古今東西を問わずこれまでの歴史の中で、人類は戦争となると数々の兵器を自軍の勝利の為に開発しては、それを実戦へと投入して行くと言う行為を繰り返しているが、その多くが成功兵器とはならない事も常である。
この原則は第二次世界大戦時から今の2023年に至るまで世界でも最強と目されているアメリカ軍においてもやはり同様であり、設計時に想定されたコンセプト通りに成果を挙げる事が出来なかった兵器も多々存在する。
殊にアメリカ軍が苦戦した戦争の中ではこうした傾向は顕著であり、苦戦を強いられるが故に新たな兵器を対策として投入するも、期待通りの成果を挙げる事は出来なかっ事は多く、そんな兵器の中に「ピープル スニファー」がある。
この「ピープル スニファー」とはアメリカ軍内部での通称であり、ベトナム戦争時に兵士個人が携行する形式のXM-2、その発展型で回転翼機に搭載して運用されたXM-3という大きく2種類が投入された。
そこで今回はこのアメリカ軍がベトナム戦争に際して、開発・投入した新兵器である、同軍内の通称「ピープル スニファー」について、その概略を紹介してみたいと思う。
アメリカがベトナム戦争に至るまでの経緯
そもそも現・ベトナムの地は、ドイツによるポーランド侵攻によって欧州における第二次世界大戦が始まった1939年9月の時点では、仏領インドシナと呼ばれるフランスの海外植民地のひとつであった。
しかし翌1940年にフランスがドイツに敗れ全土をその占領下に置かれると、フランスには親ドイツ派のヴィシー政府が成立、当時ドイツとイタリアとの間に日独伊三国同盟を結んでいた日本の仏領インドシナの統治を同政府は承認する。
そして1945年3月に日本の統治下にあったベトナムはベトナム帝国として独立するも、同年8月に日本がアメリカを始めとする連合国に降伏した為、これを好機と見たホー・チ・ミンが同年9月にベトナム民主共和国(北ベトナム)の樹立を宣言した。
かつての宗主国であったフランスはこのホー・チ・ミンによるベトナム民主共和国(北ベトナム)の樹立を由とせず、1946年11月よりインドシナ戦争が勃発、フランス側は並行して1948年6月にベトナム臨時中央政府を発足させた。
そしてこれは翌1949年3月にはベトナム国へと発展、ここにホー・チ・ミンらのべトナム民主共和国(北ベトナム)と南北に国土を二分しての対立構造が生起するも、1954年5月に後者が軍事的に勝利を収めフランスの同地からの駆逐を成功させる。
フランスが駆逐された後にベトナム国に対し、今度はアメリカがホー・チ・ミンらのべトナム民主共和国(北ベトナム)による全土の共産主義化を恐れて支援する立場を取り、1955年10月にゴ・ディン・ジエムを担ぎ、ベトナム共和国(南ベトナム)を樹立させた。
こうしてベトナムは共産主義のホー・チ・ミンらのべトナム民主共和国(北ベトナム)と、アメリカが後ろ盾となったゴ・ディン・ジエムらのベトナム共和国(南ベトナム)に分断され、ベトナム戦争へと突入して行く。
アメリカはアジアにおける共産主義勢力の拡大を恐れて、ゴ・ディン・ジエムらのベトナム共和国(南ベトナム)を支援する政策を採用したが、1960年12月には同国内に南ベトナム解放民族戦線が結成された。
南ベトナム解放民族戦線は、敵対するベトナム共和国(南ベトナム)やアメリカ側から、当時別称としてベトコン(ベトナム・コミューン:ベトナム共産主義者の意)と呼称され、同国内での武力による抵抗化活動を強めた。
こうした南ベトナム解放民族戦線の活動を抑止する為、アメリカはベトナム共和国(南ベトナム)への軍事顧問団の派遣を強め、1964年8月のトンキン湾事件を契機に直接アメリカ軍がベトナムでの直接戦闘に参加、ベトナム戦争と呼称された。
完全な失敗作「ピープル スニファー」個人携行型 XM-2
前置きが長くなったがこのような経緯でベトナム戦争へと突入していったアメリカ軍には、敵である南ベトナム解放民族戦線の兵士達がベトナム共和国(南ベトナム)内の各地に潜伏して行うゲリラ戦への対処が求められた。
これは当然正規軍同士が戦闘を行うような形式ではなく、明確な前線が存在しないゲリラ戦であり、21世紀に入って中東のアフガニスタン等でもアメリカ軍が苦戦したように、同軍にとっての非対称戦の魁とも言うべき戦いだった。
南ベトナム解放民族戦線の兵士達はベトナムに多い、鬱蒼とした密林や茂みの中に潜んでアメリカ軍部隊を攻撃してくる為、アメリカ軍は少なからぬ犠牲を強いられ、敵兵の潜む位置を先に特定する必要に迫られた。
そこで考案されたものが、アメリカの総合的な電気関連製造企業のゼネラル・エレクトリック社が開発した通称「ピープル スニファー」であり、先ず初めに兵士個人が携行する形式のXM-2が1967年から投入された。
XM-2は様々な場所に潜む南ベトナム解放民族戦線の兵士達を発見する為に開発されたツールで、人員検出器と呼ばれており、彼らが発する汗や尿の匂いを科学的に探知する仕組みで、謂わば人工的な嗅覚を利用したものだ。
人間の汗や尿を構成する成分には必ずアンモニアが含まれており、XM-2はこのアンモニアや、兵士が火を使用した痕跡である炭素を探知する事でその居場所を特定する事で、先んじて攻撃を仕掛け、排除する事が企図された。
XM-2は、使用する兵士1名がこうしたアンモニアや炭素の匂いを探知するセンサを内蔵したバックパックを背負い、そこから伸ばしたホース上の匂いを吸着する吸気口を、M-16等の小銃の銃口の先端下部に取り付ける構造をしている。
つまりXM-2ではその匂いの吸気口をM-16等の小銃に対し、あたかも銃剣やグレネードランチャーを装備するかのような形で運用する形式となっており、その匂いの探知距離は小銃の射程距離よりも遠方まで及んだとされている。
しかしここまで聞くとXM-2は実戦でその効果が見込めたかのように思えるかもしれないが、稼働時に発する騒音が大きい事、使用する兵士の汗にも反応してしまうなど、ほとんど実戦では機能しなかった。
ヘリコプター搭載型に改められた2番目「ピープル スニファー」XM-3
敵兵の位置を匂いを探知しようとした個人携行型のXM-2は、騒音と使用する兵士の汗をも感知してしまう欠陥により、敢え無く失敗兵器となってしまったが、アメリカ軍はその探知方法の有効利用を更に推し進めた。
そこで開発されたのが2番目の「ピープル スニファー」・XM-3であり、こちらは当時アメリカ軍が多用していたヒューズ OH-6 カイユース、ベル OH-58 カイオワ、ベル UH-1 イロコイ等のヘリコプターに搭載する形式となる。
XM-3はXM-2に比すれば遥かに実用性が高く、効果も認められた為、1970年にはアメリカ軍に正式採用されてM3として当該のヘリコプターへ標準装備化され、空中から南ベトナム解放民族戦線の兵士達を襲う重要な手段と化した。
こうしてある程度の成功を収めたかに見えたXM-3とM3ではあったが、やがて南ベトナム解放民族戦線の兵士達はそれが自分たちの汗や尿の匂いを科学的に探知する仕組みである事に気付き、やがて対応策を講じる。
それは尿などを入れた容器を用意し、それを囮として自分たちがいない場所の樹木等に括り付けるという、実にアナログな対処法ではあったが、密林や茂みにおいては非常に効果を発揮し、欺瞞する事に成功した。
その為当初は効果を発揮したXM-3とM3も、開けた場所以外の戦場では次第にその有用性を喪失して行き、ベトナム戦争後のアメリカ軍ではこうした「ピープル スニファー」のような匂いを科学的に探知する仕組みは継続されなかった。
結果的には大成しなかったと見做せる「ピープル スニファー」
これまで紹介してきたように、人間の汗や尿の匂いを科学的に探知する仕組みである「ピープル スニファー」は、個人携行型のXM-2、そしてヘリコプター搭載型となったXM-3とM3も最終的には兵器としては大成しなかった。
ベトナム戦争がこれまでの正規軍同士の前線を巡る戦いと言う概念から大きく外れ、謂わば21世紀の中東で多発した対テロ戦闘のような非正規戦をアメリカ軍が強いられた事で生み出された苦肉の策だったように思える。
因みにこの人間の汗や尿の匂いを科学的に探知する仕組みと言うものは、優れた嗅覚を持つ軍用犬が担当してきた分野でもあり、アメリカ軍はその意も込めて「ピープル スニファー」を用いた手法を自国の犬の代表的キャラに準え、スヌーピー作戦と称していた。
こうしたセンスは良くも悪くもアメリカやアメリカ人の文化、特にサブカルチャーに関する独特な感性を個人的には感じてしまい、日本であれば不謹慎だと非難の声が上がりそうだと思わずにはいられない。
※画像はイメージです。
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