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双子とドッペルゲンガー

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「ドッペルゲンガー」という言葉を知っているだろうか?
ドッペルゲンガーは自分そっくりのナニカを見てしまう現象で、死の前兆と言われている。
自分とそっくりと言えば「双子」であるのだが。

双子とドッペルゲンガーに纏わる、私の実体験をお聞かせしよう。

目次

私のまわりは双子が多い

私のまわりでは双子がよく見られた。
たまたまだったのだろうが、私の親戚にもいたし、友人の親戚にも、知り合いにも、どこかしら身近に「双子」は存在した。

そもそも双子には一卵性と二卵性があり、一卵性はほぼ100%遺伝子が同じなのに対して、二卵性は実質「同じ日に生まれた兄弟」である。当然、血の繋がりはあるので似てはいるが「全く同じに見える」なんてことは少ない。

最も身近なところでいうと、私の母と叔母が双子がけれど二卵性。
赤ん坊の頃は二卵性だとは思えないくらい瓜二つだったというが、今では「血の繋がりがあるなぁ」と感じる程度。

性格や好みならまだしも「同じ人間に見える」だなんて、そんな風に思ったことは・・・あの時、ただ一度きりだけだ。

お母さんとおばさん

学校の帰り道、仲良く並んで歩く母と叔母の後ろ姿を見かけ、声をかけに早歩きで近づいた。

「あれ?お母さんと?叔母さん・・・」
呼びかけようとした時、私の言葉は止まった。

一瞬の違和感がビビビと全身を駆け巡り、まるで警告のように私の脳内に指令を出した。
上げていた手が下がる。ゆっくりと歩幅を緩め、そっと距離を取った。
そして、私に気づかなかったらしい二人の後ろ姿を改めて見て、その場で凍り付いた。

まず初めに、おかしいと思ったのは身長差だ。
母と叔母はそこそこ似てはいるが、母が150センチちょっとしかないのに対して、叔母は160センチ超え。二人が仲良く並んで歩いていて、“同じ身長に見える”なんてことはありえない。
靴の差ではないだろう。足元を見たら、二人ともペタンコの靴を履いていた。

次いで感じた違和感は、服だ。母と叔母は40を過ぎても仲が良く、互いに時間があれば遊びに行く仲であるが、いくらなんでも、この年でお揃いの服で出かけたりなんてしない。
最後に感じたのは、どうしてそもそも、私がこの二人を「母と叔母」だと思ったのかである。

いや、違う。厳密にいえば、私には、分からなかった。
「お母さん」と声をかけるべきが、一体、どちらだったのか。

声をかける勇気などとてもなく、ゆっくりと後退し、そのまま踵を返し逃げ帰った。
一瞬だけ互いに顔を合わせたその二人の顔が「全く同じに見えた」なんて・・・いくらなんでも、悪い冗談だ。

私の勘違い?

家に帰ってすぐ、そのことを兄に話すと、兄は「もう暗いからな、そう見えたんだろ」なんて笑っていたが、こちらは笑い話ではない。

母が帰ってきてすぐ、どこにいた、誰といた、と問い詰めると母は笑って「一人で買い物をしていた」と答えた。
それを聞いていた兄には「だから気のせいだって」と言われたが、私は納得がいかない。

確かにあの時はもう薄暗く、俗にいう「黄昏時」は目の前の人の顔が分からず「誰ぞ彼」と問うほどだったのが語源にもなったほどの時間帯だけれども、たしかに私は見たのだ。
しかし結果、家族全員からシツコイと言われ、私の勘違いで幕を閉じた。

それだけでは済まなかったのだ。

ドッペルゲンガー

それから数日経った時のことだ、家に帰ると母が泣き崩れていた。
話を聞けば、叔母が脳卒中で倒れて帰らぬ人となったというのだ。

私の脳裏に浮かんだのは「ドッペルゲンガー」。
あの時みたのは母ではなく叔母だったとして、死の前兆を見てしまったのかもしれないと思う。
仮に母だったすると、不謹慎だがゾッとしてしまう。

私はきっと、死ぬまであの時の光景を忘れないだろう。

※画像はイメージです。

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