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時代に合わせ急造された日本陸軍の三式中戦車

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太平洋戦争の最中に開発された日本陸軍の三式中戦車、量産に至りながらも戦地に送られず戦わぬまま終えた戦車でした。
そんな三式中戦車はどんな戦車だったのでしょう?

目次

戦局が求める火力の戦車

日本陸軍は米英との太平洋戦争を戦いながら同盟国ドイツが戦うヨーロッパの戦場についても関心を持ち、日本の戦車がドイツやソ連の戦車と比べていかに格差があるかを知ります。

日本の九七式中戦車は改良型でも47ミリ砲装備で当時の欧米戦車と戦うには火力が足りない。75ミリや76ミリの戦車砲など50ミリ以上の口径の砲で撃ち合う欧米の戦車に対して九七式では力不足であると日本陸軍は自覚していたのです。

そこで長砲身75ミリ戦車砲を装備した四式中戦車や五式中戦車に105ミリ戦車砲を装備した試製五式砲戦車が開発されるものの、戦局はすぐにでも火力のある戦車を必要としていました。
そこで間に合う新型戦車の開発が行われるのです。

三式中戦車の開発

日本陸軍にとって本命と言える新型戦車四式中戦車が実戦配備されるまでの間を繋ぐ戦車が三式中戦車です。
九〇式野砲を装備した砲塔を一式中戦車の車体に乗せたいわば日本陸軍が1944年(昭和19年)に持つ物を合わせて三式中戦車は作られたのです。

新たに設計や開発をする部分を少なくした事から、1944年5月からの開発が始まり最初の試作車が9月に完成して10月には正式採用の決定と量産が開始される早いペースで三式中戦車の実戦配備が進みました。
終戦までの生産数は166両とされていますが、本土決戦に温存され戦う事無く終戦を迎えます。

三式中戦車の戦闘能力

三式中戦車の主砲である75ミリ砲は野砲を基に作られた戦車砲です。威力は徹甲弾を使用して距離1000mで70ミリの装甲を貫通した。
日本陸軍の敵戦車である米軍のM4中戦車は砲塔前面で80ミリ以上の装甲があり、1000mの距離を開けて戦うと威力不足となる。日本陸軍の教範である「戦車運用法」で示された三式中戦車がM4と戦う距離は600mとされた。

防御力の装甲は砲塔前面の50ミリが最大ですがこれはM4の砲で貫通されてしまいます。三式中戦車では敵戦車と正面から戦える戦車ではありませんでした。

日本陸軍はやはり力不足である三式中戦車を含めた戦車部隊を本土決戦では戦車部隊の役割は「対戦車戦闘」とされ、敵戦車群の撃滅を目標とした。三式中戦車の実戦は厳しい戦いになったと思われます。
それでも戦車の予算も大幅に削られ、新型戦車の配備はまだまだ先の時期に短期間で九七式中戦車改を上回る戦車を実用化できた意義はありました。

参考資料
「丸」2021年12月号 潮書房光人新社
「本土決戦準備下の戦車部隊」文:葛原和三
「陸軍最後の制式戦車『三式中戦車』」文:古峰文三
「歴史群像」2021年6月号
「日本戦車史1918-45」文:古峰文三

featured image:US Soldier, Public domain, via Wikimedia Commons

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