兵器の歴史の定説としては、1914年から1918年まで続いた第一次世界大戦において、初めて大規模な投入と運用が行われた新兵器としては毒ガス、戦車、潜水艦、そして航空機などが挙げられる事が多い。
これらの新兵器の中でもその冒頭に挙げた毒ガスなどは、今日的には化学兵器に分類されており、未だ全廃とまでは言えないが、その運用面での困難さや、第一次世界大戦の後の各種の国際条約等で保有国は少なくはなっている。
その反面、戦車や潜水艦、そして航空機等は時代と共に用途や性質を少しづつ変化させながらも、今も新たな機能や運用手法の改善が加えられ、軍事兵器としてまだまだ進化を続けていると言えよう。
そんな中でも航空機の軍事利用に関しては、殊に2020年9月に生起したアルメニアとアゼルバイジャンによるナゴルノ・カラバフ紛争や、2022年2月の同ロシア・ウクライナ戦争において、所謂無人航空機の投入が加速している感が強い。
無人航空機と一口に言っても、その用途は比較的中規模から大規模な機体を備え、敵の偵察を主目的として運用されているものや、自らの機体に爆薬を内包し、敵の目標に自爆攻撃を行うものなど多岐に渡る。
今回にはそんな所謂無人航空機・ドローンの中でも、最後に挙げた自らの機体に爆薬を内包し、敵の目標に自爆攻撃を行う兵器について、運用方法が遠隔操縦によるものの元祖とも言えるアメリカ軍のBQ-7について紹介して見たい。
遠隔操縦、自爆攻撃、無人航空機のはしりケタリング・バグ
第一次世界大戦において航空機が軍事兵器として本格的に活用され始めた事は前述したが、これらは言うまでも無く人間が機体に乗り込んでその操縦を行う形式であり、有人航空機に分類される。
この有人航空機の軍事利用の拡大と共に、搭乗者を必要とせず遠隔操作で飛行させるという無人航空機の概念は着想され、1939年に勃発した第二次世界大戦においてその実用化に向けた様々な研究・開発が行われた。
殊にアメリカ陸軍では第一次世界大戦の終結の僅か1ケt月前の1918年10月、ケタリング・バグと呼称された無人航空機の初飛行に漕ぎつけ、飛行テストでは成功と失敗を繰り返したが、第一次世界大戦が終結を迎えた為、実際の戦闘には投入される事はなかった。
ケタリング・バグは小型で主翼には複葉方式を採用した無人航空機であり、総重量240kgの機体に81kgの炸薬を内蔵し、飛行速度は凡そ時速193kmで、最大射程距離は凡そ120km程の性能を有していたとされている。
そしてこのケタリング・バグを通じてアメリカ軍は、自爆攻撃用の無人航空機を兵器として活用するノウハウを蓄積したと考えられ、続く第二次世界大戦時には無人航空機・BQ-7の開発に乗り出した。
二次大戦アメリカ軍が開発を進めた自爆攻撃無人航空機・BQ-7
第二次世界大戦も終盤に差し掛かろうかと言う1943年の中頃以降、当時のアメリカ陸軍航空隊を率いていたヘンリー・ハーレー・アーノルド司令官は、それまで実戦に投入され傷んだボーイング B-17 フライングフォートレス爆撃機を自爆攻撃用の無人航空機とする事を命じた。
このボーイング B-17 フライングフォートレス爆撃機を自爆攻撃用の無人航空機に改修して有効活用しようと言う企画は、1944年6月に当時のアメリカ第8空軍を指揮していたジミー・ドーリットル司令官によって承認を受ける。
ここにこの計画はアフロディーテ作戦と呼称される事となり、自爆攻撃用の無人航空機とされたボーイング B-17 フライングフォートレス爆撃機はBQ-7の名を冠され、並行してアメリカ空軍が同様の改修を行ったB-24リベレーター爆撃機はBQ-8と呼ばれた。
B-17 フライングフォートレス爆撃機は最も生産数の多かったG型の場合、全長が22.8m、全幅が31.64m、全高が5.82mという大型の戦略爆撃機で、最大で5,806kgにも及ぶ爆弾を積載する事が可能な機体であった。
アメリカ軍ではボーイング B-17 フライングフォートレス爆撃機のG型とF型を自爆攻撃用の無人航空機に改修する事とし、装備されていた防弾用装甲、M2重機関銃12丁とその砲塔、そして爆弾用の懸架装置等を取り除く。
この軽量化によって自爆攻撃用の無人航空機となったBQ-7は、ベースのボーイング B-17 フライングフォートレス爆撃機で最大5,806kgだった爆弾搭載量を9,100kgと1.5倍以上に増加させ、560kmの航続距離が確保された。
但しBQ-7は自爆攻撃用の無人航空機とは言うものの、この時代の遠隔操縦装置では機体を安定して離陸させる事が困難であった事から、操縦士1名ともう1名の計2名の乗組員によって高度約600メートルまで上昇させられた後、遠隔操縦装置に切り替える方式となっている。
この2名の搭乗者はBQ-7の飛行が遠隔操縦装置に切り替えられた事、爆薬の安全装置の解除を確認して、パラシュートを用いて操縦室から脱出する運用となっており、その意味においては今日的な完全自律型の自爆攻撃用の無人航空機とは異なる。
無人航空機BQ-7の使用目的と戦果
これまで見てきたようにボーイング B-17 フライングフォートレス爆撃機を改修し、遠隔操縦による自爆攻撃用の無人航空機としたBQ-7だが、その使用目的は比較的堅固なドイツの軍事施設を攻撃して破壊する事にあった。
比較的堅固なドイツの軍事施設とは当初想定された具体的な目標として、ドイツの潜水艦・Uボートの基地や、通常の爆撃で破壊する事が困難と考えられた掩蔽壕などを備えた施設の破壊を企図していたとされている。
しかしアフロディーテ作戦が承認された1944年6月には、既にUボートの脅威は低下しており、代わって機関にジェット・エンジンを搭載した、現在の巡航ミサイルの元祖とも言うべきドイツのV-1によるロンドン爆撃が始まっていた。
ドイツのこのV-1によるロンドン爆撃は、軍事目標に限らず無差別に使用され少なからぬ損害をイギリスに与えた為、BQ-7の主たる使用目的はこのV-1の発射基地を叩く策源地攻撃に置かれ、その後ドイツが投入したの弾道ミサイルの祖であるV-2の基地も対象となる。
但し無人航空機・BQ-7は、1944年8月から翌1945年1月迄の凡そ半年間でイギリスの基地から15機が放たれたものの、その全てが目標に到達する事は無く、2名の乗組員もパラシュートでの脱出時に複数回の死亡事故が生じ、敢え無くアフロディーテ作戦は中止された。
結果としてアフロディーテ作戦が標的としたV-1及びV-2の発射基地は、1944年6月に実施されたノルマンディーへの連合軍の上陸後の地上での進軍、そして通常の爆撃機部隊による攻撃で排除され、無人航空機・BQ-7等がこれに貢献する結果とはならなかった。
まあ既に第二次世界大戦終盤のヨーロッパ戦線に於いては、地上の通常兵力、爆撃機を含めた航空戦力でも連合国はドイツを凌駕しており、無人航空機・BQ-7のような不確実な兵器に頼らずとも勝利できたと言えるだろう。
ミサイル全盛時代を自爆攻撃用無人航空機の発達は変化させ得るか
第二次世界大戦以降、殊に1970年代以後は電子機器類の大幅な性能の向上もあり、対地、対空、対艦攻撃の主力兵器と言えば巡航ミサイルや弾道ミサイルが中心となり、飛翔速度や射程距離が大幅に向上してきている。
しかし2022年2月に生起したロシア・ウクライナ戦争でも明らかなように、ロシア・ウクライナ双方ともに自爆攻撃用の無人航空機を戦場に多数投入しており、この発達はミサイル全盛時代に一石を投じたとの見方もある。
ただ総じてミサイルはこれらの多くの自爆攻撃用の無人航空機に比して、飛翔速度に優れ、搭載可能な炸薬の量も多い為、1発の破壊力と言う点では優位にあり、コスト的に高価で製造にも時間を要する点がデメリットだろう。
しかしその高価なミサイルの攻撃を成功させる為、安価で大量投入が可能な自爆攻撃用無人航空機は、敵の防空ミサイルの数を消費させる手段となっており、ロシアによるイラン製のシャヘド136の投入は正にこの点にあるように見える。
個人的にはこうした敵の高価な防空ミサイルを消費させる有効な手段として、自爆攻撃用無人航空機は今後も暫くそのような位置づけで使用される時代が続くのではないかと危惧してしまう。
featured image:United States Army Air Force, Public domain, via Wikimedia Commons


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