件とジャックの行方
メアリーの事件から数か月後経った1838年1月9日、当時のロンドン市長サー・ジョン・コーワンは、「ベッカムに住む者」と名乗る人物からの手紙を公表しました。
気になる内容は貴族のドラ息子3人が賭けに負けた罰として幽霊や熊、悪魔などに扮装し、夜な夜な民家に押し入ったり女性を脅かしているというもので、事件が表沙汰にならないのは犯人の親が当局に圧力をかけているから、とほのめかされていました。
当初は半信半疑だった市長ですが、その場に居合わせた下女の話を聞いて、バネ足ジャックが実在の人物である確信を強めます。結果、市長のスピーチを皮切りに全国から目撃談が殺到し、その中にはジャックに襲われた被害者の証言や、ジャックと遭遇したショックで心臓が止まってしまった、娘の親の訴えまでもが含まれました。
1838年2月19日、またしてもバネ足ジャック絡みの事件が発生。今度の被害者は10代のジェーン・オルソップで、夜間に家のドアをノックした警官を迎えに出た所、「バネ足ジャックを捕まえたので明かりを貸してくれ」と頼まれ、急いで中へ戻りました。
数分後……言われた通りロウソクを手に戻ってきたジェーンは、警官が羽織った黒マントに不吉な予感を抱きます。
直後、彼女の手からロウソクをもぎとった男は口から青白い炎を吐き、真っ赤な火の玉の如く爛々と目を輝かせ、大声を上げて逃げ行くジェーンの柔肌を引き裂いたのでした。
これがオルソップ事件です。
幸いジェーンは姉妹に助けられ大事にならずに済みましたが、バネ足ジャックの凶行はさらにエスカレート。
オルソップ事件の9日後にあたる1838年2月28日、高級住宅街に住む兄の家へ妹共に遊びに行ったルーシー・スケールズは、夜遅くなった帰り道で怪しい人影を目撃。その人物は大きなマントを羽織ってたたずんでいたかと思いきや、姉妹が前を通りかかったタイミングを見計らい、口から青い炎を吹き付けてきたのでした。
突然炎を浴びせられたルーシーはたまらず卒倒し、その後数時間に亘る痙攣の発作を引き起こします。
異変を察した兄の急行により姉妹は無事保護されましたが、回復後のルーシー曰く、男は長身痩躯に外套を纏った紳士で、警察が使用するのと同じ型のランプを手に提げていたそうです。これがスケールズ事件です。
その後の経過とヒーローになったバネ足ジャック
うら若い娘が襲われた両事件の余波は大きく、マスコミはこぞってバネ足ジャックの凶行を取り上げ、にわか探偵気取りの大衆たちは犯人探しに躍起になります。
ルーシーの証言から内部犯を疑った警察の捜査はとりわけ苛烈を極め、さりとて有効な手掛かりは一向に掴めず、バネ足ジャック騒動は混迷の様相を呈してきました。
事態が動いたのは1838年3月2日、自分こそがバネ足ジャックであると名乗り出た男が脚光を浴びます。
それはモーガンズ・アームズ在住のトマス・ミルバンクで、ただちに逮捕され裁判が行われたものの、被害者として出廷したジェーンが「ジャックは火を吹いたけど、貴方にそれができますか?」と述べた為、ただの人騒がせな目立ちたがり屋として片付けられました。
この頃流行した大衆向け娯楽雑誌「ペニー・ドレッドフル」は、バネ足ジャックの犯行を面白おかしく書きたて、まるでヒーローであるかのように祭り上げました。
著名な人形劇『パンチとジュディ』は、従来の悪魔役をバネ足ジャックに置き換えて上演し、新し物好きな観客の拍手喝采を浴びます。
拡大する一方の経済格差や、日々の過酷な労働に鬱憤をためていたロンドン市民にとって、警察を煙に巻いて翻弄するバネ足ジャックの存在は、どこか痛快に感じられたのかもしれません。
切り裂きジャックと並ぶヴィクトリア朝の二大ヴィラン、アンチヒーローの代表格と言えば、共感を得やすいでしょうか?
ところが1843年を境に、バネ足ジャックの目撃例は徐々に減少していきます。あるいは不特定多数の模倣犯の杜撰な犯行が、本家バネ足ジャックを興ざめさせたのでしょうか。
同年にはイースト・アングリアでバネ足ジャックを騙った連続馬車強盗が発生。1847年7月に婦女暴行の罪で逮捕されたフィンチ大尉は、犯行時に雄牛の皮製のコートとマスクを装着し、バネ足ジャックの仕業に見せかけようとしました。
19世紀末になるとバネ足ジャックの目撃例はイギリス北西部に移動し、リヴァプールの教会の屋上に現れています。
最後の目撃例は1904年で、ウィリアム・ヘンリー通りに立っていたと語り継がれています。
バネ足ジャックの正体と仕掛けを考察
以上、ヴィクトリア朝の怪人バネ足ジャックの解説でした。筆者が気になる点は、バネ足ジャックが火を吹く際、近くに必ず光源が存在していることでしょうか。
実際にオルソップ事件でジェーンのロウソクを奪い、スケールズ事件ではランプ持参だったことを踏まえれば、オーバーサイズのマントの下に、光源の火を増幅する装置を隠し持っていたのかもしれません。大前提として発明には費用が掛かる為、告発の手紙が示す通り、犯人は貴族の関係者の可能性が高いと思われます。
藤田和日郎の漫画『黒博物館スプリンガルド』では、バネ足ジャックが主人公として活躍するので、興味がある方はぜひ読んでください。
featured image:Robert Prowse Jr. (1858–died circa 1934), Public domain, via Wikimedia Commons


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