なぜ山本五十六は真珠湾奇襲作戦で、米国が戦意喪失すると考えたのか。
世界の常識「大艦巨砲主義」
真珠湾で戦艦群を失った米太平洋艦隊・キンメル司令部の事後方針は、「諸部隊を再建するまで、生き残った空母・巡洋艦・駆逐艦による戦力で戦う」であった。
あくまで戦艦部隊の「再建」であり、空母部隊への「再編」ではない。
また後任のニミッツ提督も、「日本部隊と戦艦で戦う。それが海軍だ」と言明したという。
さらには空母部隊を指揮してミッドウェイ海戦で勝利し、沖縄戦まで戦ったスプールアンス中部太平洋司令官は、ミッドウェイ海戦の頃でさえ、「もし日本艦隊が決戦を挑んできたら、古典的な艦隊同士の戦闘が行われる」
と考えていたと伝わる。
兵器としての航空機は急進化によりその攻撃力が飛躍的に増大し、海軍戦力に占める割合が増していたのは間違いない。しかしそれでも海戦での勝敗は艦隊同士の砲撃戦で決まるという思考は、依然、日本のみならず米国を含む世界の海軍首脳部の常識であった。
未経験の持久消耗航空戦
太平洋戦争の特徴は、真珠湾奇襲攻撃、ミッドウェイ海戦などのように、航空戦力が主役の一つに浮上したことだった。
特に南西太平洋諸島の攻防戦は、空母機動部隊同士の海上戦に陸上航空基地の運用を加えることで、航空戦力による長期にわたる持久消耗戦となった。
長い過去にわたって、戦艦中心の艦隊決戦前提の戦略戦術しか持ち合わせていなかった日米両海軍にとって、それは未経験の戦争であり、双方共に確立した戦争論を持たないままにその場その時の情勢に即応した、最も有効だと予想される方法をとりながら手探りで戦争しているのが実情だったであろう。
古典的な艦隊同士の戦闘、つまり戦艦主体の艦隊決戦に言及したスプールアンスは、それまで巡洋艦部隊の指揮官で、いわゆる生粋の大砲屋だった。航空戦力が予想以上に有効的で、戦いに勝つためにこれを使わざるを得ない現実も、大砲屋としての血肉となったスプールアンスの思考を急には変え得なかったようだ。
米艦隊への大打撃による講和誘引の根拠
航空主兵を主張していた山本五十六でさえ、その航空戦が持久消耗戦になるとは予想していなかっただろう。
そうであるならば、戦艦主体の艦隊決戦で戦争の勝敗が一決するとした、日露戦争・日本海海戦以来の艦隊決戦論を、
航空戦力に置き換えただけの域を超えることはできなかったのではないか。
米太平洋艦隊を率いた提督たちが、航空戦を戦いながらも艦隊決戦思考を完全には払拭できなかったのと同様に、決戦一決の思考を打破できなかったという点で、
山本にも艦隊決戦主義の影響が残っていたとしても無理はない。
だからこそ山本は、真珠湾奇襲攻撃によって米太平洋艦隊に大打撃を与えれば、それが米国との講和交渉の糸口になり得ると予想したのではないだろうか。
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