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ゲノム編集された受精卵には、どんな魂が宿るのか

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024年のノーベル化学賞は、「蛋白質構造予測プログラムの開発」「コンピュータによる蛋白質設計手法の開発」だった。
これが何かと言えば、遺伝子をコンピュータ上で扱うための技術、と解釈すると良い。

2020年受賞のゲノム編集技術と合わせれば、かなり具体的に遺伝子をデザインした人間も作れるかも知れない。
だがもし「魂」が実在する場合、このように人の手でデザインされた受精卵に、素直に搭乗してくれるだろうか。

目次

魂とは

オカルトにおける魂の表現は一様ではないが、前提として

  • 生き物を動かす、根本のようなもの
  • 全く同一の肉体でも、魂がないと腐るだけ
  • 通常、肉体から離れない
  • 肉体が滅んだ後は次の肉体へ移動(輪廻転生)する

という辺りが、輪廻転生を受け容れている人には、理解しやすいだろう。

従って、肉体を完璧に作り上げても魂が入らなければ、その肉体は「起動」しない。
死んだ肉体を超能力的に再生しても、魂が離れてしまうとそこに命が戻らない。
ゲームにおいて「回復魔法」と「蘇生魔法」が分けられているのもこの発想であるし、漫画『ジョジョの奇妙な冒険』第四部で、仗助が父親を蘇生出来なかったシーンも同様だ。

さて、終わりはイメージ出来るが、始まりの方はどうだろう。
肉体が始まった時、どの辺りで魂は宿るのだろうか?

魂は「乗り込む」

人間の場合、個は受精した瞬間に成立する。
それより前は、2つの減数分裂された生殖細胞、つまり精子と卵子だ。これらは通常の細胞の半分の遺伝子しかない、「受精卵の部品」というべき存在だ。
もし、精子と卵子の段階で魂が存在する場合、受精した瞬間にどちらかの魂が捨てられる事になる。

そうではなく、組み合わさって1つの魂になるなら、そもそも精子と卵子の「魂」は、我々の考える魂と意味合いの違う、不定形の「エネルギー」のようなものだ。

魂が受精で「発生」しないなら、受精卵を見つけて「乗り込む」と考えるのが自然だ。
魂は輪廻転生しているという点からも、既存のものと考えた方が、理屈に合う。
問題になるのは、魂が受精卵の段階で入るのか、それとも細胞分裂が進んだ後で入るのかだ。

タイミング次第で、遺伝子編集の影響が大きく変わる。

作られた肉体に魂は入れるか?
作られた肉体に魂は入れるか?

受精卵乗り込み説

遺伝子編集は、受精卵、すなわち最初の細胞1つに対して行われる。分裂してからでは手間が多いし、受精前では細胞としての体裁が取れていない。
受精卵に魂が即座に入るのであれば、受精卵の遺伝子編集は既に乗っている自動車を改造されるようなものだ。

魂が受精卵に何らかの相性や利点を見出して入ったのに、遺伝子編集がそれの利点を破壊したなら、魂にとって大変居心地の悪い肉体になる。
これは、人生に対してマイナスの影響を与える可能性は高い。

当然、プラスに編集される場合もあるが、現世の人間の価値観と、魂の価値観が合う可能性は薄い。
何故なら、今までの進化の歴史において、短期的にマイナスに見えるけれど、長期的にはプラスになる、という遺伝形質を持つ個体にも、魂は宿っているからだ。

この時、魂の「嗅覚」は、現世の人間と違う価値観で受精卵を選んでいるだろう。
例えば、「飢饉に強い、栄養を蓄えやすい肉体」を期待して入った魂にとって、「栄養の吸収率が低く太りにくい肉体」への遺伝子編集は、改悪でしかない。

胎児乗り込み説

細胞分裂後、胎児に乗り込む場合だと、話は易しい。
受精卵の分裂がある程度進み、魂の器に相応しい脳などの器官が完成した後に、魂が入るのだとしたら、それが遺伝子編集されたかどうかは関係がない。

人間だろうと他の生物であろうと、遺伝子ミックスされたキメラ生物だろうと、その時点で魂の器に相応しい肉体を選んで入るだけだ。
逆に相応しくないと思えば、単に魂が入らないだけ。誰にも選ばれなかった肉体は、死産という形で世界に産み落とされる。

この場合、魂が宿って生まれる事自体が、遺伝子編集後の肉体と魂のマッチングに齟齬がないという証拠になる。

遺伝子編集を恐れるべきか?

これらから考えると、遺伝子編集による、魂への悪影響は、受精卵乗り込み説の場合だけ発生する事になる。
あなたが受精卵乗り込み説の信奉者なら、遺伝子編集はほとんどの場合避けた方が良いだろう。

胎児乗り込み説の信奉者なら、全く気にする必要はない。トライ&エラーも含めて、どんどんやって構わない。
この話で最も避けるべきは、人の意見に流され中途半端なところで迷ってしまう事だ。

オカルトであっても、理屈はある。矛盾する2つの考えが目の前にあれば、流されずどの理屈を選ぶか決めねばならない。さもなければ、朝に「朝食は害」説を信じ、夕に「夕食は害」説を信じ、飢え続けるような、トンチキな事になってしまうだろう。

※画像はイメージです。

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