銃火器の「カービン」と言えばアメリカ軍の大半が主力の歩兵銃としているAR系のM4カービンが、他の製品を押しのけて圧倒的な知名度を誇っているように感じられる。
このM4カービンはアメリカ軍において1988年に陸軍がAR系のアサルト・ライフルであったM16A2、2015年に海兵隊が同M16A4を代替するものとして装備した事で、その状況を作り出したと言って良いだろう。
但し「カービン」と言う銃火器についてはこれが絶対であると言うべき定義は存在せず、基本的には歩兵用の小銃よりも銃身長が短く、これに伴い銃本体の全長も短いものに対して用いられている単語だ。
日本語で「カービン」は主として「騎兵銃」と訳されている事からも推察できるように、「カービン」とは騎兵が携行しやすいように銃身・全長を通常の歩兵用の小銃よりも切り詰めた銃火器に付与された総称である。
既に概ね第一次世界大戦の終わりまでに、主要国では騎兵と言う兵科は軍の編成から無くなった形だが、「カービン」・「騎兵銃」と言う名称はそのまま残り、現在まで継承されていると言えよう。
そんな「カービン」の歴史の中でも、第二次世界大戦中にアメリカ軍が投入したU.S.M1カービンは、今日のM4カービンに至るまでは同カテゴリーを代表する銃火器であり、軍用銃の歴史に大きな足跡を残している。
ここではそんなアメリカ軍が第二次世界大戦に投入し、以後も複数の戦争で使用されたU.S.M1カービンについて、成り立ちや運用を含め、解説して見たいと思う。
M1カービンの開発経緯
アメリカ陸軍では、他の主要国が歩兵用の主力小銃に未だボルト・アクション方式、つまり単発のものを使用するなかで、1936年に半自動式のM1ガーランドをいち早く導入、歩兵単位での火力の増強を実現させていた。
しかし前線の部隊の火力はこのM1ガーランドの採用で大きく進化したものの、最前線以外の各種の後方の拠点の警備を主任務とする部隊では、それらの任務を歩兵用の小銃、サブマシンガン、ハンドガンの混成で行っていた。
前線部隊程には火力を求められない、こうした後方支援の部隊の兵士においては、従来の歩兵用小銃はサイズ的に大きく重く、また1発あたりの銃弾の射程距離も威力も過大に過ぎ、運用には適さないとの声が多かった。
サブマシンガンに関してはフル・オート射撃が基本であるため、火力的には及第点であったが、総じて銃本体も重く、また拳銃弾を使用する為、1発あたりの威力は低く、短射程である事が問題とされた。
ハンドガンについては言うまでも無く、大きさこそ片手で操作可能なものではあったが、其れ故に同様に拳銃弾を使用するサブ・マシンガンに比しても短射程で、1発の威力も低い点が否めなかった。
こうした点を踏まえアメリカ軍では、歩兵用の小銃とサブ・マシンガンのちょうど中間の射程距離と威力、そしてサイズ感を併せ持つ銃火器の開発が構想されたが、予算上の制約もあって実際の開発には踏み出せていなかった。
しかし1939年9月1日にドイツ軍がポーランドに軍事侵攻を開始、第二次世界大戦が勃発した事でアメリカ軍内のその状況は変わり、翌1940年の秋には下記の仕様を満たす新たな銃火器の開発が始められた。
その仕様とは、銃本体の重量が5ポンド(凡そ2.26kg)以内である事、有効射程が300ヤード(凡そ274メートル)以上である事、半自動射撃が必須で、可能ならば全自動射撃も可能な事、携行用の器具が付けられる事とされた。
そして使用する銃弾は既存の.32ウィンチェスター・セルフローディング弾をベースにこれを30口径に改めた専用弾薬とする事、この4点が新たな銃火器の開発の要件として提示された。
こうしたアメリカ軍からの要請に対し、最終的にU.S.M1カービンを生み出したウィンチェスター社は当初はそのコンペに未参加であり、M1ガーランドの後継を狙った歩兵用小銃のG30の開発に注力していた。
しかしアメリカ軍からの指名を受けたウィンチェスター社は、このG30をベースに小型化し先の要件に併せた新たな小銃を開発、1941年9月末にU.S.M1カービンとしてアメリカ陸軍での採用を勝ち取った。
M1カービンの概要
こうして完成したウィンチェスター社のU.S.M1カービンは、全長が904mm、銃身長が458mm、本体重量が2,490g、使用用弾薬が.30カービン弾(7.62x33mm)、銃口初速が600m/s、有効射程が300mと要求の仕様を満たしたものとなった。
作動方式にはショート・ストローク・ピストン、ボルトの閉鎖機構にはロータリーボルトが採用され、装弾数は15発の箱形弾倉が用意された半自動式の新型の小型小銃となり、「カービン」の名が冠せられた。
U.S.M1カービンには同銃をベースとした派生型も生産され、更に取り回しを容易にすべくワイヤー形式の折り畳みストックを備えた空挺部隊用のM1A1カービン、全自動射撃も可能とし30発のバナナマガジンを標準としたM2カービンが実用化された。
また夜間戦闘用にU.S.M1カービンに暗視照準器・T120を取り付けたT3カービンも少数ながら生産され、太平洋戦争末期の沖縄への上陸作戦に投入されたと伝えられており、日本軍の夜襲への対抗兵器となった。
第二次世界大戦下のアメリカにおいてU.S.M1カービンのシリーズは、開発元のウィンチェスター社を含め10社で生産が行われ、1942年6月から1945年8月に終了するまで、実に総数で610万丁以上が生産されたと目されている。
M1カービン・シリーズの実戦での運用
本家のアメリカでは第二次世界大戦が終結を迎えた1945年8月にU.S.M1カービン・シリーズの生産そのものも終えたが、以後の朝鮮戦争やベトナム戦争においても同銃の使用は継続され、この時代の銃火器としては息の長いものとなった。
アメリカ軍は1957年に、歩兵用の主力小銃であるM1ガーランド、補助小銃としてのU.S.M1カービン・シリーズ、サブ・マシンガンとしてのM3シリーズ、分隊支援火器としてのブローニングM1918オートマチック・ライフルを一つで代替する為M14小銃を正式採用した。
M14小銃は今日的には半自動・全自動射撃が可能で、7.62×51mmNATO弾を使用するバトル・ライフルに位置づけられているが、1960年代初頭にアサルト・ライフルのAR-15がM16として採用された事で主力小銃としては短命なモデルとなった。
この間もコンパクトで使い勝手の良かったU.S.M1カービン・シリーズは後方部隊を中心に使用が続けられ、アメリカ空軍の基地の警備部隊では実に1970年代までその状態が続いたと伝えられている。
U.S.M1カービン・シリーズは、第二次世界大戦の終結以後は、日本を始め韓国や当時の南ベトナムにも供与され、欧米人に対して総じて体格が小柄なアジア人には非常に適していた銃だと評価されている。
M1カービンとM1ガーランド
因みにU.S.M1カービンが正式採用された当時のアメリカ陸軍の歩兵用の主力小銃であったM1ガーランドは、全長が1,108mm、銃身長が610mm、本体重量が4,300g、使用用弾薬が.30-06スプリングフィールド弾(7.62x63mm)、銃口初速が848m/s、有効射程が457m、装弾数はクリップ式で8発であった。
こうしてM1カービンとM1ガーランドの仕様を比較して見ると、前者が全長で204mm、銃身長で152mmも短く、本体重量は1,810g軽く、装弾数は7発多く、射程距離は157m短いが、何れもアメリカ軍の仕様の要求通りの仕上がりだとわかる。
M1ガーランドも生産総数は650万丁を超えており、流石にアメリカ軍の主力小銃に相応しい大量生産が行われた事が感じられるが、前述したとおり補助的な銃火器ながらU.S.M1カービン・シリーズも610万丁以上が生産された。
これを考慮すれば如何にU.S.M1カービン・シリーズが、如何にバランスのとれた使い勝手に秀でた銃火器であったのかが偲ばれる。
使用弾薬の威力はU.S.M1カービン・シリーズの30カービン弾(7.62x33mm)が銃口エネルギー 1,190ジュール、M1ガーランドの.30-06スプリングフィールド弾(7.62x63mm)が同 2,850ジュールとされており、違いは明白である。
M1カービンと言えば
個人的にはU.S.M1カービンと言えば、数多いアメリカのTVドラマシリーズの中で第二次世界大戦時のヨーロッパ戦線を扱った作品として、日本でも絶大な人気を誇った「コンバット!」のヘンリー少尉を思い出す。
主人公であるサンダース軍曹のトンプソン・サブマシンガンや、カービー持つブローニングM1918オートマチック・ライフル、リトル・ジョンのM1ガーランドなどアメリカ陸軍の当時の銃火器が目白押しなのが本作だった。
その中でサンダース軍曹の良き理解者で上司にあたるヘンリー少尉の持つM1カービンは本当に印象に残っており、機会があればいつかまた見てみたい作品のひとつである。
featured image:Fab-pe at Portuguese Wikipedia, Public domain, via Wikimedia Commons


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