歴史大好きなだけで知識が人並な年配者が本能寺の変について、考察を加えてみました。
よろしければご一読ください。
いまだに原因がわからない本能寺の変
歴史の大事件「本能寺の変」、さまざまな説がとなえられてきましたが、いまだに「本当の理由」は定かではありません。
権力の頂点にいた織田信長、その重臣であった明智光秀の関係に何があったのか?
歴史学の中でしばしば語られる四国説や唐入り説、そして心理的葛藤の末の謀反などが唱えられますが、果たしてそれだけだったのでしょうか?
そこで私が考えたのは、本能寺の変の裏には、単なる人間の意志や野望を超えた「何か」があったのではないか?
怨霊や陰陽道の力が働いていたのではないかとも考えています。
織田信長と呪い
本能寺の変の背後には信長自身の過去の行いに関する、「呪い」があったのではないかとも考えます。
信長は数々の寺社を焼き討ちし、多くの僧侶やその信者たちを犠牲にしました。
特に有名なのが比叡山延暦寺の焼き討ちで、ここで命を奪われた僧侶達の無数の魂が、彼に対して深い怨念を抱いたのでしょう。
本能寺が選ばれたのも偶然ではないかもしれません。
何か目に見えない力が働いいて、まるで信長が「怨念を晴らすべき場所」へと誘導されたでしょう。
光秀が謀反を起こしたのも、最も有利な状況が整う、この場所でなければならなかった理由があるとも言えます。
四国の呪術師たちの暗躍
一方、四国に関連した説もあり、四国の呪術師たちの存在が大きく関わっていた可能性があります。
長宗我部元親が支配する四国には、古代から陰陽道が深く根付いていたと思われ、信長の警戒を引くようになったのも、実は四国の呪術師たちが「霊的な障壁」を築いたためではないでしょうか?
光秀が四国遠征を阻止しようと焦った理由も、単なる血縁や政治的な理由にとどまらず、四国の呪術的な力に心酔し、信長に対抗できる何か「霊的な力」を見出そうとしていたのでしょう。
四国の呪術師たちは、密かに光秀の行動を後押しして、「秘術」を授けたのかもしれません。
最後の合図「ときはいまあめがしたしるさつきかな」
そして運命の夜、1582年のあの夏の夜に、光秀はついに本能寺を襲撃する決断を下します。
光秀は「ときは今 あめが下しる 五月哉」という歌を詠んでいます。
これは単なる歌ではなく、古の言葉に秘められた呪文だったのでしょう。この歌には霊的な力が宿っていて、光秀はこの言葉の力を信じ、信長を討つ決意を固めたのかもしれません。
最後に
光秀の真意は一切不明であり、この夜に何が起こったかは想像の域を出ません。
しかし、本能寺の変にはただの謀反では片付けられない「闇」が潜んでいたのは間違いなく、果たしてそれはなんだったのでしょう?
この日本史上の事件には、普通の人間の手には届かない不思議な力が働いていたと考えると、少しロマンがあるのではないでしょうか。
皆さんはいかがお考えでしょうか?
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