戦艦「大和」沈没後の太平洋戦争日本海軍最後の艦隊

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太平洋戦争開戦時に世界第3位の海軍であったとされる日本海軍は戦艦「大和」や空母「瑞鶴」など大型艦艇を保有していましたが戦争末期になると動かせる艦隊はごく僅かになっていたのです。

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戦力が低下した日本海軍

1945年(昭和20年)の太平洋戦争末期の日本海軍は開戦当初の勢いを完全に失い真珠湾攻撃に参加した主力空母6隻を全て失い、世界最大の戦艦である戦艦「大和」はこの年の4月に沈み巡洋艦や駆逐艦もこれまでの戦いで数を減らしていた。

残る戦艦「長門」は横須賀で動かぬ砲台となり、戦艦「榛名」や航空戦艦「伊勢」と「日向」は呉で燃料なく鎮座していた。新造の「雲龍」型空母も載せる航空隊が無く出撃の機会が無く留め置かれた。これら残存の大型艦艇は7月の呉空襲でほとんどが止めを刺される事となる。日本海軍でまともに作戦行動ができたのは潜水艦と駆逐艦や海防艦などの小型艦艇だった。

特攻隊を乗せた第31戦隊

戦争末期の日本海軍において艦隊として活動で来た1つの部隊が第31戦隊です。1944年(昭和19年)に編成されレイテ沖海戦や礼号作戦に参加した。1945年(昭和20年)には所属していた第5艦隊の解散により第31戦隊は連合艦隊附属から瀬戸内海に居る第2艦隊の所属となった。

この第2艦隊は戦艦「大和」を旗艦とした沖縄への特攻出撃をする艦隊である。第31戦隊は「秋月」型駆逐艦の「花月」を旗艦に「松」型駆逐艦と「橘」型駆逐艦11隻からなる艦隊となっていたが第2艦隊の出撃では豊後水道の敵潜水艦掃討の任務を与えられ第2艦隊を見送る事となった。

7月には軽巡洋艦「北上」が編入された。開戦時は4連装の魚雷発射管10基を装備する重雷装艦でしたが戦争末期には魚雷発射管を撤去し、特攻兵器「回天」を搭載する母艦となった。第31戦隊では駆逐艦「波風」と「夏月」などが「回天」搭載母艦に改造され第31戦隊は特攻作戦を行う海上挺身隊となり終戦を迎えた。

訓練部隊から瀬戸内海防衛に従事した第11水雷戦隊

日本海軍で軽巡洋艦が駆逐艦部隊を率いる水雷戦隊、戦争末期になると所属艦艇の喪失で他の部隊への編入もありほとんどの水雷戦隊は解散していた。残っていたのは第11水雷戦戦隊だけであった。この水雷戦隊は艦艇の訓練や輸送任務を主に行いレイテ沖海戦で機動部隊に編入されて出撃した。

1945年(昭和20年)になると新鋭軽巡洋艦「酒匂」を旗艦に「秋月」型や「松」型・「橘」型駆逐艦を10隻から13隻の艦隊となったが訓練部隊である為に第2艦隊の所属となっても沖縄特攻へは出撃せず、第11水雷戦隊は日本海の舞鶴へ回航したが所属駆逐艦は瀬戸内海や津軽海峡で航路防衛の任務に就いた。また駆逐艦「蔦」が「回天」搭載母艦に改造され他の駆逐艦が港から動かぬ特殊警備艦に指定された事もあり7月15日に第11水雷戦隊は解散となった。

太平洋戦争末期に存在した日本海軍最後の艦隊は戦艦「大和」の出撃を見送り、国内航路の護衛や空襲で戦い最後は特攻隊となって終戦を迎えたのです。

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