第2次世界大戦中、多くの国がおおよそ戦争と直接関係のない無辜の人々を残虐に殺害する戦争犯罪に手を染めた。
ホロコースト、原爆投下、化学兵器の使用や捕虜の虐殺…など、史実に載ってないもの含めれば多数の悲劇が起きたはずだ。
それは日本とて例外ではない。
その1つに日本陸軍は勝利のために、生物兵器の研究に着手していた。
研究機関の名は731部隊・・・それは悪魔の部隊の名称だった。
石井四郎という男
1982年、千葉県のある地主・石井家に四男坊が誕生した。
「四郎」と名付けられた子は、幼い頃から学業優秀で医学の道を志し、1916年には京都帝国大学医学部を卒業。
卒業後は陸軍二等軍医(中尉相当)に任官し軍人としてのキャリアをスタートさせる。
なぜ石井が職業軍人という道に進んだのか、正確なところは謎だが、同窓生によれば彼はかねてから第1次世界大戦でヨーロッパ列強が戦術の1つとして用いた毒ガス戦に異常な関心を寄せていたという。
1927年には医学博士に、1930年には38歳という若さで三等軍医正(少佐相当)にまで昇りつめた石井の将来を決定づけたのが同年実施された約2年にも及ぶヨーロッパ視察だ。
この視察を通してヨーロッパ諸国、とりわけ当時のナチス・ドイツにおいて細菌を兵器として利用する研究が進んでいることを痛感した石井は日本も早急に基礎研究を始めなければ欧州列強に遅れをとってしまうと陸軍幹部に力説。
帰国後すぐに陸軍防疫研究室の責任者となった石井はここで兵器転用を前提とした細菌の毒性研究に着手する。
731部隊の創設者にして、悪鬼・石井四郎の誕生であった。
悪魔の部隊 731部隊創設
太平洋戦争開戦が目前に迫った1940年、関東軍防疫部が改変される形で関東軍防疫給水部が発足する。
関東軍防疫給水部の業務は伝染病対策や疫病への対応、戦地での安全な飲料水の確保などとされていた。
しかし、これはあくまで表向きの業務だ。
関東軍防疫給水部の真の目的は大々的な研究施設を設けての生物兵器の研究だった。
1930年代、ナチス・ドイツの台頭と共にヨーロッパでは軍備拡張競争が激化。
石井自身も欧州視察の折に肌で感じた通り、軍事研究の一環としての生物兵器研究にも各国力を入れていた。
一方、同時期の日本は世界恐慌の影響を受けて国内経済低迷という深刻な事態に陥っていた。
事態に対して日本政府の一部、そして軍部は領土の拡張を通じて、この閉塞的状況を打破しようと目論む。
当時、日露戦争での勝利によってすでに満洲南部の権益を獲得していた日本は資源豊富な満州の地の掌握を目指し、1931年に関東軍が自作自演の鉄道爆破事件を中国軍の仕業とした柳条湖事件を引き起こす。
この事件を皮切りに関東軍は満州の地を次々に制圧し、ついには傀儡国家・満州国を設立した。
次の戦争に備えて急がれる軍事拡張、そして生物兵器の研究、さらには資源豊富で広大な土地・満州を手に入れたこと。
これらの事情が相まって、関東軍防疫給水部本部は満州の地に巨大な生物兵器研究所を設立させる。
そして関東軍防疫給水部本部の責任者に任命されたのが、軍に対して生物兵器研究の重要性を説き研究機関設立を提案し続けていた石井四郎だった。
石井は日本各地から多数の優秀な医者や研究者を満州に呼び寄せた。
特に多くの人材を送り出したのが京都帝国大学(現:京都大学)だ。
当時の京大は日本の医学研究のトップに君臨しており、特に細菌学、生理学、病理学の分野において抜きんでていた。
石井自身が京大医学部出身であったこともあり、京大は人員そして研究面において多大な援助を行った。
他にも帝国大学の起こりである東京帝国大学(現・東京大学)、医学、生物学に精通していた名古屋帝国大学(現・名古屋大学)、生理学や薬理学で強みを発揮した九州帝国大学(現・九州大学)、寒冷地での生理学研究が盛んだった北海道帝国大学(現・北海道大学)など、まさに日本中のトップ研究機関が生物兵器研究に関わった。
次なる世界大戦へと向かう時代の潮流の中で、生物兵器研究に絶好の場所と最高レベルの人員を手に入れた関東軍防疫給水部本部。
これこそが後に「731部隊」と呼ばれる悪魔の部隊誕生の時であった。
悪魔の実験
731部隊は、致死率の高い細菌を兵器転用すべく、炭疽菌、ペスト菌、コレラ菌、赤痢菌など、多くの病原菌を研究対象としていた。
中でも石井の肝いりだったのがペスト研究だったと言われている。
ペストとはペスト菌によって引き起こされる非常に感染力の強い細菌性疾患でネズミなどに寄生するノミを通じて人間に感染する。
感染したペストの形態にもよるものの、無治療の場合の致死率は90%を超えるともいわれる現代においても恐るべき感染症の1つだ。
特に中世ヨーロッパにおいてペストは黒死病と呼ばれ、幾度となく爆発的な流行を見せた。時には人口の1/3を死に至らしめるほどの猛威を奮ったこともあり、過去の経験からヨーロッパの人々からにとってまさに悪夢のような病だと言えるだろう。
そういった悲惨な歴史的経緯もあってか、石井が行ったヨーロッパ視察の際にも欧州の中で積極的にペストについて研究している国は見られなかった。
石井はそこに目を付けた。
世界が研究対象から外しているからこそ、ペストは日本の独自研究が優位性を生み出す細菌兵器となり得る、と考えたのだろう。
また、もしも欧州列強各国との直接戦争という事態になった際に、当時まだ色濃く残っていたペストへの恐怖を煽り心理的ダメージを加えることができるかもしれないとも考えたのかもしれない。
731部隊はペスト菌の感染メカニズム、培養方法、そして兵器化に向けてあらゆる独自研究を重ねていった。
その中でペスト菌の大量培養技術を開発。
培養したペスト菌をノミに寄生させ体内で菌を繁殖させ続けるサイクルを確立させ、ペスト菌細菌兵器化への第1歩を踏み出した。
加えて菌の病原性や耐性の強化、感染力の強化などの研究が進み、盛んに動物実験が繰り返された。
研究目的が兵器転用だという前提を除けば、ここまではよくある細菌研究の流れだ。
しかし、これ以上の研究に手を染めたことが、731部隊の悪魔性であり、そして部隊の存在意義だった。
彼らは兵器として利用した際の感染力や致死率についてより正確で詳細なデータをとるために実験対象を人間にまで拡げた、つまり人体実験にも手を染めたのだ。
ある時はペスト菌を被験者に直接注射し、症状の進行具合を観察、被験者の年齢や健康状態、免疫反応の違いに応じて、発症までの時間や致死率などのデータを細かに収集した。より実践的な研究として、ペスト菌に感染したノミを被験者に浴びせることで間接感染を試み、ノミが人間を噛むことでペスト菌を人体に送り込み、直接感染よりも自然に近い感染プロセスについてもデータがとられた。
また、ペスト菌を含むエアロゾルを空気中に散布し、人々に菌を吸入させることによって感染させる実験やペスト菌を水源に投入し菌の拡散と感染力について研究する実験も行われていた。
戦地での地上戦において敵軍のエリアや戦闘エリアでペスト菌を散布・蔓延させ、部隊や地域一帯を壊滅させるというシナリオを前提とした研究だったのだろう。
こういった研究、そして実験を通じて731部隊はペスト菌を細菌兵器として実用化するための多くの技術的課題を克服し、ある程度の実用化に成功していたと考えられる。
このペスト菌実験の過程であまりに多くの犠牲者を出したことは言わずもがなであろう。
その上、731部隊の研究はペストのみに留まらなかった。
彼らの探求はさらに残虐性の極地に達していたのだ。
マルタという存在
731部隊の研究と人体実験は切っても切り離せないものだった。
しかし、部隊の規模は大きく、先に挙げたペスト菌をはじめとする細菌研究以外にも、研究内容は多岐にわたっていた。
つまり、731部隊は大量の人体実験被験者を必要としていたのだ。
だが、誰も好き好んで人体実験に積極的に協力するわけはない。
ではその被験者たちをどのように集めてきたのだろうか。
主な被験者となったのが中国人の捕虜だった。
関東軍は中国各地で八路軍(中国共産党が指導した軍隊で日中戦争時に日本軍と対峙した)の兵士や抗日運動に参加した者を捕虜として731部隊に送り込み、被験者を獲得していたのだ。
一方で731部隊に連れてこられたのは兵士や反日思想の持主だけではなかった。
時には抗日運動に関わった「疑い」がある、とか「いい仕事がある」などと言葉巧みに騙して一般市民をほぼ強制的に連れてきて実験対象にすることすらあった。
恐ろしいことに、中には子どもが含まれていたり、部隊内の獄中で出産された赤子ですら母親もろとも被験者として扱われたのだ。
実験対象となってしまった人々は一歩731部隊に足を踏み入れた瞬間に「マルタ」と呼ばれることになる。
「マルタ」とはそのまま丸太のことだ。
マルタらは氏名に代わって管理のための番号をふられ、人間からただの材料となり、実験用途に応じて部隊内の研究班に割り振られていった。
老若男女問わず、マルタは実験動物たちと同じ非人間へと落とされていったのだ。
マルタへの戦慄の所業
マルタに対して行われた実験はどれをとってもおぞましいものばかりだった。
先に挙げたペストをはじめとする炭疽菌、コレラ菌、赤痢菌といった細菌をマルタに直接注射したり食べ物や甘味に混ぜて与え、感染状況や病気の進行状況を観察した。
症状に対して治療を施されるマルタもいたが、これも哀れみからの治療ではなく、治療方法を探り、対処薬、ワクチンを作るための実験の1つだった。
むしろ生きながらえばそれだけ次なる実験に苦しむことになるのだから、治療はかえってむごい仕打ちだったのかもしれない。
細菌関連の実験以外にも、多種多様な実験が繰り広げられた。
マルタの手足を強制的に氷水に浸したり、極寒の屋外に下着1枚の姿で磔にして放置して凍傷に至る経緯や体が壊死してく様子をつぶさに観察した。
距離や防護対策に変化をつけてマルタたちを立たせた上で彼らの付近で爆発物を起爆させ、爆風や破片が人体に与える影響も調べる爆風実験も行われた。
毒ガス史上1番多くの命を奪ったことから化学兵器の王様とも呼ばれるマスタードガスをはじめとする化学兵器の対人間への効果測定も実施されていたとされている。
さらにはマルタを減圧室に閉じ込めて徐々に真空状態にしていき、人体の穴という穴から内臓が飛び出していく様を観察した真空実験や主に女性のマルタを梅毒に感染させ、他のマルタとの性交渉を強制し、感染の過程や症状を記録した梅毒実験なども実施された。
時にマルタに馬の血液や尿を注入して人体に起こる変化を見てみたり、マルタを逆さ吊りにすると何時間で死に至るか計ってみたり、マルタを巨大な遠心分離機にかけて高速回転させると四肢や内臓がどうなるのか確認してみたり。
平時であれば外道の思考と切って捨てられる思いつきが731部隊内では平然と実行に移されていたのだ。
さらに非道だったと思えるのが、マルタを生きたまま解剖する生体実験だ。
全身麻酔を施された生きたマルタを手術台に横たわらせると、体のあちこちに次々とメスと入れ内部を観察していく。
腹から局部まで真っ直ぐメスを入れ、左右に開くと黄色っぽい脂肪の奥から胃や腸といった内臓が出てくる。
臓器や筋肉繊維などをメスで突いてみたり、いじくったり、切り刻んだりすると人体の他の部位がどういう反応を示すのか確認する。
動脈や神経を切断してもう一度つなげたり、右腕と左腕を付け替えてみたり、小腸と食道を直につないでみたり。
人体について思いつく限りのアイディアをやりたい放題行っていたのだ。
全身麻酔がかかっていればまだ良い方だった。
時には下半身のみの局所麻酔だけでそのような実験を施される。
マルタは自身が好き勝手に解剖されていく様を傍目に見ながらも、731部隊員達の興味が尽きる瞬間、つまり死を待つのだ。
どのような実験の餌食になるのか、マルタに選択の余地などないしどの実験であってもマシな物など1つもない。
どの実験の先にも、マルタに待ち受けるものは非人道的な死のみであった。
731部隊はなぜ悪魔の部隊になったのか
戦争とは、自国、ひいては家族や親しき者を守るとか、より良い生活を求めてだとか、それらしい大義名分の名のもとに、平素は虫も殺せぬような善人であってもお国の勝利のために目の前の敵を殺す、そして人を殺したとしても糾弾されることはなく、むしろ称賛される暴力的な代物だ。
「一人を殺せば犯罪者だが、百万人を殺せば英雄だ」。
映画・殺人狂時代の中で喜劇王チャップリン扮する主人公が放ったセリフだが、まさに的を得た言葉だろう。
では、平素の善人が戦争という非日常に放り込まれたからといって急に目の前の人間を殺せるものなのだろうか。
731部隊も他の部隊と同様に生粋の軍人だけではなく、研究者や徴兵されて来た者、中には少年兵もいた。
彼らはなぜ、民族や生まれた国は違えど同じ人間を「マルタ」などと呼び、実験と称してためらいなく殺害することができたのだろうか。
一部の人間を除き、多くの一般市民が基本的に人が人を殺すことを是とはしていない。
その前提があったとしても、誰かを殺害できるようになるプロセスがあるのだと思う。
その仕組みについて考察していきたい。
まず戦時、一般市民は徴兵などの制度により、望むと望まざるとに関わらず、戦争にかり出される。
その後、大半の者は基本的な軍事訓練を受けることになるだろう。
徴兵された市民は訓練の中で体力づくりや戦闘技術、武器の使用方法などを学び、軍人としての心身のうち「身」の部分を学び、習得していく。
戦闘員としての身体的・技術的な側面を学ぶと同時に、新たに入ってきた戦闘員、つまり新兵達は軍の厳格な規律に直面する。
上からの命令に絶対服従であることや個の行動よりも集団行動が優先される環境を通じて、自身の判断や主義思想といったアイデンティティの部分が徐々に削ぎ落されていくのだろう。
その上に軍隊という集団の価値観や目標といった新たなアイデンティティが上書きされていく。
これで軍の忠実な駒の下地が出来上がる。
とはいえこれだけで人間をたやすく殺害できるようになるとは思えない。
加えて戦争において敵対する相手を人間ではなく「敵」という非人間的な存在に落とし込む教育がなされるはずだ。
敵とは自分たちにとって危険な存在であり、憎むべき対象である。
だから死んでもやむを得ないモノなのだということを脳に刷り込ませ、自身が戦おうしているのは人間ではなく敵というただの存在だとすることで、敵を殺害するという心理的なハードルを下げていく。
敵を非人間化していくことで、兵自らも非人間化しているのだ。
こうして人間の個を削ぎ落し、敵は殺していいものだという新しい価値観を植えつけられた状態で実際の戦闘にかり出される。
だが、初めて敵を殺害するという場面では多くの場合、恐怖やストレスから躊躇がうまれるはずだ。
その中で一旦個というものは脇に置いて、上官からの命令は絶対だ、上官の命令に従わなければ自身にひどいことが起こるというコマンドが働く。
人間とは憎悪の対象よりも我が身がかわいい。
こうして敵を殺していく経験を重ね、敵の死が日常になる中で、最早殺人は罪であるという価値観はすり減り、軍という集団全体が敵を殺しているのだから自身の行動も構わないだろうと殺しを正当化するようになる。
むしろ敵を駆逐することで仲間や残してきた家族や友人を守っているのだという、殺人への積極性が出てくる者もいるだろう。
恐らくはこうして兵士が人を殺害できる状況が生み出されるのではないだろうか。
医学への純粋な探求心
加えて731部隊について言えば、医学への純粋な探求心というものがあったのではないかと思う。
731部隊には軍人や兵士だけでなく、医学研究畑出身の者が数多くいた。
医学の道の上で研究を進めていくとどうしても、命の重さや人間の尊厳といった倫理的な問題にぶつかることがある。
それが当然ではあるのだが、研究という一面だけにフォーカスすれば、倫理的な問題が排除できれば飛躍的に進む研究というものも数多あっただろう。
例えば病原菌が人間に対しどのような苦痛を与え、人間にとっての特効薬はどうした作れるのか。
例えば脳の各部位は人間が生きる上で何を司り、どういった働きをしているのか。
例えば人間はどの程度の酷暑極寒に耐えることができ、どうしたらそのような厳しい環境下で生き抜くことができるか。
こういった問いに手っ取り早く答えを見いだせるのが人体実験だ。
時代は戦時下、敵方の人間はマルタと呼ばれ死んで当然の存在と皆が考え、皆平然と殺している。
いや、731ではむやみに殺しているのではない。
我々はマルタに実験を施すことで、マルタを有用に使って国に貢献しているのだ。
悪事を働いているわけではない、むしろこれは崇高な研究なのだ。
本来医者として持ち合わせていた倫理観は軍の規律と周囲の環境や同調圧力の中で霧散し、国家の為、それが部隊の存在意義だからと積極的に殺害に加担してく。
こうして悪魔の部隊731部隊は完成したのではないだろうか。
featured image:Masao Takezawa, Public domain, via Wikimedia Commons
思った事を何でも!ネガティブOK!