一夜にして1,430名もの命を奪い去った台風は、最も甚大な被害を生んだ洞爺丸の名を冠して後に洞爺丸台風と呼ばれるようになる。
この洞爺丸台風の悲劇は、多数の命が失われた七重浜などでいくつもの心霊現象を生みだしていった。
七重浜に蠢く「無数の白い手」の恐怖
事故当日、激しい荒波によって1,000体を超える遺体が打ち上げられた北海道北斗市七重浜には特に多くの心霊現象が語り継がれている。
特に事故直後、住民たちの間で噂されたのが「七重浜の海中から無数の白い手が伸びてくる」という話だ。
七重浜は夏には海水浴のメッカとして親しまれていた場所だった。
天気が悪いわけでも、波が高いわけでもない、夏の穏やかな日に七重浜で泳いでいると、突然冷たい手のような感触に足を掴まれ、海中へ引きずり込まれそうになるというのだ。
船から波が荒ぶる海に投げ出された犠牲者にとって、ギリギリのところで岸に手が届かなかった無念が、今なお助けを求めて海中でもがき苦しんでいるのだろうか。
なお、七重浜は毎年7月から8月の一定期間、海水浴場として開かれている。
興味のある方はぜひ行ってみるといいだろう。
洞爺丸を沈めたのは誰か、自殺のメッカ洞爺丸
北海道と本州を結んだ青函連絡船。
洞爺丸に限らず、であるが、この航路上では特に夜間運航中に船から海に飛び込み自殺する者が結構な数いたようで、裏では「自殺フェリー」などと揶揄されていたようである。
自殺するからにはなんらかの無念があったのだろう。
そのため事故直後、自殺フェリーの噂を知る人々の中で、自殺者の怨念が洞爺丸を揺り動かして沈没させたのではないかという噂があがったのだ。
もちろん、洞爺丸転覆原因は台風によるものだとご理解いただいた上で読んでいただきたい。
しかし、七重浜の海でみられる無数の手というものが、洞爺丸沈没事故による死者だけでないとしたら、それはそれで少し不気味だ。
永遠に目的地へ着かない「濡れた服の乗客」
晴れた日の深夜、タクシー運転手は七重浜の路上で女性客を乗せる。
女性は「函館駅まで」とだけ小さく告げると後部座席で黙りこくってしまった。
運転手は言われた通りに函館駅に向かってタクシーを走らせるがなんとなく薄気味が悪い。
こっそりバックミラー越しに女性客を盗み見てみると、うつむきがちの顔は血の気が引いて青白く、なにより、雨など降っていないのに服や黒髪から絶えず水が滴り落ちていた。
運転手はもうただ早く無事に着くことだけを考えて、必死に目的地を目指した。
冷や汗まみれになりながらようやく目的地に到着し、「お客さん、着きましたよ」といって運転手が後ろを振り返ると、乗せたはずの女性は消え、ただぐっしょりと濡れたシートだけが残されていた。
女性が辿り着きたかったのが、洞爺丸が出港した函館なのか、それかどこか帰りたい行き先があったのか、強い帰巣本能がタクシーを呼び止めたのだろうか。
なお、霊がタクシーを呼び止め、なんらかの痕跡を残して本人は忽然と消えるという怪談話は日本全国で聞かれるタイプの話だが、どうやらこの七重浜のタクシーの話が最も古く、原点と言えるようである。
乗り物が籠、馬車などのパターンは以前にも見られるが…。
そういった意味では、この心霊現象は信ぴょう性の高い話と言えるかもしれないし、怪談話の進化を物語っているのか、興味深い話ではある。
慰霊碑に響く救いを求める悲鳴とすすり泣き
未曾有の事故を経て、七重浜には犠牲者の冥福を祈るために「台風海難者慰霊碑」が建立されている。
しかし、祈りが届くことはなかったのか、ここにも霊を見たという話は後を絶たない。
海が荒れる夜や、事故が起きた9月26日前後になると、慰霊碑を望む海の方から「助けて!」「痛い、寒い、怖い!」という悲痛な叫び声や、女性のすすり泣きが風に乗って聞こえてくるという。
また、慰霊碑付近を散策していると誰もいないはずの慰霊碑の影からじっとこちらを見つめる、水浸しの女性を目撃したという話もある。
事故当時、ほとんどの遺体は何とか身元を確認された後、現地の臨時火葬場で荼毘に付され、遺骨や遺品は遺族と共に帰るべき場所に帰ったはずだ。
それとも波間に消え、遺体すら帰ることが叶わなかった100名近い人々の魂がまだ七重浜に漂っているのだろか。
心霊現象は青森でも
洞爺丸の行き先であった青森にも、洞爺丸の犠牲者と思われる幽霊の目撃情報が存在する。
青森の港湾事務所の職員が宿直室で寝ていると、しきりに待合室の窓ガラスを叩く音がする。
「トントン、トントン」。
深夜であるにも係わらず止まない音に業を煮やした職員は、眠い目をこすりながら待合室を見に行くことにした。
急な用件か、忘れ物か、はたまた迷惑な酔っ払いか…。
職員が音のする待合室の窓ガラスを確認するが、ガラスを叩く人の姿は見えない。
代わりにあったのは、窓ガラス越しに見える、無数の手だった。
誰もいない待合室で絶叫した職員は一目散に宿直室に逃げ帰り、布団をかぶって一晩中ガタガタと震えるしかなかった。
翌朝、恐怖を押し殺して改めて窓ガラスを確認してみると、ガラスは一面が手形で埋め尽くされていたという。
死後、強い気持ちで行き先の青森に辿り着いた霊ということなのであろうか。
洞爺丸事故の犠牲者には青森県民が多かったという。
なんとしても自宅や郷里に帰りたいという執念を感じさせる話である。
ミスター強運・西塚十勝という男
洞爺丸沈没事故は多くの人々が亡くなるという悲しい結末をみた。
だが一方で、この不運なる事故を類まれなる強運で乗り越えた逸話を持つ男性がいる。
それが、競馬会の重鎮としても知られる西塚十勝調教師だ。
西塚氏は仕事で本州へ渡るため、事故船となった洞爺丸に乗船予定だった。
切符も取り、函館港からほど近い湯の川温泉で過ごしていたが、そこで知人に誘われた宴会に出席。
宴は大いに盛り上がり、西塚氏は寝過ごして洞爺丸を乗り過ごしてしまい、結果命拾いをする形となる。
この1つだけなら、西塚氏以外にも諸事情で洞爺丸に乗らずに九死に一生を得た人というのは他にもいると思うのだが、同氏が強運の持ち主といわれる所以は、彼の命拾い話が洞爺丸事故のエピソードに留まらないところだ。
西塚氏は小学校卒業後、親族が営むパン屋に奉公に出ていた。そこで遭遇したのが1923年9月1日に起きた関東大震災だ。地震でパン屋から道路に飛び出した直後、パン屋の建物は倒壊。
もしも建物内にいたままなら、圧死、直後に起きた火災による焼死は免れなかっただろう。
洞爺丸沈没事故以降も、1971年7月3日、搭乗予定だった飛行機の搭乗時刻に遅れたことで乗客乗員68名が全員死亡した、ばんだい号墜落事故を回避。
さらに1982年2月7日、ホテルチェックイン後、新宿で飲み明かしていた西塚氏は同日深夜に起きた日本火災史に残る大災害、ホテルニュージャパン火災を免れた。
しかも西塚氏の宿泊予定だった部屋は、火元となった9階。
もしも部屋で寝ていれば、命の危険に巻き込まれたであろう。
人1人の人生の中で、4度も歴史に名高い災害や事故を回避したとなれば、強運との名を冠するのも納得である。
しかも関東大震災以外の事故時、西塚氏はどうやら愛人らと過ごしていたようで、ある種の女運の強さというのも感じられる。
「運」というものに懐疑的な方もいるかもしれないが、運以外では説明し難い出来事だ。
※画像はイメージです。


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