我が国の歴史で謎の空白期間があることはご存じだろうか。
お隣の国中国の歴史書、『魏志倭人伝』で卑弥呼が死に、国内の混乱を経て、女王台与を立てて平穏となった。
その後、当時の中国支配国である晋に遣使を行い(266年)、朝貢をする記載が最後。
次に歴史書に現れるのは、『宋書』に見られる倭の五王(422年~)である。
その間に、倭国の中で大きな変化があったにも関わらず、何も記録がないがゆえに、何が起こったのか分からないので、『空白の4世紀』と言われているのだ。
どのような背景だったのか、そして最新で分かってきたことは何か?
古代の時代背景
神代の時代を経て天皇の時代と考えられる弥生時代の末期から、古墳時代の入り口と言われる4世紀。
『謎の4世紀』と言われたこの時代、小国が点在する連合国家の倭国から、突然と大和王権に移り変わり、九州北部から南東北までの広い範囲で大型古墳が見られるようになったのだ。
また、各地に群生していた豪族たちが中央集権化して天皇家に従属していったり、渡来人が多く移入し様々な技術・生産力をもたらした。
日本の外でも、中国は三国志の時代から晋統一を経て、内部抗争の末、五胡十六国の乱へと突入し混迷の時代となっている。
そのおかげで、日本に目を向けている時期ではなく、史書が無いとも言える。
朝鮮半島も、少数集落集合体であった馬韓・弁韓・辰韓等が統一国家へと舵を切り、百済・新羅・伽耶・高句麗といった国が形成されている。
自国の歴史を、他の国に委ねるというのもおかしな話ではあるが、そもそも、事実上は日本にこの頃文字が無かったという定説になっているから文献が無く、確認しようがないと言った事が、謎に繋がっているのだ。
今わかっている情報から
現在歴史を紐解くうえで重要なものは、出土品や古文書そして、古墳である。
とある説では、3世紀の弥生時代になると、日本での農耕の北限は、山形県・岩手県辺りでそれ以北は、狩猟中心の続縄文文化を継続していたという。
この頃は、各地に村集落から発展した小国が集合した勢力圏的な状況だったと考えられる。
いよいよ4世紀に突入すると『国』という概念が根付きヤマト王権が出来がりつつあったのだろう。
機内を中心に大きな前方後円墳ができ5世紀までに各地に広まって形成していった様子が古墳から伺えるという。
なお、4世紀の王権が誕生したあたりには、朝鮮半島へ出兵し百済と新羅を臣民としたという事が『好太王碑』という高句麗の王が造らせた碑がある。
すでに、4世紀以前から、外国へ侵攻するような軍事力を持ち、外国と張り合う事ができたという事だ。
神話で、神功皇后が三韓征伐に身重の身体で出兵したと言った記述があるが、多少のずれはあるモノの、ちょうどこの3・4世紀ごろの話ではないかと言われている。
中国では、紀元前700年代から国家形成がなされ、互いの領地を奪い合う春秋戦国時代、統一国家としての秦や漢という国の存在があった。
古代日本にも、中国はかなり脅威的存在だったに違いない。
朝鮮半島は、時に中国の属国となり、三国志時代に漢より独立勢力の遼東公孫氏が倭国からの使者を妨害し魏へ届けることができず、司馬懿が公孫氏を滅ぼすと朝貢できるようになったという記録がある。
しかし、晋が混乱に陥った後からは、遣使した記録が途絶えるとともに、謎の4世紀となるのだ。
記紀の神話とてらし合わせて
記紀に照らし合わせた当時の倭国は、2〜3世紀には仲哀天皇が即位しており、神託を無視して熊襲に出撃し命を落とした。
これは、仲哀天皇が死んだ年代と、卑弥呼や台与が史書に出てきた年代と重なっている。
その後に神功皇后が初めて摂政として君臨し、男勝りに三韓征伐を行い、応神天皇を産んだとされる。
神功皇后が70年間等長い年月を政治を担い、応神天皇が即位したのは、4世紀後半のことだという説がある。
これには、昔の天皇の寿命が100年を超えていることから時代の混乱が生まれていることがあるので、確信を持てるわけではないが一説の年表計算で出したものだ。
応神天皇の時代、多くの渡来人が帰化していると記紀にもある。
名のある渡来人には弓月君・阿直岐・王仁・阿知使主といった人物がおり、漢字・ 儒教・論語・ 機織・ 造船の技術や学がヤマト王権に入って、国が発展してきたという。
魏志倭人伝にて倭国に馬や牛は居ないと記述があるが、もし、それらが伝来して来たというならば、この応神天皇時代が有力だともいえる。
そして、急速に対外国との外交や軍事力を持ち、日本国内を平定し謀叛を起こす者を粛清。
『宋書』における倭の五王の一人、讃に比定され、その年代も一致しているかのようにも見える。
これはただの偶然の一致か、歴史的人物の確信をつくものか。
それとも、やはり征服者が歴史を改ざんした故、記紀と外国の記録とが字が違い曖昧になっているのか。
そう考えれば、卑弥呼や台与、倭の五王とは、ヤマト政権の人物ではないとすると何者だったのか気になるところである。
神武東征以後も、中央に叛する豪族や、古来からの小国家集団はあったであろう。
となると、天皇家に征服された倭国という見方も一理あるのかもしれない。
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