大学時代に一人旅をしていた時の話です。
私は昔から目的のない旅行が好きで、そして地方路線のバスが大好物でした。
終点の集落
その日も、目的地を特に決めないまま、ローカルバスに乗りました。
温かい春の日差しと古いバスの匂い、揺れが心地よく、ついついウトウトしてしまい、目を覚ました時には車内に私一人しかいませんでした。
運転手がダルそうに発した「お客さん、終点なんだけど」の声に驚き、慌てて飛び降ります。
バス停には古い木製の標識が一本立っているだけで、周囲は山と谷に囲まれて周りはなにもありません。
時刻表を見ると、次の上り便は明日の朝。
「やってしまった」・・・心のなかでつぶやきながら、道沿いに歩いていると、谷沿いに十数軒ほどの集落が見えてきました。
古ぼけた小さな商店を見つけ、店番をしていたおばあちゃんに宿屋か民宿がないか聞くと、「そんなのは無いよ」と。
仕方なしに事情を話すと、集落の公民館のような建物に泊めてもらえることになったのです。
鍵を盛ってきてくれた年配の男性とすこし話をして、彼は最後に一言だけ付け加えました。
「夜、外で名前を呼ばれても、すぐに返事をしないでください」
理由を聞いても、「ここでは、そう決まってる」としか・・・それ以上は話してくれませんでした。
夜の声
その日の夜、珍客がやってきたと公民館に住民たちが集まり、宴会が開かれました。
珍しい郷土料理に地酒、思いもよらない歓迎を受け、「これぞ旅の醍醐味」なんて思いながら、ほろ酔い気分で床についたのでした。
ふと目が覚めました。
誰かが私の名前を呼んだ気がしたのです。
夢だと思ったのですが、声は妙に現実的。明け方だったので、住民の誰かが何かの用事があってやってきたのかな?と。
反射的に「はい」と言いかけたのですが、昼間の言葉を思い出し、口をつぐみました。
少し間を置いて、もう一度呼ばれたのですが、同じ声、同じ抑揚、ただ距離が前より近い。
返事をせず、布団の中で、ただ息を殺してやり過ごしたのです。
朝になり、鍵を返しに商店までいくと、あの年配の男性がいたので事情を話して、「返事をすると、どうなるんですか」と聞いたのですが何も答えてくれませんでした。
たしかに声が聞こえた
集落を後にし、バス停に停まっていたバスに乗り込むと、運転席に昨日と同じ運転手が座っていました。
「夜は寒かったでしょう」
皮肉まじりの口調で言われたので、「集落に泊めてもらったから大丈夫でした」と答え、運転手は一瞬こちらを見てから、前に視線を戻し、なにか独り言をつぶやいたようですが聞き取れません。
バスが発車し、行きは眠っていて気づかなかったが、窓から屋根の崩れた家々が見えました。
人の気配はなく、だいぶ時間が経っているようですが、生活の痕跡だけが残っています。
スマホを確認すると、留守電が一件入っていたので再生すると私自身の声でした。
「もしもし」
短い沈黙が続いた後に、声が聞こえました。
「返事をして・・・」
私は再生を止めて、留守電を削除したのでした。
※画像はイメージです。


思った事を何でも!ネガティブOK!