「学校の都市伝説」といえばこれ、というほどメジャーな存在となった「トイレの花子さん」。
しかし、だれもその表層にのみ注目し、そのルーツについて考える人間は少ないように思える。
この都市伝説について、日本の俗習の観点から起源を考察する。
トイレの花子さん
トイレの花子さんは、古くは1950年代から連綿と流布されてきた都市伝説である。
「学校の3階トイレ、3番めの扉を3回叩いて~」という儀式めいた呼び出し方法と、好奇心旺盛な幼い子どもたちの世代も相まって流行し、映画やTVアニメ化もされ、誰もが一度は聞いた事がある筈だ。
しかし、この都市伝説が、なぜ、どうやって出来上がったのかについて考えた人は少ないのではないだろうか?
なぜなら、性質上、そういった年齢になる頃には、「小学生の頃の良き思い出」以上の意味を見いだせることが少ないからである。
しかし、私はその性格上、やはりこれらの起源が気になってしまう。
トイレと文化
さて、日本人の信仰と便所というのは、案外と密接に関わっているものである。
日本には昔から「厠の神」といういわば「トイレの神様」とでもいうような神が存在する。
トイレは「不浄」であるため、烏枢沙摩明王などの不浄を浄化する神が祀られることもあれば、人糞はたい肥の原料となるため埴安神のような、肥料や土、農業を司る神が祀られることもある。
ともかく、便所には昔からなんらかの神を祀るというのが、日本の伝統的な文化であったようだ。
その理由はというと、私は「便所」という場所の特性に理由があるように思う。便所は逃げ場のない狭い個室で、たいてい自分で鍵を掛ける。
そうして、持ち物や、一昔前であれば自衛のための刀なども一旦床に置き、自らの一番の恥部を晒し、便を垂れるのである。無防備で、逃げ場がなく、助けもすぐにはこない、足元には暗く底なしの穴。
こんな場所に夜半に行こうものなら、いいしれない不安感を感じるのは当然。
そうしてそれらの恐怖心は、例えば、汲み取り式の便所の便槽から吹く風を尻を触る手に見立てさせ、便所の窓から痴態を覗かれるのではという恐怖が、加牟波理入道などの妖怪を想像させる。
伝統的な便所は離れにあるものであるから、恐怖心が煽られることであろう。
トイレと信仰
そういった害意に対する恐怖心から、自らを守ってもらうため小さな祠を便所に立て、そこに貢物を置くようになったのである。これらの信仰は江戸時代に最も盛んであり、主に次のような手順を踏む。
まず、便所を新たに作る際、男女一組の紙人形を紅白餅などの供え物とともに便槽の真下に埋めて魔除けとする。そうして、便所の中に神棚を備え、女子の人形を御神体とし、餅、絵馬、花などをお供え物として定期的に捧げるというものである。
これは私の地元で、祖母の家の建て替えで見聞きしたものであるが、大体このようなものが一般的であるとして話を進めさせてもらう。
今でもたまにトイレに造花を飾る家や施設があるが、これらはおそらくこのような信仰の名残であろう。同じように、「花子さん」もこれらの信仰の残滓のようなものなのではないか、と私は考える。
花子さんの正体
花子さんは、おかっぱ頭の女児であるとされることが多い。これは、伝統的な日本人形そのものではないか、と私は思うのである。つまり、先程の儀式でいうところの、御神体の名残なのではないかと。
さらに言えば、ハニヤスはハニヤスヒメとも呼ばれ、女神と解釈されることも多い。
そして、彼女は土を使った焼物・・・つまり陶芸と密接に関わる神である。埴輪との関連性も考えられており、人形との関連性は強いと言ってよいのではないだろうか。つまり、花子さんとは、ハニヤスヒメの化身なのではないだろうかと思うのである。
そうだとすれば、皆が幼少期に考えたほど花子さんというのは怖い存在ではないのかもしれない。
なぜなら、この考察が正しいとすれば、彼女はハニヤスヒメの零落した姿であり、元は便所で無防備になる我々を守ってくださるありがたい神様なのである。
案外、遊びに付き合ってあげればなにかご加護があるかもしれない。
試しにまずは自宅の便所にハニヤスヒメを祀るところから始めてみてはいかがだろう。
※画像はイメージです。
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