ネットの発達で、画像検索サイトでも簡単に過去の写真、例えば第二次世界大戦当時の戦場写真とかも、自宅にいながらすぐに検索出来るようになったのは嬉しい限りですが、今日は、色々と見ていたそれらの写真のうち、「非日常」である戦場の中にある「日常」っぽい写真について取り上げたいと思います。
戦車も燃料・弾薬が無ければただの『鉄の箱』
独軍ご自慢のティーガーI戦車に燃料補給(後ろは弾薬補給かな?)をしている様子が写っているものです。
大戦後期の主力戦車、ティーガーI・パンター・ティーガーII、全てベースは同一のエンジン(車種別に調整はされていた)であるが故、とにかく燃費の悪さでは有名だったとかどうとか。燃料や弾薬がなければ、それこそ戦車はただの『鉄の箱』状態でしかない訳ですし、補給を一番望んでいたのは前線の将兵だったと思います。ヨーロッパの整備された街並みならともかく、整備されていないロシア(ベラルーシやウクライナも含む)では、燃費が一段と落ちるのも事実だったこともあり、こうして補給出来ている間は未だ良かったと思います。
これが戦争末期、生命線であるルーマニアやハンガリーの油田を失うと、ガス欠は日常茶飯事だった独軍では「燃料不足で爆破処分して撤退」もよくあったことだそうな。油田を勢力圏内に持っていたドイツでさえこれですから、石油資源が全て海外という日本では……という感じでしょうか。
履帯の整備は戦闘がないから出来る
ティーガーI戦車の乗員が、幅広のティーガーIの履帯を修理している様子です。
独特の千鳥式に配列された転輪のためか、履帯の装着・取り外しが困難だったという話が伝わっていますが、それにしても、こうして野外で履帯の整備が出来るというのは、戦線が安定しているから出来ることだと思いますし、敗走に次ぐ敗走となった1944年以降ではこうも整備するヒマとか無かったのではないのでしょうか。
しかし、この重たい履帯を女子校生が難なく整備をする『ガールズ・アンド・パンツァー』で戦車道を受講している女子校生さんたち、筋力とかも鍛えていなければ出来ないようにも思いますね、うん。
戦車も路面の悪化には勝てません
手前には土の中に埋もれて動けないようなIV号戦車があり、その奥では急な坂状態の土砂の上を、どうにかこうにか登っている同じくIV号戦車という姿。1943年の写真だそうですが、それにしても、周囲の土地の高さと比較すると、爆撃か何かで開いたクレーターに落ち込んだ戦車を、元の地面に(草原状態のところに)戻そうとしているように見えます。
土も硬ければまだ履帯でしっかりと踏みしめることが出来るのでしょうけど、その土がやわらければ登ることも難しいでしょうし、果たして、手前のIV号戦車が無事にこの窮地を脱することが出来たのか否か!?気になってしまいます。
※アイキャッチ画像はイメージです。
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