時代が早すぎた機体?XP-79 フライング・ラム

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アメリカに限らず世界史上最大の戦争となった第二次世界大戦は、その規模の大きさから開戦時よりより有効な兵器の開発と投入を各国が繰り返し、殊に航空機の進歩が著しかったと思える。
そんな国家の総力を挙げた戦いだったからそこ、第二次世界大戦中には著しい進歩を遂げた航空機が多数出現したが、そうした実用化され有効に使用された航空機の陰に、日の目を浴びなかったものも多い。

今回は第二次世界大戦を通して世界で最大・最強の軍事力を結果的に得るに至ったアメリカにおいて、開発は進められたものの実用化には至らなかった航空機・XP-79 フライング・ラムについて触れて見たい。

目次

アメリカ・ノースロップ社XP-79 フライング・ラム

XP-79 フライング・ラムを手掛けたノースロップ社は、正確には1939年に創設されたノースロップ・コーポレーション社であり、1994年にグラマン社と合併した後、2024年の現在もノースロップ・グラマン社として続いている。

奇しくもノースロップ・コーポレーション社の創業は前述した第二次世界大戦の開始年と同一であるが、創業者のジャック・ノースロップはこの時代にも関わらず、全翼機の開発に意欲を燃やしていた。
その為、ノースロップ・コーポレーション社は自社が開発中である全翼型式の航空機であるXP-79 フライング・ラムを、アメリカ陸軍航空軍に対してアピールし、1943年に3機の試作機の契約を獲得する。

ここで考案された全翼機のXP-79 フライング・ラムは、当時実用化されていた航空機が未だレシプロ機全盛であったにも関わらず、機関部にはロケット・エンジンを搭載せんとする野心的な設計であった。
しかし当時の技術ではアメリカと言えど、このロケット・エンジンの実用化が出来ず、敢え無くXP-79 フライング・ラムの開発計画は撤回の憂き目に遭うが、アメリカ陸軍航空軍は同機の設計の概念には強い関心を寄せていた。

その概念とは「全翼形状を採用した小型で高速度な迎撃用の戦闘機」と言うものであり、これを実用化するべく機関部をロケット・エンジンからターボ・ジェット・エンジンへと変更したXP-79Bとして開発が再開される。
XP-79Bとなったフライング・ラムの試作機は、結局第二次世界大戦の終結までには間に合わず、その翌月の1945年9月12日にアメリカ本土のカリフォルニア州の東部のモハーヴェ砂漠のミューロック陸軍飛行場(現在のエドワーズ空軍基地)で初飛行を行った。
しかし初飛行に挑んだXP-79Bフライング・ラムの試作機1機は、離陸した後僅か15分後には上空で制御不能の状態に陥り、墜落して爆発、搭乗していたテスト・パイロットも落命する結果となった。

この痛ましいXP-79Bフライング・ラムの試作機の初飛行での事故と、既に第二次世界大戦が終結を迎え、是が非でも同機を実用化する意義が薄れていた事も重なり、この計画は完全に中止された。

フライング・ラムの仕様

前述したように僅か1機が+の試作機が製作されたXP-79Bフライング・ラムだったが、初飛行時の痛ましい事故の発生によって、その後は完全に開発計画そのものが中止されると言う結末を迎えた。
従って現在は実際の機体そのものは残されておらず、ただ写真等のみによって、その形状がその時期にはあまりに時代を先取りしたデザインであったであろう事が感じられる状態である。

試作機であったXP-79Bフライング・ラムの仕様は、全長が4.26メートル、全幅が11.58メートル、全高が2.13メートルと大きさは非常に小型で、全備重量が3,932kg、19Bターボ・ジェット・エンジンを2基搭載、最大速度が時速880km、航続距離が1,598km、乗員が1名、武装が12.7mm機銃が4基となっている。

XP-79Bフライング・ラムが特殊であるのは、その機体の構造による点が多いと思われ、搭乗者は腹ばいでハング・グライダーのような姿勢で乗り込み、また機体には非常に堅牢なマグネシウム合金製のセミ・モノコック方式が用いられていた。
非常に堅牢なマグネシウム合金製のセミ・モノコック方式が採用された理由は、非常に高い腐食性を持つロケット燃料に対処する為と、加速時の負荷に耐え得る構造とする目的があったと考えらえている。

後者の加速時の負荷に耐え得る構造と言う点は、搭乗者を腹ばいの姿勢で乗り込ませる形式ともリンクしており、ロケット・エンジンからターボ・ジェット・エンジンの搭載に改められた後も変更される事はなかった。
XP-79 フライング・ラムは全翼機ではありつつも、水平尾翼はないが垂直尾翼は2枚を備えており、今日的に全翼機と聞いて想像される無尾翼の形状にまでは技術的に至っていない事が見て取れる。

フライング・ラムに纏わる都市伝説

XP-79 フライング・ラムが今も尚、アメリカ軍が開発した航空機の中でも一定の注目を集めているのは、やはり第二次世界大戦時から開発され、初飛行はその終了後となったものの、当時として稀有な全翼機だった事が大きいだろう。

この全翼機としてのXP-79 フライング・ラムは、ノースロップ・コーポレーション社の創業者であったジャック・ノースロップがその構造を持つ航空機の開発に強い思い入れがあった故に生み出されたと思われる。
しかし垂直尾翼は2枚あるとは言え、この時代の技術力で安定した飛行が可能な全翼機を完成させる事自体に無理があり、奇しくもその流れを汲むB-2スピリット爆撃機が

1997年にノースロップ・グラマン社から実用化された事には運命的なものすら感じてしまう。
B-2スピリット爆撃機は完全な全翼機であるが、その機体で安定した飛行を可能とする為、4つのフライ・バイ・ワイヤによるコンピュータ制御が行われており、XP-79 フライング・ラムは早すぎた機体だったと言わざるを得ないだろう。
因みにXP-79 フライング・ラムは、前述したように非常に堅牢なマグネシウム合金製のセミ・モノコック方式が採用されていたが、この頑丈さから未だ実しやかにこの機体の運用方法についての誤った説明が散見される。

それはXP-79 フライング・ラムが非常に堅牢な造りであるのは、その主翼を敵の爆撃機等の機体にぶつけて撃墜をする戦法を行うべく設計されたと言うもので、素人でもそんな説明で納得する人はほとんどいないのではなかろうか。
空中を高速で飛行する航空機が、敵の爆撃機等に体当たり攻撃をかけるとすれば、全翼機の飛行制御が当時は非常に困難だったどころか、自身はほぼ無傷でその後も飛行を続けられる事など物理的にあり得ないだろう。

こうしたXP-79 フライング・ラムが敵機に体当たり攻撃を行うべく開発されたと言う都市伝説レベルの逸話は、XP-79Bの開発に従事した人物が、その頑丈さを仮に敵機と衝突しても耐えられる程だと述べた事が拡大解釈されたものと目されている。

個人的に思うフライング・ラムの疑問点

ここまでに様々な点からXP-79 フライング・ラムを紹介してきたが、最後の敵機に体当たり攻撃を行うべく開発されたと言う都市伝説レベルの逸話は論外としても、個人的には同機に次の疑問点を感じる。
それは1機のみが試作されたXP-79Bフライング・ラムにおいて、開発開始時期が1943年以後にも関わらず、兵装として装備されていたのが12.7mm機銃が4基という仕様になっていた部分についてである。

試作機につき、当然テスト結果が良好で実用化に漕ぎつけたならば仕様は変更されるとは思うが、同機の用途が敵の爆撃機等を迎撃するものであった点を考慮すれば、兵装が12.7mm機銃が4基と言うのはささやか過ぎるように感じる。
既に戦闘機の武装として20mmを超える機関砲が主力であったこの時期、何故に威力にかける兵装としていたのか、まあまずまともに飛行させる事に主眼が置かれ、機体自体を軽量化する目的もあったのかもしれないが。

featured image:U.S. Air Force photo; オリジナルのアップロード者は英語版ウィキペディアのJep2000316さん, 2005年11月27日 (original upload date)., Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由

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