MENU

一撃で敵艦艇を撃沈する可能性を秘める兵器「魚雷」

当サイトは「Googleアドセンス」や「アフィリエイトプログラム」に参加しており広告表示を含んでいます。
  • URLをコピーしました!

科学技術の進歩に合わせて各種の兵器も各々の時代における進化を続け、日進月歩で変化を遂げている事は、例えば現在と第二次世界大戦におけるそれらの変遷を見れば、否応なく納得させられてしまう。
例えば戦闘機であれば第二次世界大戦時には、レシプロ・エンジンの単葉機が空対空兵装としては各種の口径の機銃を装備していたが、今やそれはジェット・エンジンでミサイルを積み、機銃はオプションと化している。

第二次世界大戦までは各国海軍の主戦力と目されたのは戦艦であり、大口径の主砲を数多く搭載する事で強力さを競ったが、開戦後は航空母艦の艦載機による航空攻撃の前にはその意義を喪失した。
そして今では戦艦のような巨大な水上戦闘艦は鳴りを潜め、大きくとも概ね凡そ排水量で10,000トン前後の駆逐艦クラスが主流となり、その主兵装もVLS(垂直発射管)から運用される各種ミサイルに置き換えられている。

そうした中で魚雷は使用される母体が潜水艦(現在では攻撃型潜艦と分類される)である事、艦首に備えた魚雷発射管から運用される事自体には大きな変化は無く、今も主兵装としてその立ち位置を堅守している。
今回は開発されて実用化された後、今に至るまで大きな兵器としての立ち位置の変更が無く、未だ潜水艦の主兵装として君臨する魚雷について簡単に振り返って見たいと思う。

目次

大まかに2つある魚雷の起爆形式

そもそも魚雷とは日本語で魚形水雷を短縮した固有名詞であり、水中において内包する火薬を炸裂させる事で敵の艦艇を攻撃する水雷の一種であり、英語ではトーピード(シビレエイ)と呼ばれている兵器だ。
魚雷は自ら水中を航行して敵艦艇に向かう兵器であり、大きくは敵艦の喫水線下の船体に直接衝突させて起爆させる触発信管型と、敵艦の磁気に反応させて艦艇の底部の下で炸裂させる磁気信管型がある。

触発信管型は敵艦艇の船体に直接穴を空けて浸水させる反面、一撃で撃沈させる事は困難とも言われ、複数発を同時攻撃に使用する攻撃方法が一般的だとされ、日本の戦艦・大和や武蔵もこうした攻撃を受けた。
一方の磁気信管型の魚雷は相手の艦艇の船体の真下で炸裂させる事が出来た場合、艦艇を支えている竜骨と言われる中核の構造を破砕する事で一気に撃沈する事も可能とされ、大型艦でも例外ではないとされている。

魚雷の開発

世界で初めて自律航行を行う魚雷が開発されたのは1866年とされており、当時のオーストリア=ハンガリー帝国海軍の将校のジョヴァンニ・ルッピスとイギリス人技師のロバート・ホワイトヘッドが制作した。
ジョヴァンニ・ルッピスは陸上からロープによって駆動させる新兵器のアイデアを発案、これをロバート・ホワイトヘッドがやがて圧縮した空気を使用して自律航行する仕組みに進化させ魚雷が完成した。
このホワイトヘッド魚雷と呼ばれる事となった兵器は4年後の1870年に射程距離約910メートルで時速約11キロメートルを達成、更に進化を続け20年後の1890年には時速約56キロメートルと飛躍的に速度を増した。

こうして兵器としての性能を高めるのと並行して、ホワイトヘッド魚雷は各国海軍から新兵器としての将来性が評価され、1881年の時点で10ケ国に採用されるに至り、海戦における枢要な位置を確立して行く。
ジョヴァンニ・ルッピスの構想を実用的な兵器へと高めたロバート・ホワイトヘッドに手腕は確かではあるが、これを正しく評価し予算を与えたオーストリア=ハンガリー帝国海軍の慧眼も特筆に値するだろう。

日本における魚雷攻撃の例と実績

日本においての魚雷の活用は日清戦争時の1895年の威海衛の戦いや、日露戦争における1905年の日本海海戦で大きな注目を集める事となり、以後大日本帝国海軍ではより高性能な魚雷を開発する事に注力した。
先ず日清戦争時の1895年の威海衛の戦いであるが、当時の日本は清側の北洋艦隊に主力艦の火力で劣る事から魚雷を搭載した小型の水雷艇部隊による威海衛湾への夜襲を敢行、戦艦を含む4隻を撃沈する大戦果を挙げた。

また日露戦争における1905年の日本海海戦では東郷元帥麾下の連合艦隊がバルチック艦隊に完勝を収めたが、この時も水雷艇と駆逐艦による夜間攻撃が敢行され、1隻を撃沈、複数隻に損害を与える事に成功している。
こうして日清・日露の両戦争で主として水雷艇による攻撃で戦果を挙げた魚雷を日本海軍は重視しており、太平洋戦争の開始前の1933年には酸素魚雷の実用化に成功、これらは九三式や九五式としてよく知られている。

酸素魚雷とは、燃料と乳化剤を用いて機関を駆動させるのが一般的な熱走式魚雷の中で、乳化剤の大気に替えてその濃度以上の酸素混合気体又は純酸素を使用したもので、速度・射程・威力共に秀でていた。
熱走式の魚雷は内燃機関によって推進力を得ている為、当然のことながら排気ガスが物理的に生じるが、酸素魚雷はその成分の大半が炭酸ガスと水蒸気である為、発射時の航跡が薄く視認されにくい特性がある。
それに加えて酸素魚雷は一般的な熱走式の魚雷に比して、燃焼効率が高い為に速度や射程距離に優れてはいたが、反面でその高速さ故に磁気式の信管での起爆は出来ず、触発式の信管のみでの運用であった。

九三式魚雷は弾頭部に480Kgの炸薬を搭載し、総重量は3トン弱もあったが、距離22kmならば最大で52ノット(時速96km)を発揮可能で、主として水上戦闘艦である駆逐艦に搭載され、61cmの雷発射管から運用された。

第二次世界大戦後の魚雷

前述した九三式等の酸素魚雷以外にも日本海軍では、九一式などの航空機に搭載する魚雷を開発、1941年の真珠湾攻撃では水深の浅い同湾に停泊していた艦艇の攻撃を成功させ、航空攻撃の有用性を認識させた。
しかし第二次世界大戦で実用化されたレーダーの性能が飛躍的に向上し、またミサイル技術が進歩すると相対的に低速で且つ無誘導の魚雷を命中可能な距離まで、敵艦に接近する事は困難となっていった。

それにより航空機の雷撃機や水雷艇は次第に廃れ、水上戦闘艦を攻撃する為の長魚雷は対潜水艦用途に限定された短魚雷へと置き換えられ、長魚雷は専ら攻撃型潜水艦が装備する専用の兵装として命脈を保っている。
近年西側諸国の水上戦闘艦の標準装備となっている対潜兵器は、アメリカ海軍が1960年代に実用化したRUR-5 アスロックであり、短魚雷のMk.44にロケット推進器を取り付けたもので凡そ10km先までの潜水艦を攻撃可能だった。

登場した当初は専用の8連装の箱型ランチャーに格納されていたアスロックは、今では水上戦闘艦の標準装備のVLS(垂直発射管)から運用が可能で、RUM-139 VLAと呼ばれている新型では射程距離も22kmまで延伸されている。
アスロックは攻撃を行う敵の潜水艦に対し、発射時にはロケットで空中を飛翔して目標に向かい、しかるべきタイミングと位置で落下傘で着水し、その後は水中を追尾して進み潜水艦に命中させる仕組みとなっている。
水上戦闘艦は敵の潜水艦を探知・発見する為に、友軍の哨戒機や哨戒ヘリと連動して一連の行動を行うが、逆に潜水艦側はそれらの探知を躱しつつ長魚雷で一撃必中の攻撃を狙うと言うのが今の戦い方になるのだろう。

今でも海上自衛隊の切り札的な存在の魚雷

現在(2024年)、日本の海上自衛隊は潜水艦隊として22隻の実戦配備態勢を敷いており、内訳はおやしお型9隻、そうりゅう型12隻、たいげい型1隻で其れは構成されており、広い領海を防衛する中心戦力である。

今でこそ2022年末に大幅な防衛費の増額が閣議決定され、遂に日本もトマホーク巡航ミサイルのような長距離兵装を装備しようとしているが、主戦力の潜水艦の主兵装は長魚雷であり、今後も暫くはそれは変わらないだろう。
しかし第二次政界大戦以降、多くの特に海軍の括りにおいては実際の艦艇同士の戦闘はほとんど生起しておらず、潜水艦による敵艦艇の撃沈も1982年5月のフォークランド紛争くらいでしか発生していない。

そんな中にあって今も続くロシア・ウクライナ戦争では、昨年2022年にロシアの黒海艦隊の旗艦であった巡洋艦モスクワが沈没するなど、潜水艦の攻撃ではないが実に久々な事象が発生し注目を浴びた。
不謹慎ながらこうしたロシア海軍の実体を間のあたりにすると、海上自衛隊の潜水艦ならば撃沈は容易なのではないかと、個人的には思えてならなかった。

※画像はイメージです。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

思った事を何でも!ネガティブOK!

コメントする

コメントは日本語で入力してください。(スパム対策)

目次