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盆を通して見る各国の『先祖崇拝』の概念

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「お盆ってなぁに?」という子供の素朴な疑問に答える機会があった。
相手には浅層を更に噛み砕いて説明し事なきを得たが、ならば噛み砕かず、お盆という行事を海外の行事や宗教と絡め視野を広げて眺めたなら何か映るものがあるだろうか。
湧いた興味と好奇心を具飲みにして紙面を広げる。

目次

日本の『盆』という行事

8月のイベントで思い浮かぶのは?と問えば、海開きや花火大会など様々な答えが返ってくるだろうが、中には地方の実家に帰省する姿を思い浮かべながら「お盆」と答える者もいるだろう。それほどに、盆という行事はこの日本という土地に深く根付いている。

親戚の子には、盆とは「年に一度、あの世から帰ってくるご先祖様の霊をお迎えする行事」とザックリ説明した。
行事の名の『盆』とは仏教由来の行事『盂蘭盆会(うらぼんえ)』の略称で、元は旧暦の7月15日(現在の8月下旬~9月始まり頃)に行われていた。新暦になった際に7月15日頃が田畑や農業で忙しいという理由でひと月遅れの8月15日前後に行われるようになったそうだ。
先祖の霊があの世との往復に使う乗り物『精霊馬』をナスときゅうりで作り、地方によっては習慣にブレはあるものの、「先祖霊への敬意と供養の儀」という概念の点は共通している。

ハッキリとした発祥は不明だが、盂蘭盆会の存在から察せるに仏教の影響が大きく、日本以外にアジア圏でも盆に類似した行事が見られる。盆の目的は『先祖霊の供養』だ。
ここで、「ならばアジア圏以外の諸外国には類似した行事があるのか」「先祖霊の供養という概念を、諸外国の宗教観はどのように解釈しているのか」と疑問が湧いてくる。

外国で行われる『盆』とは

世界各地にはその国々に根付いた宗教が数多く存在するが、中でも知名度の高い宗教といえばキリスト教だろう。各国に一神教として根付くキリスト教は教えの中で「死後の魂は神の御許に還る」と説いている。つまりキリスト教の中では追悼の心はあれど『死』そのものは『生前の罪や苦痛からの解放と神の御許への帰還』で、故人も周囲も悲観するものではない。
ゆえにキリスト教には『先祖霊の供養』という概念自体が存在せず、必然的に盆に類似した行事も行われない。
いわれてみれば、日本の盆の「あの世から故人の霊魂が戻ってくる」という言い伝えも、キリスト教を信仰する者にとっては

「せっかく神の許へと召されたのに地上に戻ってくるだと…?」
「故人の信仰心が足りていないのでは…?」

とまで考えが至りそうで納得ではある。ちなみにキリスト教では8月15日は『聖母被昇天祭』という聖母マリアの命日を祈るミサが開かれる。

その他、比較的知名度の高いイスラム教やヒンドゥー教なども調べてみたが、いずれも日本の盆のような「先祖の魂を迎える」という概念がそもそも無い宗教の方が多いようだ。

各国の『先祖崇拝』の形

上述の通り、盆の「先祖の魂の供養」という概念は、多宗教圏の国から見ると大分珍しいものである。この独特な概念が根付いた、あるいは根付かなかった背景には『多神教の日本』と『一神教の他国』の決定的な相違も少なからず関係しているが、それはほんの一面に過ぎない。
盆の習慣が無いどの国の宗教にも「死後の魂は安らかに眠るもの」という捉え方が根底にあり、「死者の魂がさ迷わないように弔う」儀式は散見した。つまりは盆がある国もそうでない国も、自分たちの先祖の魂への敬意を忘れず、死後も穏やかに過ごせるようにと願う気持ちは共通しているといえる。

紙面が尽きたので今回は触れなかったが、国内の盆は地方ごとに精霊馬やその他の習慣などに細かい違いがある。もし読者諸君の近くに別地方出身の知り合いがいたら、その出身独特の珍しい盆の習慣などを聞けるかもしれない。
興味が湧いてかつ機会があれば尋ねてみるといい。

今もあるかはわからないけど、幼少期に一度だけ行った親の地元には墓の前で爆竹や筒の花火を炸裂させる超高火力迎え火の習慣があった。

※画像はイメージです。

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