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新十津川町OL殺人事件の不気味さ

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1974年、職場からの帰宅途中、女性会社員が行方不明になる事件が発生、2日後に農道脇で遺体となって発見。
側溝の土管に押し込まれ、着衣に乱れはあるものの、わいせつ行為は受けていない。

彼女の命を奪った犯人は誰なのか、なぜ土管に隠したのか。
今回は未解決事件「新十津川町OL殺人事件」の真相を考えていきます。

目次

事件概要

1974年8月19日夜、北海道樺戸郡新十津川町に住む会社員の伊藤幸子さん(当時22歳)が、滝川市内の勤務先から帰宅途中に姿を消しました。

2日後の21日午後5時10分。
自宅まであと400mの農道脇で首を絞められていましたが、性的暴力は受けておらず、あぜ道の下にある直径60cm、長さ4mにおよぶ土管の中から発見されました。

発見時の状況は、深さ10cmの水に浸かり、水面から顔と胸が出たあお向けの状態。
外傷や打撲はなく首を絞められた痕跡のみで、スカートとサマーセーターに乱れはありましたが、下着は身に着けられていました。
懸命の捜査にもかかわらず、事件解決の糸口が見つからず時効を迎えています。

事件経過

まずは被害者、幸子さんの当日の足取りを追いましょう。
いつもどおりに午後7時に勤務先を退社、自宅へ向かうバスに乗り、彼女が住んでいた町にあるバス停で下車。
自宅へ向かって農道を歩いていたところ、バス停から約800mの位置で事件に巻き込まれたのでした。

一旦、この事件に関して関わりがあると思われる、2年前の同日に起きた事件を紹介しておきます。

1972年8月19日、砂川市に住む当時19歳のAさんが帰宅途中に行方不明となりました。
バス停を降りたあと、奈井江町の道路を歩いていたところ男に声をかけられ、事件から6日後の8月26日、新十津川町にある山林で遺体となって発見されます。

2つの事件

幸子さんとAさんの事件の共通点として、2つの事件は新十津川町で起きた。
さらにAさんは滝川市内のデパートに勤めており、幸子さんも一時期そのデパートで働いています。
2人が顔見知りかどうか確認できませんが、まったく接点がなかったわけではとは思えません。
発見現場は近く、同一犯による仕業とも噂されるでしょう。

Aさんの事件の被疑者として逮捕された晴山広元(当時40歳)は、1974年5月26日に別件の強姦致傷事件で逮捕されています。7月3日に起訴されてからは勾留、例え発生が幸子さんの事件と同じ日でも、8月19日に犯行現場へ行くことはできません。
つまりAさんの事件と幸子さんの事件は別ですが、同日の犯行となった理由として、彼の犯行を模倣し幸子さんを襲ったのではないでしょうか?

晴山の手口は、自転車または徒歩の女性に声をかけ暴行。
Aさんの遺体は山林へ遺棄していますが、それ以外に特別な偽装はしていません。
幸子さんの場合は暴行される事無く、遺体を土管に押し込められていた。それだけに焦点を当てたとしても2つの事件は同一犯ではないと断言できます。

推定される状況

あくまで憶測ですが、ここからは犯行経過を想定します。

幸子さんは自宅へ向かって歩いていた、犯人は彼女への気持ちを募らせる男。
仕事帰りを待ち伏せて告白するも断られ、「なぜ自分を受け入れてくれないんだ」「こんなにも君を愛しているに」と激高。
どうしても受け入れてもらえない事を知ると愛情は一瞬にして憎しみとなり、彼女の首を絞めて殺害したと考えられます。そして我に返ると、そこには変わり果てた彼女の姿。
「このままでは自分が疑われるかもしれない」と思い立った男は遺体を側溝に落とし、土管へ押し込んだのかもしれません。

事件の顛末

もしかしたらとてもシンプルな事件にもかかわらず、なぜ迷宮入りして事項を迎えたのか?
もし近隣住民による犯行であれば、「この人はいつもと様子が違う」「そう言えばあの日から雰囲気が変わった」など、気づける点もあったでしょう。

目撃情報は存在しませんが、地域特有の噂話ものぼっていたのではないでしょうか。
それをたどって入念に捜査すれば、ある程度の容疑者は絞り込めたはずがそういった話も残ってない。
2年前の強姦致傷事件の容疑者は逮捕されているとすれば、警察が無能だとは思えません。
もしかしたら、犯人は地元有力者の息子で揉み消されたのもしれません。

※画像はイメージです。

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