父親が亡くなって遺品整理をしていると、机の引き出しの奥に古い木箱があった。
開けてみると、黄ばんだ紙の束が乱雑に詰め込まれていた。
なにが書かれているのだろうと開くと、文字の印字はかすれていて、何かを伝えようとしているのか、それともただ無意味な文字の羅列なのか判断がつかない。
紙の端が滲んでおり、手に取ると独特なぬめりがあった。
ぬる、ぬる、と手が紙の上を滑り、ふいに一枚が指から滑り落ちる。
最初の行に目を落とす。
「閉じたXXX見たものは、消えXX黒、すべてがXXり、音が笑い、影がXXXXXる、ねじれXXXXは音のXX沈む、消えろ、消えない、消えてXXXX……。」
なにが書かれているのか全く意味がわからない、文を追うほどに文字がぐらつき、ふと意味をなさない記号のように感じられた。
だが読む手を止められない。不規則なパターンに目が引き寄せられる。ペンで描かれたような線のひとつひとつが、まるで鼓動を持っているかのように、じくじくと痛みを伴って視界にしみこんでくるようだ。
耳鳴りが始まった。じぃぃぃじぃぃぃぃ……と、それが紙の中から聞こえる気がした。紙の中に音が、確かに音があった。次の文章が目に飛び込んでくる。
「何もないXXXに足跡をつけXXXの、そいXXX笑う、言葉が反XXXる、呼び声がXXXXXく、XXXが裂ける、開いた裂け目からXXXXX零れる、XXXけない、XXXX先XXX反転し、真ん中がうご、ぬちゅ、――――――」
冷たい汗が手を湿らせる。
どうしてこんなものに目を奪われているのだろう。文章の内容が理解できない。意味をなさない。なのに、この紙の束を放り出すことができない。
背後で、ぱち、ぱち、と音がした。振り向いたが、そこには誰もいないし何もない。
ただの沢山の本に囲まれた空間が広がっている。それでも音は聞こえる。ぱち、ぱち、ぱち、音のリズムはまるで誰かが無意味に指を鳴らしているようだ。
「手がXXる、けれXXXXい、届いたもXXXXる、消えXXXXが歪む、歪むもXXXX笑XXX、XXが耳をXXXく、裂けた耳からXXXX、それがねXXる、XXじれXXX戻らXX、声がXXる、見えた先がひか――。」
その瞬間、視界がぐらりと揺れた。紙に書かれた文字が、生き物のように動き出すようで、読むたびにぐちゃぐちゃと崩れるような音が頭の中に広がる。
ぐにゃり、じゅるり、と湿った音を立て、まるで自分の意思で形を変えたようだった。
どうしても読むのをやめられない。紙の束はいつの間にか手にべっとりと貼りついていた。どんなに振り払おうとしても、手のひらにしがみついて離れない。文字の形が脳に焼きつき、黒い記号が視界全体にちらつく。
じゅく、じゅく、ぱちん――、音が聞こえた。
父親が亡くなってしまった今、この紙の束がなんなのかは解らない。
何度読んでも誰の目にも意味をなさなかった。
ただ読んだ者は、私も含めて「無事」ではないのだ。
※画像はイメージです。
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