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トーテムポールは何を思う?

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昭和の高度成長期、人口と共に子供の人数も増え、小学校も沢山造られていった時代でした。
私の通っていた小学校でも在校生が1,000人を超えた事のお祝いが開かれ、徐々に校舎を増設していって大きくなっていく学校にワクワクしたのを覚えています。

あれから時が経ち、私は大人になり、子供が同じ学校に通うにようになって起こった事です。

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卒業制作のトーテムポール

今はどうなのか解りませんが、その頃の小学校では、6年生になると記念に卒業制作作品を作る習慣があったのです。
私が6年生の時、6年間お世話になった学校に恩返しと、残された生徒たちを見守り続けたいという気持ちが込めて、生徒たちがクラスの班ごとに1個のトーテムポールを作り、学校のいたる所に設置して卒業していきました。

しかし時が経ち、設置した生徒達の事を覚えてる子供たちは卒業し、先生も転勤して、当時の生徒達がトーテムポールに託した想いを覚えている人はいなくなり、在校生にとってトーテムポールは不思議な物体だったのでしょう。

設置した当初は50個ぐらいあったトーテムポールも、いたずらで石を投げられ、棒切れで叩かれたりで壊され、1つ、また1つと姿を消し、最終的には十本ぐらいしか残っていません。
卒業生達が遺した最後のトーテムポール達もボロボロでしたが心ある先生の意見もあって、安全を考慮した学校の端っこにまとめて設置されたのでした。

PTAで学校へ行く事があり、この事を知ってトーテムポールを見にいったのですが、私の作ったものはありませんでした。ただ、いくつかは知っている友人が作ったもので、小学生の時の思い出が頭いっぱいに浮かんできて、少し涙ぐんでしまったのです。

トーテムポール達

ある時の事、まだ児童が沢山いた頃に増設されたけれど今では使わてなく老朽化した校舎、校庭にあった遊具を撤去する事になったのです。同時にボロボロになっている、トーテムポールが撤去されることが決まったのです。
もちろん私は反対したのですが、もしも倒れて生徒が怪我をしたらという父兄の意見が多く、仕方のないことと受け入れました。

工事が始まり、重機達が徐々に校舎を崩し初めた頃でした。
記録的な台風が襲いかかり、学校のすぐ脇を流れる川が反乱し、校舎の敷地内にまで大量の土砂が溢れて重機が流されて大変な事になったのです。
幸いな事に犠牲者は出ませんでしたが、周辺地域の被害はかなりのものでした。

そして、水が引いた学校のいたる所にトーテムポール達が学校を荒らして回ったかの様に転がっていたのです。
生徒達を見守る筈が忘れらて、その生徒たちの玩具にされて最後には邪魔者としてごみの様に捨てられる。

トーテムポール達の抗いと共に悲痛な叫びが聞こえてくるようでした。

※画像はイメージです。

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