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干支は、食べて良いのか?

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本執筆時点で2024年の12月、辰年が終わり、巳年が間近に控えている。
干支(えと)と言えば年賀状だが、インターネットによる文字通信の発展や郵便料金の大幅な値上がりも合わせ、年賀状仕舞いをするという人もいるようだ。

さて、干支に動物が当てはめられるが、年賀状に書く以外、一体どう付き合うのが正解なのかと、迷った事はないだろうか。
置物を飾るぐらいなら良いが、食肉の場合、食べる方が良いのか、食べない方が良いのか、判断し難い。

目次

干支の成り立ち

我々が「干支」と呼んでいるものは、実は複数の由来が混じった複雑な概念である。
まず、暦を表す分類に、「十干十二支」という呼び方があり、戦前まで年号などに当てはめていた。

これは・・・。

十干:甲乙丙丁戊己庚辛壬癸
十二支:子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥

という、10+12の22要素がある。

そして、この十干と十二支を組み合わせ、甲子、乙丑、丙寅・・・と進んで、年号や時間のカウントに用いる。
総当たりの組み合わせではなく、両方一緒に進む。

甲子園球場は1924年に開場したが、これはすなわち「甲子」の年に当たる。
そして暦の場合10と12の最小公倍数、つまり60個目「癸亥」まで進んだ後、61個目で「甲子」にループする。
即ち「暦が還(かえ)る」。
60歳を「還暦」と呼ぶ語源である。

このうちの干支に五行思想が絡んでいく。
12等分された方角を表すのにも用いられ、北から子で始まり時計回りに当てはめた。
五行思想を元にする陰陽道でいう「鬼門」は南東、すなわち「丑」「寅」の間を指し、故に鬼は牛の角と虎皮の褌を締める。

ただ、発祥時点の干支に、動物の意味はない。

動物が出て来るのは、別に存在した「生肖(せいしょう)」という12の動物を並べた概念である。
丁度数が一致したためか、十二支にくっつき、子を「鼠」、丑を「牛」などと呼ぶ事に決めたのが、現在の日本でいうところの「干支」である。

数が一致しているというだけで無関係なものを結びつけるというのは、いささか強引な気もするが、四天王とか七不思議とか十本刀とか松竹梅とか、キリの良い数ありきでこじつける事は、現代でも行われている。
十二支を使っていた古代中国人が、同じ12の生肖を見つけ、その偶然の一致にウキウキで乗っかったろう事は、想像に難くない。

動物には意味がある?

さて、では「生肖」に登場する動物は、一体何を表しているのだろうか。

結論から言ってしまうと、よく分からない。
中国の記述を辿っても、現代の中国語で「生肖」がそのまま、日本で言う「干支」の意味で使われている事が分かる程度である。

これはすなわち、暦における月や年の名前として、身近な動物を使用した、という解釈で良いだろう。
日本では今でこそ暦に無味乾燥な数字を使っているが、かつては「葉月」「水無月」「霜月」など、それ自体に意味がある文字を暦に使用していた。

では、これらの動物がどういう基準で選定されたか?
これは動物が12頭いたのではなく、12という数字があったから動物を当てはめたと考えるべきだろう。
12という数字は、時計にも使われるように、約数が多く円形に配置するのに扱い易い数字とされる。
円は周回を意味するから、暦には最適な図形だ。

生肖の中で牛馬羊鶏犬豚(猪)は、古代中国で「六畜」と呼ばれた重要な家畜だが、残り6種類は心許ない。
格の高い動物とされる竜虎を入れるのはまだ分かるが、兎は食肉や毛皮だが格落ち、猿は実用性が薄い、蛇は益獣になる事もあるが毒があれば嫌われ者、鼠は害獣でしかない。
発案者は、12に収まり、万人に伝わるような動物を頭を捻って選定したのだろう。

オカルトとの距離感

さて、現代人の我々は、かくも曖昧な干支の動物と、どのように付き合うべきだろうか。

オカルト的に発想するなら、最初がどうであろうと、干支として呼び慣わす事で言霊は蓄積している。
「殺せば祟る」という言及する人の口が多いのであれば、そのようになるというのが言霊の発想だ。

だが、どうやら丑年だから牛を食べてはいけない、亥年だから豚肉を食べるな、といった言説は一般的ではない。
ならば、どうやら禁忌の食材になっていない事は確かのようだ。
蛇料理好きの諸氏は、2025年も安心して蛇料理を楽しむと良い。

なら、干支の動物でも虐待しても良いのか、タブーはないのか、というと、そういう話ではない。
言霊の他に、我々に影響を与えるオカルト要素として「内面の信仰心」がある。
「縁起が悪い」「何だかバチが当たりそう」「正しい事ではない気がする」そういった直観だ。
これは、文化と複雑に絡み合った感覚のため、宗教的感覚と気付かない事も多い。
かなり合理的な価値観を持っていても、潜在意識で後ろめたさがあると、思わぬタイミングで心理的トラブルを起こすことになり得る。

お気づきだろうか。
「干支を喰って良いか、悪いか」という問いについて答えるべき言葉は、既にあなたの中にある。
気持ち良い方を選べば良いし、上手く選べず気持ちに逆らったと思えば、供養のための納得の行く方法を取れば良い。

供養としては、地蔵に拝んでも良いし、教会で懺悔しても良い、明確な神格をイメージしない、月や爪の先でも良い。骨を手厚く葬る事も、きちんと分別して捨てる事も、あなたが納得できるなら供養になる。
感性を広げ「腑に落ちる」「気持ちの良い」選択を見つけ出す事だ。どうしてもハッキリしないなら「そこまでパワフルな事象ではない」と結論付ければ良い。

オカルトや、宗教儀式とは元来、そのようにして人の心を救うものなのである。

参考
・ウィキペディア「十二支」
・ウィキペディア「生肖」
・仏像文化財修復工房「十干・十二支 年号対応表」

※画像はイメージです。

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