言語を持つのは人間だけ、というのはしばしば聞かれる説である。
厳密には色々反証が出ている主張であるが、そこは言語の定義の問題になるだろう。
我々人間が用いる自然言語は、文化的要素を多分に含んだ高次な構造物であり、本能的に作り出せる段階を遥かに超え、それを知る人から「学び取る」しかない。
これを、他の動物が1代で作り出した「言語」と同じ用語で語るのは、「すき焼き風煮」を「すき焼き」と呼ぶぐらい違う。
さて、人間がこの言語を全く学習せずに育った場合、どのような言葉が発せられるか、それを研究したのが、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世であるという。
フリードリヒ2世の実験
フリードリヒ2世は、12世紀から13世紀、つまりヨーロッパ中世盛期の人物である。
西欧封建社会において、いわゆる「皇帝」としての力を持った、最後の存在とされる。
彼は知性に優れ、政策も生活も進歩的であった。
医療に関しても熱心で、メルフィ法典を施行し、医薬分業を定めた。
また、自らも人体解剖をしたともされる。
そんな彼が手掛けた実験の中に、人間の言語に関する探究があったという。
内容としては、生まれたばかりの赤ん坊を多数(50名とも)集め、育てさせた。
育てる者達は、赤ん坊達がいる場所で、決して喋ってはならないと厳命された。また、思わず声が出る、抱き上げてあやすような接触も禁じた。
この時、赤ん坊が言葉を喋り始めたとすれば、それは人の学習によらない言葉、すなわち「神がアダムとイブに教えた言葉」を話すのではないか、そういう仮説である。
結果から言えば、この実験は失敗に終わった。
何故なら、赤ん坊達は言葉を発する年齢にならないうちに、全て死に絶えたからである。
背教者テンプレにご用心
のっけからひっくり返すが、このエピソードは非常に信憑性が低い俗説と言うべきだろう。
理由はいくつか考えられるのだが。
- 彼の「このタイプ」の暴君エピソードは、本件以外にない
- 余程の絶対制君主でない限り、自国民から赤ん坊を多数奪うのは困難
- 彼は本件と関係ない理由で、教会から破門されている
- この実験のソースは、修道士サリンベネ・ディ・アダムの『年代記』である
後半2つが決定的と言えるだろう。
記録というのは往々にして記録者の主観が入る。
修道士であるサリンベネという人物は「信用出来ない語り手」と判断せざるを得ない。
サリンベネは1247年にリヨンで教皇インノケンティウス4世と会見している。
その教皇インノケンティウス4世は、フリードリヒ2世を破門した張本人であり、彼の死に際しては「天地が喜ぶ」と書き記した程である。そしてサリンベネは、フリードリヒ2世の方とは接点がなく、「実験」があったとしても、伝聞以上の知識はない。
キリスト教権力に敵対する者が、大体キリスト教的な「道徳に関する罪」を盛られるのは定石である。
兄弟殺し、近親相姦、男性の同性愛、小児性愛、(特に血を含む)カニバリズムなどが描写された記録は、まず疑ってかかり、証拠のあるものだけを事実と認定した方が良い。
そして、本実験の「赤ん坊が大量に死んだ」という結末も、『マタイによる福音書』のヘロデ大王による幼児虐殺をイメージさせるため、敢えて追加された架空エピソードの可能性が相当高い。
尚、この「言語剥奪実験」は、フリードリヒ2世の専売特許ではない。
歴史家ヘロドトスが記した『歴史』内に見られる他、スコットランド王ジェームズ4世とムガル帝国の皇帝アクバルはそれぞれ、口のきけない者に子育てさせるという同じような実験をしている。
この言語剥奪実験の結果は、実は既に出ている。
1938年にアメリカで発見された「イザベル」(仮名)という少女は、聴力に障害のある母親に監禁されて6歳まで育った。
そして言葉を「話す事が出来なかった」。
言葉をかけないと死ぬ訳ではなく、何かを喋り出す訳でもなく、ただ、喋れないだけ、そういう事である。
妖怪達と接した子供は、何を「喋る」
日本型のオカルトにおいては、7歳になる前の子供は超自然的なものを感知しやすいとしばしば定義される。
妖精や妖怪など、オカルト的存在と接しながら育った場合、子供は何を喋るのだろうか。
恐らく、音声による言葉は発さない。
まず、ユダヤ教系列(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)の神が存在する世界なら、バベルの塔の一件で、共通言語の「神の言葉」は人間から没収されている。
そういったイベントのなかった世界も難しい。
理由は、言語学習の最初は、オウム返しからだからだ。オカルト的存在の声は、機械で記録される事はないため、音声として耳に伝わっているものではない。
ある種テレパシー的な形を取る筈だ。
テレパシーで話しかけられた子供は、当然テレパシーを使ってオウム返しを試みる。
このやり取りで、音声言語の成長する余地はない。
かのイザベルが、本当は妖精や妖怪から言葉を教わっていたのだとしても、やはり「喋れない」という同じ結果が観察されるだけだ。
ただ喋れなかったのか、人ならざる言葉で語っていたが、気付かれていなかっただけなのか。
真相は藪の中である。

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