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ベルリン攻防戦と戦車

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戦史ファン的には、春、4月から5月にかけてといえば、やはり地下壕で「ちくしょ~~め!」と叫ぶ閣下の映画が印象的なベルリン攻防戦を思い出すのですが・・・。
そのベルリン攻防戦について思ったことを書いてみたいと思います。

目次

市電の車両よりは役になった埋められた戦車

ベルリン攻防戦といえば、映画『ヒトラー最期の12日間』でさり気なく描かれていた、ベルリン市民が市電の車両を障害物代わりにしようと人力で動かしている場面を思い出します。
正直、戦車なりロケット砲なりでは一瞬で破壊されるシロモノだっただけに、実際どの程度役になったのか?大いに疑問に感じるものだったりします。なんでも、ベルリン市民のジョークとして「ソ連軍がこれ(車両トーチカ)を攻撃するのに2時間15分かかる。2時間は爆笑で破壊は15分」と言われていたとも伝わっているだけに、そうでも言わないとやってられなかったのかもしれません。

戦車は固定砲台?

ベルリン攻防戦といえば、少ないながらも戦車が参加していた・・・と言っても、大半は東部戦線から退却してきた車両なのだが。
記録があるのですが、燃料切れで動けない、もしくは燃料補給で動けない車両は地中に埋めてトーチカ代わりに運用したという記録があります。

パンターも埋められて固定砲台として使われていたようで、の砲塔の周囲に薬莢の残骸が積まれていることを思うと、戦闘中はかなりの数の戦車などを砲撃していたのかもしれないですね。
破壊されたフンメルは自走砲というよりは直接射撃で進行してくるソ連軍戦車を攻撃していたようにも見えます。

多数に無勢で抵抗したティーガーII

ポツダム広場で放棄されたSS第503重戦車大隊所属のティーガーII戦車ですが、なんでもこの車両は39両のソ連軍戦車を撃破したと言われている・・・指揮はディールスSS少尉だとか。

数百両単位でやってくるソ連軍戦車に対しては多勢に無勢ではあるのですが、最後まで祖国を信じて戦った兵士の心情を思うと、地下壕で無茶な命令を下している閣下は「なにをしているんだ?」と思ってしまいますね。
ブランデンブルク門付近でも、最後まで戦った独軍戦車がある。

最後の望みをかけて

実際、ベルリンの北方に位置した第3装甲軍(指揮官・マントイフェル)はベルリン救出命令を無視して、部隊を西側連合軍に降伏させるためにひたすら西に向けて進撃していたぐらいです。

映画の中でも有名なシュタイナー軍団も実際は兵員すらままならない、ましてや戦車などある訳がない状態で、地下壕の地図の上だけに存在した部隊を信じたチョビ髭閣下。
自身が支援して生み出した、装甲部隊に最後の望みを賭けていたのでしょうけど・・・色々なことを思ってしまうベルリン攻防戦でした。

featured image:No 5 Army Film & Photographic Unit, Wilkes A (Sergeant), Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で

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