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神は何故、大陸を沈めるのか?

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アトランティス大陸とムー大陸は、オカルトの文脈で出て来やすい架空の大陸である。
現存しない理由は、「高い文明を持っていた反面、精神的に堕落しており、神の怒りに触れて沈められた」というテンプレートになっている。

これは、ノアの洪水と概ね同じ発想な訳だが、一体何故、神は人間の粛正に「大陸を沈める」という手法を採るのだろうか。

目次

なぜベストを尽くさないのか

何より、手法に違和感がある。
神の「パワー」の典型的なものは、雷であろう。

ヨブ紀1章16節における「神の火」、すなわち雷はサタンの所業だが、人間は神の常套手段と認識している。ユダヤ教を離れても、ギリシャ神話のゼウスや、それを受け継いだユピテル、バラモン教のインドラ、北欧神話のトールなど、主神かそれに匹敵する有力な神の持つ力として語られるのは雷だ。

日本語の「かみなり」という言葉自体、「神鳴り」と字を当てる事に違和感はないだろう。
天に神が存在する系の神話であれば、天による最も直接的な「攻撃」としての雷は、非常に理解しやすい。
そして、空を飛べない人間にとって、空で発生する事象は、ひとまずオカルトに突っ込んでおいて結論付けるしかない時代が長く、神話化しやすい要素である。

では、何故雷で大陸を破壊しないのか?
これは、雷の性能的な問題だろう。

雷は単体威力は高いが、大陸のような広範囲を洗いざらい滅ぼすような性能に乏しい。
面ではなく点の攻撃なのだ。

恐らく、過去の人々も避雷針のような現象を目の当たりにしており、雷は1点にしか落ちず、更にそこまで連発はしないというのが、経験的に理解していたのだろう。

火山の攻撃性の裏

他に、神の罰として使われるものに、火山がある。

ソドムとゴモラを滅ぼした「硫黄と火」というのは、隕石説が有力のようだが、当時の人々は火山と結び付けて理解しただろう。
もしも隕石であると観測されていたなら、「星が落ちて来た」といった表現がまずは最初に作られた筈で、「硫黄と火を降らせる」というその後を切り取った表現にはしない。

逃亡時振り向いたロトの妻が塩の柱になるが、これはその後発生した塩害の暗喩と取れる。
隕石の破片が死海に落下した可能性があるが、火山の「吹き上がる」イメージとも繋がりやすい。

直接的に火山の神が出て来る神話と言えば、ハワイ神話が有名だ。
女神ペレは、炎、稲妻、ダンス、暴力を司り、気まぐれで惚れっぽく、怒り狂うと手が付けられない。

夫は海神のカマプアアで、溶岩と海水の衝突によって、地形が作られている。
ここで、罰としての火山の性質が見えて来る。

大陸を潰そうと考えた時、火山は陸地を増やす可能性があり、単に滅ぼす武器だけでなく、大地を生み育む、恵みの力にもなってしまうのだ。

とりわけ水を、人は恐れる

こうなると、やはり多数の人間に対する天罰としては、水に沈めるのが1番現実的な方法である。
これは、彼らの想像力というよりも、経験にも基づいていた筈だ。

ナイル川を始めとして、四大文明は大河の傍らで育まれた。
河川整備が不充分な時代、洪水は身近な災害の1つであり、一気に生活を破壊する不可解なものだったろう。

ナイル川は肥沃な土を運んだというが、洪水の瞬間は、絶望的な破壊でしかなかろう。
この理不尽に、生き残った人々は理由を求めた。
それが天罰としての洪水という解釈であり、そのまま聖書におけるノアの大洪水とも結び付く。
だからこそ、神は大陸を水で沈め、大陸を沈めるものは水でなければならなかったのだろう。

現在も水の恐怖はリアル

神々は大陸を沈めるか

だがしかし、神が実在した場合、本当に堕落した大陸を沈めたものだろうか。
ユダヤ教系はノアと契約済みなので、虹が観測される限りあり得ない。
無論、大陸が沈んだのが、ノアの大洪水の時期の可能性はあるが、だとすれば聖書に記させないのは不自然だ。
何しろ都市の1つに過ぎないソドムとゴモラは記述しているのだ。大陸1つ沈めたのに、記述しない自由もないだろう。

ヒンドゥー教のシヴァなら、破壊神なのでやる可能性はある。
但し、シヴァは破壊による再生という一連の神格であり、大陸単位で滅ぼす破壊なら、そもそも人類が丸ごとやられている。
イルカ辺りが次の支配種族になっていないとおかしい。

日本神話の場合、日本列島を作り、島を引く程度の干渉力は持つが、ローカルな存在のため、担当領域が異なる。
日本がムー大陸の端っこという説もあるが、その説に従う場合、日本海側の出雲に素戔嗚尊が降り立つのは、違和感しかない。

君たちはどう沈めるか

では、既存の神ではなく、あなた自身が神の気持ちになって考えよう。
堕落した人々が溢れた大陸を沈めるだろうか。
人は善悪に二分できるものでもない。
善なる人を一掴み生き残らせても、彼らが愛するチョイ悪人間を死なせれば、善なる人を苦しめる事になる。

それを解決しても、生き残らせた善人達は、生活基盤が奪われ、路頭に迷う事になる。
貧すれば鈍す、善なる者の中でまた奪い合いが始まり、より幅が狭い中でも善悪が生じる。
悪を洗う筈の水は、人を腐らせ悪を更に増やす。

つまり、大陸を沈めるのは、全滅させたい時だけで、そうでない場合はもう少し細かく滅ぼす方法を取るべきなのだ。
それこそ、雷のようにピンポイントな方法だ。
ここへ来て、大洪水による選民説は、神の立場からも否定されてしまう。

神ではなく

神は大陸を沈めない・・・これが結論である。

もしも、アトランティスが沈んだのだとして、それは神の意思ではなく、超科学による大地のコントロール、全く偶然による自然災害、宇宙への脱出の反動など、彼ら自身の力による自沈と考えるべきだろう。

神々は、自分の手を離れた彼らに対し、救うモチベーションを持たなかった。
こちらはこちらで、充分ロマンがある話だろう。

featured image:Alphonse de Neuville, Public domain, via Wikimedia Commons

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