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「踏み入れるべきではない場所」祟りや呪いの根源を見る

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人間が「想像する」もしくは「考える」力は強いものです。人間はその力で、よきにせよ悪しきにせよ、様々なものを生み出してきました。

そんな人間の力が重要な要素となっているのが『踏み入れるべきではない場所』という怪談です。それほど「怖い!」と感じるものではありませんが、人間が感じる恐怖の根っこにあるものが書かれています。

今回はこの怪談から、人間が生み出した恐ろしいものである呪いや祟りについて考えていきましょう。

目次

『踏み入れるべきではない場所』とは

『踏み入れるべきではない場所』とは、2005年頃に2chのオカルト板に投稿された怪談です。分かりやすい怪物や怪異が登場する訳ではありませんが、「怪談」という物語の軸に迫る、不気味な語り口が特徴で描かれるのは、人間が「想像する力」の凄まじさと「怖がる」ことの大切さです。

以下で簡単なあらすじをご紹介していきますが、上記の2つを決して忘れないようにしてください。

あらすじ

語り手の「私」は、幼い頃から怖い話を作っては、家族や友人に聞かせることが好きでした。

そんなある日、「私」が作った怪談がクラスの中で流行し、学校中に広がるという事態が起きました。話はどんどん大きくなり、「私」が知らない内容が付け加えられ、肝試しをする人まで現れる始末です。「私」が皆に「自分が作った作り話」と説明しても、誰も信じませんでした。

そんな中、あるグループが肝試しを行いました。そして、そのグループの皆が不思議な体験をしたと言います。学校は大騒ぎです。

「私」は怪談の作り手が自分であると、もはや言い出せない状態でした。その上、自身で作った話が本当になったのではないかと怯えてしまい、怖い話を作ることさえやめてしまいました。

そんな「私」に、祖父(じぃちゃん)は「もう怖い話はしないのか」と尋ねます。「私」は泣きながら、学校で起こった事件を打ち明けました。

「私」の話をきいた祖父は、自分がかつて経験した不気味な話を、語って聞かせるのでした。

「祟り」や「呪い」が生まれていく様子と集団ヒステリー

『吉備津の釜』に『東海道四谷怪談』、最近で言えば『リング』など、怪談やホラー映画の中には、「呪い」や「祟り」を題材にしたものが少なくありません。
では、呪いや祟りはどのようにして生まれていくのでしょうか。その様子や本質を、『踏み入れるべきではない場所』は描いているように感じます。

呪いや祟りとは、人の負の感情が凝り固まったものと考えることができます。正太郎を呪い殺した磯良(吉備津の釜)や民谷伊右衛門に憑りつき祟ったお岩さん(東海道四谷怪談)などは、その分かりやすい例でしょう。恨みの気持ちが死後も残り、対象に向かったのです。

恨みや祟りをなすのは死者だけに限りません。「生霊」という言葉があるように、生きた人間の負の感情は強い力を持ちます。そして、『踏み入れるべきではない強い場所』は、そんな現象を書いていると考えられます。

語り手の「私」は、自分自身が語った怖い話が周囲の子供たちの「恐怖/おそれ」を巻き込み具体的な形となりました。少なくとも、子供たち(の一部)にとっては現実的な恐怖の対象になったのです。

「私」の祖父の話に移りましょう。祖父は昔、山の中にある村に住んでいました。そんな祖父の友達は「おそれ」を知らず、肝試しの際にお地蔵さんをわざと倒したり、神社に忍び込んだりしていたと言います。やがてはオオカミ少年の様に、「天狗を見た」という嘘を付く始末です。

村人はあきれてそれを見ていましたが、彼の死により潮目が変わりました。村の人々が口々に「天狗を見た」/「彼(友達)の死は天狗の呪いによるものだ」と話し出したのです。祖父がどれだけ説明しても無駄でした。

話はそれで終わらず、やがて天狗はより強い形を持つに至りました。その形とは「生贄を求める神」というものです。

呪いのメカニズム

アメリカで行われた大規模な魔女狩りに「セイラム魔女裁判」というものがあります。集団ヒステリーがもたらしたとされるこの悲劇のきっかけになったのは、子供たちの嘘でした。
集団心理とは恐ろしいものです。恐怖からありもしないものを生み出して、それをどんどん、恐ろしい存在へと作り変えてしまうのです。

呪いのメカニズムの1つに、「呪われていることを知らせる」というものがあると言います。「自分が呪われている」と思い込むことによって、自分から不幸になっていくというのです。
全ての呪いや祟りがそうであるとは限りません。しかし、いまだに語り継がれているような呪いや祟りの伝説の多くには、こうした集団ヒステリーが関わっているのではないでしょうか。

正しく恐れて踏み込まない、ということ

恐怖心は人間の本能です。恐怖心があるからこそ、人間は危険を避けることができます。
しかし、それと同時に行き過ぎた恐怖心はよくない結果をもたらします。ありもしないものを想像から生み出してしまうのです。

今回取り上げた怪談『踏み入れるべきではない場所』では、人間の行き過ぎた集団的な恐怖心から発生した不気味な事態と、「恐れない」ことの恐ろしさを描いています。
高所恐怖症は高い所の危険性を知っているからこそ起こります。銃を突きつけられて怯えるのは、それが人を殺せるものだと知っているからです。

さて、この怪談の中で一番恐ろしいのは何なのでしょうか?

※画像はイメージです。

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