トイボックスキラー「デビッド・パーカー・レイ」

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アメリカ犯罪史において、これほどまでに陰惨で、かつ「全体像が掴めない」事件は稀である。
逮捕されるまでの50年間、被害者の人数は判明していない。
なんともふざけた話なのだ。

トイボックスキラーと呼ばれたデビット・パーカー・レイを解説していこう。

目次

生い立ちと歪んだ性癖

1939年11月6日、父セシルと母ネッティの間にデビット・パーカー・レイは生まれ、両親は離婚し経済的に困窮しており、彼と妹のペギーイは母方の祖父母のもとで育てられた。
父親はアルコール依存症で暴力的で、家庭内での存在感は薄かったものの、時折訪れてはデイヴィッドにSMやボンデージなどの性的嗜好のポルノ雑誌を与えていた。この頃から既に、ある意味の英才教育を受けていたともいえる。

高校生になるとシャイなイケメンに成長し、同級生からいじめを受ける事になり、アルコールや薬物への依存を助長し、性的な興奮と暴力を結びつける感覚を強めていったらしい。
14歳の時、妹に秘蔵のエロ本を発見された。普通の趣向であれば、思春期ボーイだから仕方ないで済んだかもしれないが、内容がアレで性的嗜好が異常な事が知られてしまえば、家族との関係が悪化するのは必須。

卒業後は陸軍に入隊し、除隊する。軍歴や除隊理由について詳細な情報は公開されていないが、名誉除隊であったことは確からしい。後の極端な犯罪歴を考えると考えづらいが軍の規律が彼には合っていたのか?しかし、情報公開がないとすると軍のイメージが悪くならないように隠滅されたのかとも思わせる。

その後は、ニューメキシコ州の小さな町「トゥルース・オア・コンセクエンシズ」で、州立公園のメンテナンス職員として勤務を始める。
表向きは誠実な労働者であり、近隣住民からも評判は悪くなかったというのだが、日常生活の中で平穏を装いながらも、密かに準備を進めていた。

この時期、彼は4度の結婚と離婚を経験し、娘のジェシー・レイをもうける。
ジェシーは後に父の犯行の一部を手伝ったとして逮捕されているが、詳細は曖昧なままだ。

1990年代後半、レイは共犯者となる女性、シンディ・ヘンディと出会う。
ヘンディはワシントン州から逃亡してきた前科者であり、二人は恋愛関係を超えて「共犯関係」へと変わった。
彼女は後に証言の中で、「デイヴィッドは被害者を“もの”として扱い、感情の一切を排して拷問を計画していた」と述べている。

走る狂気、「トイボックス」

父親から与えられた性癖、軍隊時代に身につけた技術、機械いじりの才能が融合し、10万ドルを費やして改造したトレーラー「トイボックス」が完成した。
この走る狂気を転がしながら、ニューメキシコ州界隈で犠牲者となる女性を次々と誘拐し、数ヶ月にわたり拷問と性的暴行を繰り返したのだ。

「トイボックス」は防音設備が施され、拘束具、電気ショック装置、鞭、外科用器具、録画機器まで備えられ、彼の性癖を満たすため装備が充実している。

拐った女性を閉じ込め、「ハロー、雌犬(Hello, bitch)」の掛け声とともに拷問を始める。
方法は残忍極まりなく、文字で描写することすらためらわれ、想像するだけでも戦慄を呼ぶ。
彼の目的は、身近らの欲求に従い、被害者を支配して肉体的、精神的に破壊すること。殺人ではなく拷問が目的であり、殺害はその最終工程ではないだろうか?
その様子を録画していたらしく、後からニヤつきながら鑑賞していたと思うと札付きのド変態。

発覚と崩壊

1999年3月19日、裸で首輪をつけた女性が路上をさまよい、通報によって保護された。
彼女の証言が全てを変えた。
女性はデビット・パーカー・レイとヘンディに拉致され、数日間にわたり拷問を受けた後、拘束を解いていた隙をついて逃げ出したのだ。

犯行期間は約50年に及び、その間に14人から60人とも言われる被害者が出たとされる。なぜこれほど曖昧な人数なのかは発見された遺体は極めて少ないうえに、FBIが100人以上の捜査員を動員しても、ほとんど証拠が見つからなかった。湖や砂漠に遺体を遺棄したともされ、証拠隠滅の徹底さから、被害者全体像の把握が困難な状況に陥っている。
被害者の中には殺害されなかった女性もいたのだが、喉を切られたり、強い薬を大量に与えて記憶を消してから解放され証言が難しという訳だ。

怖ろしい事に彼の趣味に賛同する共犯者の手助けもあり、長らく犯罪が明らかにならなかった。
おそらく公式に発表された人数より、もっと多くの女性が餌食になっていたと思われる。

それでも、被害者の証言と録画の一致から犯行は動かぬものとして逮捕され、2001年、誘拐と性的暴行など複数の罪で懲役224年の刑が確定した。
つまり、死ぬまで刑務所での生活が確約したのだ。
まあ、妥当なところだろう。
死刑が無理でも、絶対外に出してはいけない人種だ。

共犯のシンディ・ヘンディも36年、娘ジェシー・レイも有罪判決を受けた。

最後は逃げ切り

犠牲になった女性たちの親族や関係者たちは、死刑にできなかったものの、せめて刑務所で死ぬよりもつらい思いをしろと思ったことだろう。

しかし、デビット・パーカー・レイは2002年5月28日、心臓発作を起こして死亡。
刑務所で過ごしたのはわずか1年にも満たなかった。
この知らせを聞いた検察官は「あいつは最後まで逃げた!」と悔しがったのだそうだ。

結果からすれば、法の裁きからの「最後の逃走」なのかもしれない。
残されたのは数え切れない「行方不明者」の記録と、砂漠に埋もれたままの真実。

せめて刑務所にいたわずかな期間でも、それ相応の罰と感じる生活を送っていたことを祈るばかりだ。

※画像はイメージです。

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