歴史には大小まじえて色々な謎があります。
大きいものは日本三大ミステリーとかいって、邪馬台国はどこにあったか、明智光秀が本能寺の変を起こしたのはなぜか、坂本龍馬の暗殺とされています。他にも日本史の謎の人物とかも多くいるし、キワモノ的な謎としては天海=明智光秀、徳川家康影武者説とかもあります。
調べてみて、もやっとしてたフルベッキ集合写をご紹介しますね。
フルベッキ集合写真
フルベッキ集合写真とは、幕末に来日したオランダ系アメリカ人宣教師フルベッキが関わった長崎の「致遠館」という、英語を学ぶ佐賀藩の藩校で撮られたものです。
明治2年4月までのたった2年しか存在しなかったこの藩校に、岩倉具視の二人の息子が入学。その記念に撮影されたものだということです。
これがなぜか、坂本龍馬、高杉晋作、後藤象二郎、大久保利通、大隈重信に勝海舟ら、幕末の英雄たちが勢ぞろいした写真とされているんですね。
おまけに写真嫌いで写真を残さなかったと言われる西郷隆盛と、後に明治天皇とすり替わったとされる大室虎之祐が中央に写っているというからびっくりです。
そしてなぜこんな写真が残っているのか、一緒に撮影するぐらい仲がいい=幕末の動乱は壮大な茶番劇という陰謀論になるらしいです。
その正体は
結論を言えば、坂本龍馬らの写真は残っているので、素人目に見てもどれも別人だということがわかります。
撮影年の明治元年には龍馬は暗殺されているし、高杉晋作も病死しているから写っているはずがありません。
もうひとついえば、幼い頃から母方祖父に育てられた明治天皇がすり替えられたというのもあり得ないでしょう。
祖父中山忠能はすり替えられた偽物にも忠義を尽くしていたのか、それをどう説明するんだと言いたいです。
そしてどこをどう陰謀論に持って行くところがあるんだろうと、むしろそっちの方が謎に思えるくらいです。
そして、ある歴史動画で見たんですが、西郷隆盛が写真を残していないのは顔が確定して指名手配されることを恐れたからだというんです。しかし当時の写真はフィルム写真でもデジタルでもなく、銀板写真というたった一枚しか出来ないもので、焼き増ししてばらまくようなものじゃなかったということはくらい私でも知っています。それを言うなら薩摩藩に属している西郷よりもっと不安定な脱藩者、坂本龍馬はいっぱい写真撮って残してるやんか。
私も子供の頃はこういうキワモノ的な謎の話が好きだったですが、歴史の知識が増えるにつれてどれもあり得ないことがわかりました。
最近の研究が進んで昔とは違う意外な発見とかが常にあるところがおもしろいんですよね。
featured image:Ueno Hikoma, Public domain, via Wikimedia Commons
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