先日、和歌山県串本町を訪れた。
目的は「本州最南端に行きたい」という地理的な特徴だったが、折角なので周辺の妖怪伝説も調べてみた。
すると、串本駅の徒歩圏内に、名勝「橋杭岩」があり、ここに弘法大師と天邪鬼の伝説が存在した。
和歌山紀行
旅行の発端は、2024年1月1日の能登半島地震である。
地震後、被災地応援として北陸割がアナウンスされた。
詳細発表後は予約が集中すると見込んで、何はともあれ関西空港までの航空券を購入した。
その後、北陸割の詳細が決まったのだが、期間やサイトの混雑具合など、諸々が逆風となり、北陸行きは取り止め、関西行きの航空券だけが残った。
今まで関空からは、北上するばかりで、南、すなわち和歌山県は行った覚えがない。
本州最南端というネタを持っている和歌山に、行った事がないというのは勿体ない話だ。
そんな安易な理由から、和歌山県、とりわけ本州最南端に目標が定まったものである。
航空券はピーチで買って、宿はホテルシティイン和歌山の訳あり部屋で思ったより安く済んだ。
尚、この「訳あり」は、リフォーム前という事で何か出る訳ではない。残念とは思わない。
面白半分に接すると、自分の「内なる宗教心」にやられる。畏怖の感覚は、自分を守る。しかしホテル代が安い、京都と真逆だしインバウンドと縁の薄い地域なのだろう。
2泊3日の行程の2日目、6:04発のJR線で串本町に向かった。和歌山駅から片道3時間、特急もほとんどない。
横席に辟易しつつもようやく串本町に到着。
宇宙兄弟の絵など観つつ、コミュニティバスで最南端、潮岬へ向かう。廃墟化進行中の場末感が素敵な潮岬観光タワーから海を眺め、隣接するジオパークセンターで地形について学んだ。
次に、串本海中公園へ向かう。水族館としては物足りないが、価格相応。ウミガメは豊富。
圧巻は海中がそのまま見られる海中展望塔である。同じコンセプトの「サケのふるさと 千歳水族館」と比べると、水の透明度と珊瑚の点で一歩先んじている。
その後、帰りの列車の時刻を気にしながら向かったのが、弘法大師伝説のある奇岩、橋杭岩である。
高さ10mほどの岩が海にずらりと並んで、あたかも橋桁のように見える事から付いた呼び名である。
根元にゴロゴロ転がる岩も併せ、何とも奇怪な風景で、自然の不思議を感じさせるものであった。
さて、この橋杭岩には1つの伝説がある。
橋杭岩伝説

昔、人々を救うため日本を行脚していた弘法大師様が、串本の海辺で天邪鬼と出会いました。
「おう、大師様」
挑戦的な顔で、天邪鬼が言います。
「あんたは凄い力を持ってるらしいが、おいらに言わせりゃどって事ないぜ」
「ほう?」
弘法大師様は、眉をひそめました。
「口だけなら何とでも言えよう、証拠はあるのかな?」
「おいらなら、あの大島まで一晩で橋をかけられるぜ。大師様に出来るかい」
「無論だ。なら、早い方が勝ちで良いな?」
「おうよ!」
弘法大師様は仏教の修行を極め、仏に至った人です。天邪鬼の挑発程度、平穏にやり過ごす事も出来ますし、無礼を罰する事も出来ます。ですが、弘法大師様が諸国を行脚しているのは、衆生と同じ視線でものを見、小さなものも残さず救いたいという御心からです。
挑発も攻撃も親切も愛しさも切なさも、真正面から受け止めた上で、圧倒的な法力できっちり分からせる。
このプロレス仕草こそが、衆生との生きたコミュニケーションであり、弘法大師様が愛され尊敬され、心強いと感じられる所以でもあるのです。
かくして、橋かけ競争が始まりました。
天邪鬼が大岩を持ち上げ立てようとすると。ズドン、ズドン、ズドンズドン!
どこをどうしたものか、見上げる程の大岩が、空から落ちて来てどんどん海に突き立っていきます。その様は、チートで長い棒しか落ちて来なくなったテトリスのよう。
天邪鬼は弘法大師様の神通力に、吃驚仰天しました。
(こ、こりゃあ無理だ、なんて相手に喧嘩を売っちまったんだ。絶対に勝てない、勝てないが……負けたくない!)
迷う間もありません。もう半分も橋杭が出来上がっています。
(そうだ、勝負をなしにしちまえば良い!)
天邪鬼は思いきり息を吸い込むと、
「コケコッコーーー!」
ニワトリの鳴き真似をしました。
「……む、夜明けか」
弘法大師様は、手を止めます。
「そ、そうだ、夜明けだ夜明け! おいらは橋がかけられなかったが、あんたも一緒だ、ここは引き分け! 引き分けな!」
「なるほど」
弘法大師様は深く頷きました。
「橋は人の為に人が架けるべきもの、我らがやってしまっては、人は学ばず、文明の夜明けも訪れず、2ヒンジアーチ工法にも辿り着けない。人を助けたいという目的から見えれば、それはすなわち負けも同然、そういう事だな」
「……あーうん、そうかな。そうかも」
こうして、弘法大師様は橋杭を原状回復する事もなく、また他の地へ旅立っていったのでした。
弘法大師の出力
さて、オカルト的に、この物語が事実だった場合を考えよう。
この弘法大師が橋杭岩を立てたという物語には、1つの違和感がある。
「橋杭岩をどこから持って来たのか」という事である。
あれほどの岩であれば、岩の入手先で同じだけの凹みが出来ている筈ではないか。だがこの伝説には、そこに触れた描写はない。
考えられるのは、無から岩を生み出した可能性である。
否、正確に言えば無ではない。
エネルギーを固め、岩を作り出すという事である。
和歌山県の岩は、プレートの潜り込みにより取り残された部分と、陸から流された砂や泥、そして火山灰の複合で作られている。
橋杭岩は石英斑岩で、比重は2.5程度である。
橋杭岩にばらつきはあるが、おおよその形として高さ10m程、底面直径を4mほどの円錐形として計算すると
41.9立方メートル≒10×(4π)÷3
1立方メートルの水(比重1)は1トンだから、石英斑岩の比重をかけると、
104.75トン=41.9(体積)×2.5(比重)
つまり、1つおおよそ100トンぐらいの質量を、エネルギーから生み出した事になる。
E=MC2、すなわち質量とエネルギーの等価性の数式によると、1kgの物質がエネルギー化すると21メガトンのTNT熱量となる。従って、橋杭岩をエネルギーから生み出すには、2,100,000メガトン、つまり、2テラトンのTNT熱量が必要である。
ツァーリボンバーの最大威力で100メガトンなので、それを大気中の熱量から奪うと考えると、地球に氷河期が訪れる。
「入門」した弘法大師
エネルギーから物質を生み出すのはあまり現実的ではないようである。
だが、弘法大師には別の技術がある。
仏は解脱によって輪廻転生を抜け出すとされる。
老いや死から逃れるというのは、時間をコントロール下に置く事に等しい。
つまり、時間方向に3次元の平行世界が連なっている状況を認識出来る、「4次元視点」とそこへの介入力があれば良い。
この時、3次元の出来事は比較的自由に操れ、3次元から観察すれば、「いきなり」橋杭岩を発生させる事も可能である。これはすなわち、「紙」のような2次元空間にに対し、3次元人の我々が他の「紙」を切って貼り付けるのと同じである。従ってこの時の弘法大師は、既に次元操作が可能であり、時空を操る「仏」の世界に入門し終えた状態であると考えるべきだろう。
無から有を生み出す(ように見える)力を持ちながら、慈悲深く、時に天邪鬼の挑発に乗ったり、ケチな農民にブチキレて芋を石イモにしたりもする。
そんなパワフルでちょっとお茶目な弘法大師信仰が、民衆に広まったのも納得である。
※画像はイメージです。
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