僕がK県の小さな漁港のある町に住んでいた頃の話だ。
小学生の頃から、秋になると渡り鳥が湾に立ち寄るのが恒例だった。家の前の小道から港を眺めると、群れが空を埋め尽くすのが見え、子どもながらに「今年も帰ってきた」と胸が躍った。
漁師たちは毎年、鳥たちが無事に南へ向かうのを見守り、その姿は季節のめじるしでもあった。僕も家族に連れられて観察するのが楽しみだった。
その年、何かが違った。秋の空気は澄んでいるはずなのに、朝の港には妙な静けさが漂っていた。波はほとんど立たず、海面に反射する朝日もどこかくぐもった色だった。鳥の鳴き声が普段よりずっと少なく、群れの動きも鈍い。
僕は父と一緒に空をみていると、その瞬間、信じられない光景を目にした。群れの一部が水面に沈むように、まるで空気ごと消えたのだ。
羽ばたきの音も、風に乗る鳴き声も、何もかもが一瞬で消えた。
翌日、海岸に散らばっていたのは、黒ずんだ小さな羽毛だけだった。指先で触れると、硬く乾いて不思議なほど軽い。父も漁師も、黙ったままそれを拾っていた。
誰もが「こんなことは見たことがない」と顔をこわばらせていた。町では、渡り鳥が消えた原因について、怖くて口にできない噂が囁かれ始めた。
僕はある晩、どうしても何が置きているか確かめたくなり、小舟に乗って湾の中央まで出た。
霧が立ち込める夜、水面に光が反射して揺れるたび、黒い影のようなものが水中でうねり、まるで海そのものが生きているかのようだった。
手を伸ばしても触れてみると、影は一緒で消えた。
あの時の影を触った異物感は異様で、今でも夢に出る。
漁師たちは夜の海に近づかないようになり、父も近づくなと警告する。
だが、僕はどうしても影を触ってみたくなる衝動に駆られて何度も海へ出た。
影が出るたびに微かな羽ばたきや水音が聞こえ、触れると消えて何もない。
渡り鳥の現象をしらべに科学者が調査に来たこともある。水質、魚の生態、気象データ、全て正常。
だが僕の目の前で確かに消えて、鳥たちのことを思うと胸の奥がざわつき、寒気が走る。
その年、渡り鳥の群れは半分だけ戻った。
時期になれば、鳥たちは何事もなかったかのように飛び去っていく。
消えた半分の群れは元々こなかったのか、消えてしまったのか、どうなったのか、分からない。
※画像はイメージです。


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