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小足が美しい?中国の奇習「纏足 (てんそく)」とは?

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世界にはさまざまな習慣があり、その中でも中国に女子の足を布で縛って圧縮するように小さくする纏足(てんそく)という奇習がありました。
南唐後主の時代において宮廷で仕える女性から広まったとされており、宋の末期の頃には女性の足は小さいほど良いと信じられていたとか?
この纏足(てんそく)を考察していきます。

目次

纏足(てんそく)とは?

纏足の起源に明確な記録はなく、南宋時代からそういった習慣が始まったと言われています。
宮廷に仕える女性たちから始まり、1950年に纏足禁止令が出た後にも習慣がなくならず、数年過ぎてやっとこの習慣が終わりました。纏足の風習は、約700年間続いたと言われています。

纏足(てんそく)の手法とは、足の長さを短くしたり、甲の部分を弓のように反らせていき、全体的な幅も細くするもの。
このような理想的なスタイルにするため、幼い頃から布を使って縛っていきます。足のサイズは小さければ小さいほど良く、布で縛って10cmくらいに仕上げていきます。成長してくると脱臼させてきつく縛るので、その苦痛は想像を絶するでしょう。

やり方は親指以外の指を下に折り曲げ、骨も折り曲げていき幅も狭くします。弓のような形状になるまで曲げていき、土踏まずをくぼませて甲を高く持ち上げる仕組みです。このようなスタイルにして布で縛っていき、足の骨を折っては固定していくことを繰り返していきます。

通常5~6歳ぐらいから縛り始めることになり、生涯縛り続けることになります。足の骨を折るのでその痛みは激しく、子供たちは泣きながらこれに耐えたことでしょう。纏足する役目は母や乳母などが担当しており、もし娘が反抗すると折檻したこともあったそうです。痛みはもちろん血も流れるので、その臭いは酷く毎日包帯を交換したり、香料が入ったお湯で洗っていました。

Albert Friedenthal, Public domain, via Wikimedia Commons

纏足にする理由とは?

わざわざ痛い思いしてでも纏足を行う理由についていろいろな説ありますが、よく知られているのが女性美のためです。足を矯正すると力が入らないようになるので、うまく歩くことができなかったり、ゆらゆら揺られながら歩くことになるので、その姿がセクシーに感じられたのかもしれません。

纏足すると下半身が発達するという説もありましたが、その時代背景が関係しているでしょう。当時は典型的な男性上位の時代なので、男性の欲求を満たすことが女性にとっての仕事でした。足が小さいと良い家に嫁ぐことができると言われており、裕福な家庭はもちろん貧しい家の女の子も纏足が行われました。

当時は保守的な風潮があり、女性は外出してはいけず家事をするというのが一般的な考え方で、遠いところまで歩かなくても良いという風潮でした。しかし纏足はいろいろなトラブルをもたらすことになり、今も高齢となって自分の足に悩んでいる女性は多いです。

当時の女性にとっては小さな足は誇りでもあり、慣習の中で生きるためのパスポートのようなものだったのでしょう。

もうひとつ理由

当時の中国は男性重視の時代だったので、女性は男性のさまざまな欲求を満たすというのが仕事でもありました。現在なら纏足のような行為は虐待のように見えますが、当時の社会においては合理性もあったのでしょう。その理由として結婚が大きく関係しており、小さな足ではない娘にはまともな婚家先がありませんでした。

小さい足だけが良家の男性と結婚できるようになっており、当時庶民レベルの女性は結婚しないと生活することができないという時代背景があります。纏足できないような経済レベルの女性の場合、同じ生活レベルの男性と結婚することになるので、農作業などで苦労するという生活が待っていました。

纏足は男性の欲求だけを目的にした習慣ではなく、纏足した少女や女性たちは移動が困難になり、遊んだり外出するなどの選択肢がなくして、労働に専念させるために施したという説もあります。

Lai Afong, Public domain, via Wikimedia Commons

纏足の終わり

約700年は続いていた、この奇妙な習慣にも終わりがやって来ました。
纏足を縛ることよりもそれを解くことの方が苦痛を感じるとされており、足を解放することを拒む女性もいたそうです。

清朝末期になるとこれが忌まわしい習慣だという運動が起こるようになり、1912年に全面禁止が公表されるようになりました。1929年にも再度禁止を公表しましたが、一部の農村部において習慣が残るくらいになり現代社会から消えるようになります。

当時の女性にとっては美の象徴であったとしても、世界的に見ると奇習と言われており弊害しかありません。放足や天然足などと呼ばれる運動も始まるようになり、次第に女性たちは纏足から解放されていったのでした。

最後に

当時纏足を施していた女性は今では80代になっており、このような習慣は歴史の一つになろうとしています。
男女の役割分担などに関して社会的な慣習やしきたりなどが現在でも残っていますが、女性の社会的な立場は時代と共に着実に変化しています。

そして纏足した女性が履いていた靴は現在も残っており、清朝時代のものは美しい配色や刺しゅうなどが施されているものがあります。靴裏にまで美しく細工された纏足の靴は、女性たちの苦労とは裏腹に、今では価値あるアンティークの一つになっています。

I, Daniel Schwen, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

featured image:Lai Afong, Public domain, via Wikimedia Commons

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