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ジャック・ザ・リッパー ~鎌鼬説~

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世界の未確認事件の中で有名なものの1つが、1888年の「ホワイトチャペルの殺人鬼」こと、ジャック・ザ・リパーの連続殺人である。
様々な容疑者が浮かびながら、結局結論に到達していない事件である。
だとするならば、オカルト的な結論も織り込んで考えるべきだろう。
すなわち、人ならざる者が「犯人」であるパターンだ。

目次

人間業ではない犯行

ジャック・ザ・リパー、日本語で「切り裂きジャック」とも言われ、様々な創作でも登場人物として扱われる。
ジャックというのは、ヤコブの英語名である「ジェイコブ」、またはヨハネ由来の「ジョン」の愛称で、「よくある名前」というニュアンスだ。
「名無し」を意味する「ジョン・ドー」も、ジャック系の名前でよく知られる言い回しだろう。
日本語のニュアンスとしては「太郎」「(名無しの)権兵衛」といったものだ。
つまり、本来の名前ではない。

犯行の概要としては・・・

  • 1888年8月31日 メアリー・アン・ニコルズを殺害
  • 同年9月8日 アニー・チャップマンを殺害
  • 同年9月29~30日 エリザベス・ストライドを殺害
  • 同年9月29~30日 キャサリン・エドウッズも殺害
  • 同年11月9日 メアリー・ジェーン・ケリーを殺害

いずれも切創であり、非常に巧みな切り口であったという。喉は犯人から見て、左から右に切り裂かれ、左利きの可能性があるとプロファイリングもされた。

ロンドン警視庁は、捜査チームを組織し、法医学的な調査も行ったが、容疑者として拘束された80名のうち、誰からも犯人は見つけられなかった。
500ポンドの賞金がかけられ、自警団も組織されたが、結果的にはジャック・ザ・リパーはジャックのまま、真犯人に辿り着く事はなかった。

連続殺人は、犯行の足取りが掴まれやすい犯罪である。
「成功」している連続殺人者に、死体を隠している者が多いのもそのせいである。
ジャックのように、死体を現場に残せばかなり捜査が絞り込まれる。そもそも、切創を作る殺害方法は、血飛沫が自分にも付着する。臭いも残るだろう。
それを成し遂げたジャックの手際は、人間業とは思えない。
ならばオカルトの出番だろう。何も、人間に出来ない事を人間にさせる必要はない。

鎌鼬ストリームアタック

人外の存在は様々なものがいるが、ここは切り裂く事に熱心な、鎌鼬が適任だ。
「かまいたち」で検索すると人間が出て来るが、サジェスト汚染はやめて頂きたい。
漫才師なのだから、頭にMでも付けておけば良かろう。いや、この場合、落語家がロボットと混同されるからダメか。

鎌鼬は、旋風に紛れるか、または旋風そのもので、しばしば3匹のイタチの姿を取る。
1匹目は人にタックルして転ばせ、2匹目が鎌で人に傷を付ける、そして3匹目が血止めの薬を付け、ハヤテのように去っていく。
このため、人は痛みも感じないまま、パックリ切れた傷口を見つける。
藪を歩く時、カヤなどで肌が切れる現象を妖怪化したものと考えられるが、彼らが実在した場合、ジャック・ザ・リッパーと同様の犯行が可能となる。

イギリスの事件なのに、日本の妖怪を持ち出すのは、飛躍し過ぎと思うかも知れない。
だが、そうとばかりも言い切れないのである。

鎌鼬、海を渡る

犯行が起こる十数年前、1871年12月23日、日本から欧米へ船が渡っている。
岩倉使節団である。

彼らは横浜から出航後

  • 1872年1月15日 サンフランシスコ到着
  • 1872年2月29日 ワシントン到着
  • 1872年6月10日 ニューヨーク
  • 1872年8月4日 ボストン発
  • 1872年8月16日 アイルランド着
  • 1872年8月17日 ロンドン着

という行程で、ロンドンに訪れている。

積み荷に紛れたか、甲板で渦を巻いていたか、鎌鼬が船に乗り込んでいた場合、ロンドンに降り立つ事も、充分あり得るだろう。
外来種が船便に紛れ混む事は日常茶飯事だ。妖怪だって乗り込む事もあるだろう。
そして彼らは、ロンドンで海外生活を楽しむ中で、いつも通り「活動」した。

だが、ここでおかしな点が出て来る。
鎌鼬は、人に傷を付けるが、血止めを塗る筈である。
切りっぱなしで殺すのでは、まるで人間ではないか。

ひとりぼっちの切り裂き殺人

ここについては、1つの仮説が考えられる。
海外旅行につきもののトラブル、「別行動後の合流失敗」である。

どんな仲の良い相手も、長期間の旅行は息が詰まるものだ。
たまには別行動する事もある。
これは、人間でも妖怪でも同じだろう。
鎌鼬達も、それぞれ羽根を伸ばしていたろう。
だが、人間がそこまではぐれず一緒に旅行を続けられるのは、時間や場所を、厳密に把握出来るからだ。
見慣れない異国の地、船の出航時刻すら認識出来ない鎌鼬達は、1匹、また1匹と、はぐれてしまったのではなかろうか。
そして、ロンドンのホワイトチャペルに辿り着いたのは1匹だけだったのだ。

独りになった鎌鼬は、最初のうちは、仲間を探したり、帰る方法を探したろう。
岩倉使節団に同行していれば、最低限日本には帰れた筈だが、鎌鼬にそれは分からない。
むしろ、アメリカ大陸ではそれを期待していたかも知れないが、東へ東へ進み、ついに海まで越えてしまっている。
地球が丸い事を知らない鎌鼬は、「これ以上付いて行ったら、どこに行くか分からない」と見切りを付けた。

そのままロンドンで暮らす事10年以上。
ついに、湧き上がってしまったのではないか。鎌鼬としての本能が。
最初は、軽いストレス発散だったかも知れない。
今まで通り、切り裂いてみた、それだけだ。
だが、血はいつまでも止まらず、切られた人はやがて命を失う。
血止め役がいなければ、当然である。
鎌鼬にとって、それがどのような感情を呼び起こしたかは分からない。
少なくとも、彼は続けた。

5人を斬り殺した後、恐らくは、仲間と巡り会えたのではなかろうか。
ジャック・ザ・リパーの犯罪は有名になった。
これが、他の場所にいる鎌鼬達の興味を惹いた事は、想像に難くない。

船の上の鎌鼬

では、残りの2名は、どこにいたのだろう。

ここからは、全くの想像である。
1匹目は、ニューヨークではぐれたと考えられる。
彼はニューヨークを彷徨ううち、「また船に乗れば帰れるのではないか」と考えた。
乗り込んだのは、1872年11月7日。
船の名は「メアリー・セレスト」。

彼は最初、甲板の隅か倉庫の中で静かにつむじを巻いていたろう。だが、性質は抑え切れない。
甲板で働く乗員達、彼らに対し行ったのではないか。
転倒させる悪戯を。
地上であれば、単なる悪戯で終わった。
だが、不安定な甲板の上で行われたそれは、1人、また1人と乗員を海へ落とした。
半数ほど落とした後、乗員達は、船に悪魔がいると確信し、船を捨て、逃げたのではないか。
悪魔が追って来ないよう、羅針盤を壊して。

そして、翌月の12月4日、漂流状態だったメアリー・セレスト号は、ポルトガル沖アゾレス諸島付近の海域で発見された。同船のものと思われる救命ボートが、翌年にスペインで発見されたが、長期の漂流には耐えられなかったのか、全てが遺体となっていた。

クロロホルムと鎌鼬

最後の、血止め薬を持った1匹は、ロンドンにいた可能性がある。
ジャック・ザ・リパーの事件が、比較的短期間で終わった事も根拠となるが、もう1つ根拠となる事件がある。

1886年、ロンドンのピムリコ地区で、とある殺人事件が発生した。
被害者は、トーマス・エドウィン・バートレット。死因はクロロホルムによる毒殺である。
妻のアデレードが容疑者とされた。
殺害に使われたのはクロロホルムは、アデレードが入手したものだった。

だがこの事件、アデレードの犯行にしては1つ奇妙な点があった。
クロロホルムを飲み干しながら、トーマスの喉に焼けた跡がなかったのである。
クロロホルムは粘膜に触れれば、薬品火傷が発生する。
弁護士はこれを根拠として、トーマスが「自らクロロホルムを急いで飲み下した」という、自殺説を展開、アデレードの無罪を勝ち取ったという。
無罪判決は出たものの、自殺説が全面的に支持された訳ではない。
状況証拠としてはアデレードの犯行である可能性が高く、現在も「どうやって飲ませたのか」と、未解決事件の扱いをされている。

だが、ここに鎌鼬がいたらどうだろう。
彼は、薬を塗る役割を、独りになっても繰り返していた。誰に迷惑をかける訳でもないため、我慢する事もなかったろう。塗られた人の方も「怪我したと思ったが、血は出ていない」というだけで、怪しむ程でもない。
そんな中、偶然見かけた家で、クロロホルムを飲まされ、苦しむトーマスがいた。

鎌鼬は、反射的に薬を使ったろう。
切り傷を一塗りで治療するのだから、薬品火傷程度は治せる筈だ。外から塗って中が治るのは、そもそも霊薬の類であろうから、そこまで大きな疑問にはならない。
だが、胃の中に入り込んだクロロホルムは消えない。
クロロホルムが持つ毒性は、侵食というよりも、中枢神経への作用である。傷を治しても助からない。
こうして、喉の傷はないけれど、クロロホルムを胃に溜め込んだ死体が出来上がったのである。

かわうそ

鎌鼬は今どこに

鎌鼬が合流した後、どのように暮らしたかは明らかではない。
或いは、ロンドンを気に入って、まだ滞在してるのかも知れないし、旅好きになって船の上にいるかも知れない。
あなたが船の上で旋風を見かけたら、くれぐれも近寄らない事だ。
そこに、3体揃っているとは限らない。

参考:
『明治150年 インターネット特別展 岩倉使節団 ~海を越えた150人の軌跡~』(国立公文書館 アジア歴史資料センター)

featured image:竜斎閑人正澄 (Japanese), Public domain, via Wikimedia Commons

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