これはベトナム戦争をめぐり、アメリカ国内で久しく語られた都市伝説のひとつだ。
ほぼフェイクである。
地獄の黙示録
ベトナム戦争を題材としたフランシス・フォード・コッポラの怪傑作『地獄の黙示録』(1979)。
同作を再編集した『地獄の黙示録 特別完全版』(2001)が日本で公開された、2002年正月のこと。
私が『地獄の黙示録 特別完全版』公開を特集した映画雑誌を読んでいると、「この映画の劇中、主人公が暗殺するカーツ大佐には実在のモデルがいる」と書かれた記事が目に付いた。
カーツ大佐のモデルであると記事で指摘された人物は、ベトナム・カンボジア・ラオス国境に連なる山岳地帯に暮らしていた少数民族をアメリカ軍のゲリラに仕立て上げた、CIA工作員アンソニー・ポシェプニー。
通称をトニー・ポーと言う。
ただ、『地獄の黙示録』の元ネタがポシェプニーとする指摘には異論がある。コッポラの語るところではカーツのモデルはポシェプニーではなく、北ベトナムのスパイと決めつけた人物数名を独断で殺害、軍法裁判にかけられたロバート・ブラッドリー・ローだという。
『地獄の黙示録』の劇中、主人公が軍からカーツ暗殺を命じられる理由のひとつは「スパイと決めつけたベトナムの協力者を勝手に殺害した」ことであったし、ラストに登場する異様な「王国」もジョゼフ・コンラッドの原作から発展、創作したと考えても不自然ではない。
モデルの真偽はどうあれ、ベトナム戦争下のラオスにおいて少数民族に入り込み、アメリカ側のゲリラ兵にしたアンソニー・ポシェプニーは現実に実在した。だが2003年に逝去して以降もなお、ポシェプニーの実像や「戦果」がどのようなものか、未だによく分からない。
ポシェプニーの携わった業務内容ゆえに、アメリカ政府の情報公開は進んでいない。以下の記事は、そんなポシェプニーの生涯をめぐる都市伝説である。
トニー・ポー~本名アンソニー・ポシェプニー
アンソニー・ポシェプニーは1924年9月18日、カリフォルニア州で生をうけた。
1942年、高校を中退して18歳でアメリカ海兵隊に入隊。軍事訓練での成績は良く、大戦中には軍曹に昇進して部隊長を務め、第二次大戦末期には硫黄島の戦闘で負傷するも生還。
終戦後、退役軍人むけの法律を利用して大学へ入学。大卒後のポシェプニーは1950年ごろ、CIAに就職。1953年にはCIAの職員として朝鮮戦争下の韓国へ飛んだ。
この頃から、ポシェプニーの歩みは具体的に分からなくなり、都市伝説と化す。
朝鮮戦争が終結した直後から、ポシェプニーはCIAの仕事のため冷戦下のアジア各国を飛び回るようになる。韓国、タイ、台湾などで軍事関係の仕事をした後の1961年、戦時下にあったベトナム・カンボジア・ラオス国境の山岳地帯で暮らす少数民族と初めて接触した。
アメリカ側に就いた南ベトナムをバックアップするため、少数民族を秘密裏のうちに反共ゲリラに仕立て上げる仕事を始めた。
アメリカが公式に軍事介入を始める以前のベトナム戦争であるから事実関係が殆ど不明だが、すでにポシェプニーはCIA内部でも悪評が目立ち始めていた。
ポシェプニーは独断で幾度となく北ベトナムの戦場に赴いており、ときに同僚を戦闘で死なせる事態を招いたことや、自身もブービートラップ(爆発物?)で負傷、指を数本失うなど無傷では済まなかった。そうした戦闘のストレスから酒癖の悪さに弾みがつくと同時に、少数民族と生活を共にするうち自身と民族との間の境界線を見失う。
そうしてポシェプニーの暴走が始まった。
ポシェプニーの暴走
1964年。ポシェプニーは報告書と合わせて、殺害した北ベトナム兵士の遺体から切り取った大量の耳を袋に詰め、アメリカ大使館へ送りつけてきた。ポシェプニーによれば、自身のゲリラ兵とした少数民族にこう告げたという。
殺害した北ベトナム兵士の首や耳を切り取って寄越せば報酬を支払う、それが実行されたらしい。
報告書にも耳をホッチキスで留めて送った、ともポシェプニーは何処かのインタビューで語ったようだが、ここから記事の内容は本格的に怪しくなってくる。
生前のポシェプニーが語り残したインタビューは「話を盛る」傾向がひどく、誇張したか創作したエピソードが山とあるらしい。それが都市伝説と化して、現在まで伝わっている。
ポシェプニーはベトナム・カンボジア・ラオス国境に住んでいる様々な少数民族の勇敢さ、友愛、生存力などに対して、大変な好意を抱いていた。そのなかの一人であった現地の女性(部族の王女?という話もある)と婚約、やがて部族の王のごとき存在となった。さまざまな少数民族との接触や交流、取引にも関与しつつ、交渉相手である別のゲリラと取引するため、土地にある植物を用いて麻薬の製造を開始。ラオスと中国の国境に鉱脈があることを知ったポシェプニーは、CIAの資金開発のためか私腹を肥やすためか、そこに鉱山を開発することを真剣に考えた。そうしているうちアメリカはベトナム戦争への本格的な介入が始まり、戦争の泥沼にはまっていく。
1970年ごろには、もはやポシェプニーにとってCIA工作員としての仕事はどうでもよくなっていた。
北ベトナムのゲリラとの間で戦闘は続いていたものの、それはアメリカ軍と北ベトナムの戦争というより、ポシェプニーが率いる部族と北ベトナムの戦闘となっていた。
ポシェプニーとCIAとの間で連絡や業務提携は続いていたが、アメリカ軍の軍用機に乗っていたポシェプニーはあるとき、上空から地上にむかってゲリラ兵の生首を放り投げた。軍用機が通過した地上には対立している部族の村があって、そこの住人を威嚇する意図から起こした行動だった。
存在そのものが都市伝説?
こうした暴走が重なり、ポシェプニーとアメリカ軍・CIAの対立は決定的となった。アメリカ軍がベトナム戦争から撤退する頃には、ポシェプニーはCIAを解雇される。その後は独自にゲリラ活動を行っていたとする話もあれば、平穏な農民として生きていたという話もある。
あるいは自身の部族ごとアメリカ軍に爆撃され、以後は長らく行方不明であったという話や、北ベトナム軍に捕まって捕虜収容所で囚われの身であった、などなど・・・・。
だがポシェプニーは1990年代、どうやってか生きてアメリカに帰還。2003年に激動の生涯を母国で終えた。
ポシェプニーは生誕から第二次大戦が終結する前後、それにアメリカへ帰還して以降の足取りは分かっている。だが、CIA時代の事については殆ど検証が進んでおらず、その頃のポシェプニーの存在そのものが都市伝説である。
私は当初、ポシェプニーに関しては歴史学や軍事学の分野で検証が進んでいるものと思っていたが、そうではなかった。情報公開が進んでいないことも手伝い、ポシェプニーは未だ「実在した都市伝説」のような存在であるらしい。
触らぬ神に祟りなし。
ポシェプニーがベトナムで行った数々の所業、その実態が明らかとなるのは、まだ先のことだ。
※画像はイメージです。
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