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横濱懐古奇譚〜氷川丸

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山下公園の氷川丸といえば、だれでも知っている横浜のシンボル的な存在の船です。
すくなくとも横浜に住んでいれば、船内を見学した事や夏のビアガーデンなどなど、なにかしら思い出がある場所だと思います。

横浜港に浮かぶその姿はとても爽やかですが、心霊スポットだとも言われているのです。
それはなぜか・・・氷川丸の歴史と子供時代に体験した不思議な出来事の話を致しましょう。

目次

氷川丸ってご存知ですか?

まず話を始める前、氷川丸について簡単に説明をさせてください。
氷川丸は、横浜とアメリカのシアトルを結ぶ航路を運航するため、1930年に建造された当時最新鋭の貨客船です。
戦時中は太平洋戦争において病院船として活躍し、何度も撃沈の危機を乗り越えて生き残りました。戦後は復員船や引揚船として使用された後、再び貨客船として運航を再開。しかし、老朽化と移動手段が飛行機へと移り変わる時代の波により、最終的に引退となったのでした。

引退後は一度解体が検討されましたが、県知事や横浜市長、市民からの要望を受け、山下公園に係留されることとなり、そして現在では、国の重要文化財に指定されています。

「幸運の船」とも呼ばれる氷川丸、戦争時の病院船としての役割を忘れてはなりません。正式な記録によれば、甲板には亡くなった兵士を火葬するための火葬場が設置されていたほか、精神を病み自ら命を絶つ兵士も少なくなかったとされています。
こうした背景もあり、船内を見学していると幽霊を見た、声を聞いたといった話が多く伝えられているのです。

私の不思議な体験

毎年6月2日は横浜開港記念日です。
この日は市内の小学校が休みになり、市内各地でイベントが開催されます。さらに公共施設も無料開放された・・・と記憶していますが、もしかしたら割引だったかもしれません。

そんな特別な日、横浜住みのキッズはチャリで市内を駆け巡り、思い思いに楽しみます。
マリンタワーに登って、氷川丸を見学。お昼ご飯は同級生の親が働く中華街のお店で豪華な中華料理をいただく、というのが定番のルートでした。しかも、なぜかそのご馳走が無料というのも嬉しいポイントです。

さて、氷川丸の話です。
当時は管理が少々緩かったこともあり、簡単に立ち入り禁止の区域に入り込むことができてしまいました。特に船の最下層は荒れ放題で、かなり不気味な雰囲気。
長い廊下のような場所を「カツンカツン」と響く謎の音にビクビクしながら進み、最終的に「ここが船の一番奥だ!」と思う場所にたどり着く。まるで肝試しのような気分でした。
ちなみに後から知ったのですが、その場所はシャフト部分だったそうです。

さらに奥に潜り込むと少し広いスペースがあり、そこで「怖い〜!」と大騒ぎしていたら、ついに係員のおじさんに見つかってしまったのでした。

説教される僕達

記憶をたどると、係員のおじさんからとにかくクドい説教を受けたことを思い出します。
さらには戦時中の話が始まり、「それ、僕たちに関係あるの?」と思いながらも、仕方なく「もう勝手なことはしません」と約束させられてようやく解放されました。

ですが、当時の自分たちは相当に悪ガキで、「こう来ね~よ、バーカ!」なんて叫びながら、一目散に上の階へ逃げるように駆け上がりました。しかし運悪く、違う係員のおじさんに遭遇してしまい、再び叱られる羽目に。

自分たちも悪いことをしているという自覚はあるのですが、さすがに説教続きでうんざりでした。
そこで一言多い友人が「下で叱られました! 二度は勘弁してください!」と悪態をついたのです。
その瞬間、係員のおじさんの表情が少し驚いたように変わり「下には誰もいないはずだが?」と一言。

実は幽霊という、よくある怪談話なのですが・・・それでけじゃない、更に不思議な体験が始まったりしたのでした。

おじさんと一緒

すこし妙な沈黙が流れた後、おじさんはすぐに真剣な顔つきになり・・・。
「君たちのように誰かが忍び込んだ可能性がある。確認したいから、一緒に来てくれないか」と頼んできました。私たちは断ることもできず、しぶしぶ現場へ向かうことに。

今にして思えば、何か異変を察したかのように、おじさんの表情はどこかこわばっていたように思います。

怒られた場所に到着すると、おじさんはコツンとなにかを蹴飛ばしました。
それを拾い上げてみると小さな金属の桜がついたワッペンです。
おじさんはそれを私たちに見せながら言います。
「これは昔の軍隊の階級章だよ。こんなところに落ちているなんて、おかしいなあ?」

その言葉が終わるか終わらないかのうちに、おじさんは突然、「わあああああ!」と大声をあげ、その場から一目散に走り出しました。何が起きたのかまったくわからない僕たちも、とにかく後を追って走ります。

甲板まで駆け上がり、ようやく追いついて「何があったんですか?」と尋ねると、おじさんは真っ青な顔で怒鳴りました。
「もういいから帰れ!」

結局なにがおきたのだろう?

係員のおじさんは何を見たのか?
怒られたおじさんは幽霊だったのか?
真相は何ひとつわかりません。

ただ、立ち入り禁止区域に入ったことがバレたのに、学校や名前を聞き出される事がなかったので、後で先生に叱られるのを回避して、無罪放免となったのはラッキーです。

その後も開港記念日には氷川丸を訪れ、大人になってからもビアガーデンや船内お化け屋敷と、けっこう乗船しているのですが、幽霊だと思われるおじさんに合うことはありませんでした。

ふと思うのです。
もしかすると、あのおじさんは戦時中の話を誰かに聞いてほしくて私たちの前に現れ、自分の痕跡を見つけてもらったお礼として私たちを助けてくれたのではないでしょうか?
きっと思い残すことがなくなり、成仏されたのかもしれませんね。

生まれは違いますが横浜で育ち、横浜の会社で働いています。
横浜をこよなく愛する私が語る、ちょっと昔の不思議な物語です。

※画像はイメージです。

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