海難事故といって最初に思いつくのは、おそらくタイタニック号沈没事故だろう。
しかし、日本でもこのタイタニック号沈没事故に匹敵する海難史上でも類を見ない惨劇が起きたのをご存じだろうか。
それが1954年、青函連絡船・洞爺丸沈没事故である。
激しい暴風雨の中、嵐の波間に消えた魂。
犠牲者の無念が訴え、そして作り上げたものは、人々を恐怖に引き込む逸話か、それとも…。
怪物台風の発生
1954年(昭和29年)9月21日ヤップ島(現ミクロネシア連邦)の北で台風15号が発生する。
猛スピードで北上したこの台風は9月26日未だ暗い2:00頃には日本本州に到達。
鹿児島湾から大隅半島北部に上陸し九州東部を縦断。
中国地方を通過する頃には時速100㎞という速度に達し、同日8:00頃には山陰沖から日本海へと進行する。
時速100㎞といえば、特急列車や高速道路を走る自動車並みの猛スピードだ。
台風15号はこの恐るべきスピードを保ったまま、日本海に入るや中心気圧を急激に下げ、さらに発達を続け北上していく。
1954年当時の気象観測レベルをはるか凌駕する、人の手には負えない化け物の誕生だった。
そんな化け物が目指したのが日本の北の果て、北海道。
未曾有の海難事故発生へのカウントダウンのはじまりだ。
北の大地の生命線
1950年代、北海道と海を隔てた本州を結ぶ主要な交通手段が青函連絡船だった。
北の大地から石炭や木材を送りだすことで戦後日本の復興の原動力となり、また本州から生活物資を北海道へ送ることで北海道の人々の生活を支えていた。
空路はまだまだ発展途上であり、高額で庶民の手が届かず、大量輸送には向いていない当時において、青函連絡船は北海道ひいては日本復興の要ともいえる重要インフラだった。
その青函連絡船の1つ、戦後すぐの1947年11月に函館・青森間を結ぶ客載車両渡船として就航したのが、国鉄が所有・管理する洞爺丸だ。
全長118.7m、型幅15.85m、深さ10.8m、航海速力: 14.5ノット(約27km/時)を誇る大型船で旅客定員932名、貨車換算による車両搭載数が18両、甲板には3線の軌道が敷かれており、貨車を直接積み込むことができた。
函館・青森間を約4時間30分ほどで結び、当時の最新鋭の技術や豪華な客室・設備を備えていた。
1954年8月には昭和天皇が乗船するお召船にも選ばれており、まさに国鉄の誇り、青函連絡船を代表する花形的存在だったと言えよう。
そんな華々しい経歴の女王船はなぜ怪物台風に荒れ狂う海へ出航することになったのだろうか。
嵐の海へ、洞爺丸出航の決定と過ち
1954年9月26日11:05、同日6:30に青森を出航して函館港に入港していた洞爺丸は14:40の出航予定時刻まで港で待機していた。
函館海洋気象台は、11:30に「暴風雨警報」を発表。
台風は夕方頃には道南地方に接近し、海上では最大風速25〜30mに達すると警告を出していた 。
函館市内の断続的な停電のため、貨車を運び入れるための陸上の線路と洞爺丸の間の可動橋を外すことができず、出航見合わせとなってしまったのだ。
さらに15:00の気象台発表によれば、台風は時速110kmという猛烈な速度で北東へ進んでおり、気象台は台風が17:00頃には渡島半島を通過、日付をまたぐ頃にはオホーツク海へ抜けると予測していた 。
無事に出港できるのか、乗客と荷物を満載に積んだ船内で、船長をはじめとする船員たちは緊迫感につつまれていた。
17:00頃、まるで天が味方したかのように函館港では風が急速に弱まり、雲の隙間から夕暮れ空すら見えるようになる。
船長は「台風は猛スピードで過ぎ去り、港が台風の目の中に入った」と判断。洞爺丸の出港を決定する。
しかし実際のところ、台風は今までの猛スピードが嘘であるかのように減速。速度を時速40㎞以下に落として、勢力は維持したまま北海道南西海上で停滞していたのである 。
17:59のラジオ放送でもこの情報には触れられており、「台風は江差の西方100キロを北上中」と報じられていた。
つまり、函館港の目と鼻の先で化け物は牙を剥いたまま洞爺丸を待ち構えていたことになるのだ。
だが、この台風の最新情報が洞爺丸の乗船していた船長のもとに届くことはなかった。
運命の分かれ道を死神が手招きする方へと舵を切った洞爺丸は、1300人以上の乗客・乗員を乗せて18:39に函館港を出港する。
荒れ狂う函館湾、そして沈没へ
出港直後、天候は劇的に悪化し、洞爺丸は早くも苦難を強いられることになる。
18:55、台風の気圧はさらに下がり、風速は再び上昇。
船には南から暴風が吹き付け、海水の飛沫で視界が遮られるほどだった。
船長は早々に函館港外へ出ることを断念し、19:01、港を守る防波堤の外側にある、真砂錨地(底が砂地の停泊ポイント)で、錨を下ろして嵐が過ぎ去るのを待つ状態に入った。
函館湾の入り口は南西方向に大きく開いているため、そこから吹き込んでくる猛烈な南風が、海水をそのまま湾に向けて押し込んだため、高さ6mもの巨大な波が次々と押し寄せて洞爺丸に打ち付け、船は激しく揺さぶられることになってしまった。
さらに洞爺丸の構造が仇となる。
洞爺丸は船尾に車両積載用の開口部をもっており、この開口部に扉やシャッターなどはなく、穴が開いたような格好になっている。そのため、波が激しくなるとこの開口部から車両甲板に水が入り込み、船内まで海水が流れ込む構造になっていたのだ。
20:00頃には大量の海水が車両甲板を通じて機械室などに浸入。
海水によってボイラーの火は消え、ついに洞爺丸は動力と操舵能力を完全に喪失してしまう。
22:00頃には両錨が海底を掻きながら船体が流される走錨状態となり、洞爺丸は漂流という事態に陥る。
船長はあえて船を浅瀬に座礁させることで、沈没を防ごうと試みた。
乗員らは座礁させたとしても、転覆することはないだろうと考えていたようだが、折からの高潮と強風、そして船体への浸水による復原力の喪失には抗えなかった 。
22:39、陸上に向けてSOSが発信されたものの、洞爺丸が直面していた危機的な状況は正確には伝わっておらず、早期の救助の可能性もほぼ途絶えた。
そしてついに22:43、午後10時43分、洞爺丸は函館港からほど近い七重浜沖で右舷に大きく傾き、赤い船底部を海面に曝した状態でついに転覆、そして多数の乗客乗員を乗せたまま沈没してしまった 。
〇地獄と化した船内
時を少し戻した15:00頃の出港前の洞爺丸船内。
予定時刻を過ぎても出港できない苛立ちと台風の接近に伴い荒れる海を心配し、下船を申し出た乗客もいたものの、船員らに押しとどめられる場面もあり、船内は騒がしい様子だった。
17:30頃、船内に港を伝えるアナウンスが流れ、18:39に乗客の不安と共に洞爺丸は出港する。
しかし、先に触れたとおり、出港してすぐに船は航行が難しい状況となり、錨を下ろす。
船は右へ左へと激しく揺れ、船内ではまともに立って移動することはできなくなっていた。
20:30頃には「機関故障により航行不能となったため七重浜に座礁する」とのアナウンスが入る。
乗員らが「大丈夫だ」と乗客らをなだめながら船内を回っていたようだが、無情にも船はさらに大きく傾きデッキから船室にも海水が流入。室内にいた乗客らの頭上に海水の滝がすさまじい勢いで流れ落ちてきた。
船内の水位はどんどんせり上がる。
背の低い者たちは早々に床から足が離れてしまい、迫る死への恐怖に歪んだ顔が水面に浮かんでは沈むようになってしまった。
ある母親は水の流れに抗い、必死に我が子を胸に抱きしめ船外を目指したが、叶うことはなかった。中には混乱の最中、家族と離れ離れになってしまい、父母の名を叫びながら波にのまれていく子どももいた。
なんとかデッキに辿り着いたとしても、転覆した船から投げ出され、無慈悲な夜の海のうねりの中に消えて行ってしまった者もいた。
高い波と巨大な漂流物、そして浮かぶ遺体の間をかき分けどうにか七重浜まで辿り着いたものの、夜明けの救助を待てず息絶えてしまう者もいた。まさに阿鼻叫喚の有様だ。
翌朝、七重浜に打ち上げられた遺体は凄惨を極めた。
救助に来た人々は最初、浜に打ち上げられたそれが遺体だとはすぐにわからなかったという。
遺体は沈没場所から浜に辿り着くまでに、波にもまれ他の遺体や船体、漂流物にぶつかり続けたせいで手足が千切れ、身体がボコボコになってしまっている者も多かった。
さらに波によって流れ着いた大量の漂流物の下敷きになり、風によって運ばれた砂に半分埋まってしまい、打ち上がったのが人なのか物なのか、一目見ただけでは判別できない有様だったという。
乗客・乗員1,314名中、生存者はわずか159名。
実に1,155名もの尊い命が北の海に散る結果となってしまった。
洞爺丸だけでなかった、闇の海に消えた船たち
大型客載車両渡船洞爺丸以外にも、この化け物台風によって貨物船・第十一青函丸、北見丸、十勝丸、日高丸が転覆もしくは船体破断の後、沈没した。
転覆の原因は洞爺丸同様、猛烈な風浪による船内への浸水が原因である。
これら貨物船4隻合計の犠牲者は乗組員計275名にも達し、洞爺丸と合わせた総死者・行方不明者は1,430名に及ぶ。
中にはSOSを発信している途中で水音と共に声が途切れ、波にさらわれたとみられる乗組員もいたという。
貨物船の乗組員は国鉄職員だったため、生存者・行方不明者の捜索は洞爺丸が優先とされた。
ただ、貨物船乗組員にも家族や親しい者がいたはずだ。
もしもすぐに船内が捜索されれば、生きている者が見つかった可能性もある。
その可能性が打ち消せない以上、捜索が始まるまでの期間は、乗組員たちの帰りを待つ者にとって舌筆しがたい時間だったに違いない。
乗客を載せ、圧倒的多数の死者・行方不明者を生んだ洞爺丸沈没事故の影に隠れがちであるが、当時の日本の海上輸送を支えた貨物船乗組員たちの功績を偲び、冥福を祈りたい。
洞爺丸事故の沙汰の行方
未曾有の惨事となった洞爺丸事故。
事故後、その責任の所在を巡る海難審判が開かれた。
審判の最大の焦点は、発航判断の妥当性だ。
国鉄側は一貫して「予想を超えた異常気象による不可抗力だった」と主張し、事故の規模とも相まって長期かつ熾烈な責任争いが法廷で繰り広げられた。
しかし、1959年に下された高等海難審判庁の裁決は、この悲劇の本質を「人災だった」と断定する。
当時の洞爺丸船長が台風の目に入った一時の天候の好転を「台風通過」と誤認し、出航を強行した判断ミスを事故の直接原因と結論付け、適切な気象判断と注意義務を怠らなければ沈没は回避できたとし、船長および国鉄の過失を認めた。さらに、防水扉の未設置や安全対策の杜撰さなども浮き彫りとなり、国鉄の組織的な安全管理の怠慢が浮き彫りとなった。
海難審判によって、国鉄の非が認められたため、国鉄から被害者・遺族へ賠償金が支払われることになる。
最終的な賠償金支払総額は事故当時の金額で約10億5,000万円に達したとも言われている。
この巨額賠償金をなんとしても避けたいというところも、国鉄が責任逃れをしたかった一因だろう。
金も誠意の一つだが、その金で死者の命を取り戻すことができるものでもない。
やはり事故によって心身に傷を負った者や大切な人を突然失った遺族にとって、完全なる慰めにはならなかっただろう。
時代の転換~青函トンネル建設へ
1,430名という未曾有の犠牲者を出した洞爺丸沈没事故は、荒天に左右される連絡船の限界を世間に印象付けた。
同時に国鉄の悲願であり、当時あまりに無謀な夢物語とも揶揄されていたあるプロジェクトが現実味を帯びることになる。
それが「青函トンネル」の建設だ。
そもそも青函トンネル建設の構想は大正時代、具体的な検討は戦前から存在した。
ただ、技術・資金面でのハードルが高く、戦後から洞爺丸沈没事故前にかけては、ほぼペンディング状態だった。
事故を機に状況は一変。
安全に本州と北海道を結ぶ「道」の建設は国民の声となり、国家の一大プロジェクトという形で現実になったのだ。
しかし、そのトンネル建設への道のりは苦難の連続だった。
本州と北海道を隔てる津軽海峡の海底は世界屈指の難地盤とされており、硬い岩盤と凄まじい水圧との戦いは「地獄への穴掘り」とも形容される難工事だった。
工事中には大規模な出水事故が相次ぎ、最終的に殉職者34名という新たな犠牲を積み上げることになる。
そして事故から34年の歳月を経た1988年、全長53.85km、海底下約100mを突き進む巨大な鉄の道、青函トンネルが開通した。
日本の悲願達成の瞬間だった。
青函トンネル建設を巡る黒い噂
さて、多くの犠牲者や殉職者の上に達成された、文字通り汗と涙、そして日本の技術力の結晶と呼ぶにふさわしい青函トンネル。
このように書くと美談この上ないが、トンネル建設にあたっては黒い噂もある。
青函トンネル建設にあたっては、技術・資金面の難易度から建設反対派の声が強かった。
そのような背景からか事故後囁かれたのが、「洞爺丸沈没事故は青函トンネル推進派が、工事計画を押し通すために、悪天候の中、無理に洞爺丸を出港させたのではないか」という陰謀論だ。
1,000を超える犠牲者までは予想していなかったのかもしれないが、トンネル建設が国鉄にとっての悲願だったと考えると、最後の一押しとして輸送の安全と国民の声というものを利用したかったと考えると、なるほどと思えなくもない。
だが、やはりありえない話ではないかと感じる所以が「金」の問題だ。
青函トンネル建設に向けては莫大な金が必要になる。
しかし、もし船航路の危険を訴えるために洞爺丸をはじめとする船を出港させ、人・物になんらかの被害があれば当然賠償金問題、さらにトンネル完成までは船航路の維持が不可欠のため、新たな連絡船の造船や事故船の修理などの費用が必要になってくる。
工事費を国として支出した上、さらなる費用追加となれば国の懐は寂しくなる一方だ。
まぁそのために、裁判で必死に責任の在りかを争ったのかもしれないが。
いずれにしても、あくまで噂。
ただ、出港を決めたという洞爺丸船長にはそのあたりの話を聞いてみたい気もする。
犠牲者の無念が作り上げた青函トンネル、北海道~本州輸送ライン安全のために
今、北海道と本州を結ぶ人とモノの輸送路の安全は、洞爺丸沈没事故、そして犠牲者や残された遺族らの無念や悲しみをきっかけに築かれものと言っても過言ではない。
惨事が起きてから検討するというのも皮肉な話ではあるが、人間が歴史上繰り返してきたことでもある。
数多の犠牲の上に完成・今日も運用されている青函トンネルであるが、完成から40年近くとなり、老朽化が心配されている。
第2の洞爺丸沈没事故のような悲劇を繰り返さないためにも、警告を告げる犠牲者の音なき声が聞こえる気がする。


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